『セブンティーン(2017)』学校は全てが可視化される空間だ

セブンティーン(2017)
原題:Siebzehn
英題:Seventeen

監督:モニヤ・アルト
出演:エリザベス・ワビシュ、マグダレーナ・ワビシュ、アナエル・デジーetc

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

12/10(土)に菊川にできた映画館Strangerで企画「Gucchi’s Free School × DVD&動画配信でーた 現代未公開映画特集」が行われる。そこで上映される『セブンティーン』をトークショーする関係で一足早く鑑賞しました。

『セブンティーン』あらすじ

オーストラリアの田舎の寄宿学校で夏を待ち焦がれている17歳のパウラは、高校最後の日々をなんとなくやり過ごしている。彼女は同性愛者で、同級生のシャルロッテに恋をしているが、シャルロッテにはミカエルという彼氏がいる。パウラは恋心を紛らわすために友達のティムと親しくしているが、ティムはパウラに恋心を抱いていた。次第に距離が縮まるパウラとシャルロッテ。ついにシャルロッテはミカエルと別れるのだが、常に人目を引きたいリリは、パウラを弄ぶように誘惑する。
90年代のオーストリアで育った若手監督であるモニヤ・アルトもまた、本作の登場人物たちと同じく同性に惹かれ、それを自然なものと感じていたという。本作はそういった欲望や期待と厳しい現実との対峙を真摯に描き、高い評価を獲得。今後の活躍にも期待される若手女性映画監督の一人となる。

※Strangerサイトより引用

学校は全てが可視化される空間だ

この特集では、他にも『リングワ・フランカ』、『ストレンジ・リトル・キャット』が上映される。3作品異なる「部屋」の魅せ方をしているところに注目していただきたい。『リングワ・フランカ』の場合、陽光が差し込んでいても顔が視認できないような翳りを漂わせる空間を作り上げている。『ストレンジ・リトル・キャット』の場合は、陽光差し込む空間の中に家族や動物をたくさん投入し、一見親密な空間に見えるが、キャッチボールにもドッジボールにもならない言葉の球が散乱する冷たい空間が紡がれる。では『セブンティーン』はどうだろうか?本作はとにかく、空間が明るいのが特徴だ。ナイトクラブのシーンですら登場人物の顔がハッキリと映るようにライティングを調整している。この演出は何を指し示しているのだろうか?

それは「独特な学校空間」であろう。学生時代を思い返してほしい。クラスメイトは常に、Aさんが誰と付き合っているのか?誰と仲が悪いのかを気にしている。そして噂が飛び交う。隠し事ができないように監視の目が張り巡らされていたであろう。全てが明らかにされてしまう状況の表象として登場人物の顔がハッキリ視認できる空間を作っているといえる。そんな空間に身を投じると不安が現出することもある。例えば、教室に入ってくるクラスメイトに対して、嫌らしい目つきで自分を見つめる像を重ねてしまう場面がある。それは「回想」として異なる質感で描くことはせず、現実空間と等価なものとして映し出される。つまり、登場人物にとって「不安」から来るイメージは「現実」なのである。そんな状況をパウラ(エリザベス・ワビシュ)、シャルロッテ(アナエル・デジー)、ミカエル(Leo Plankensteiner)、そしてティム(Alexander Wychodil)の複雑に絡み合四角関係で紡ぎ出す作品であった。

※MUBIより画像引用