【東京フィルメックス】『熊は、いない/ノー・ベアーズ』眼差しの銃を向ける者は、眼差しの銃を向けられる

熊は、いない/ノー・ベアーズ(2022)
No Bears

監督:ジャファル・パナヒ
出演:ジャファル・パナヒ、Mina Kavani、ナーサル・ハシェミ、Vahid Mobasheri、Bakhtiyar Panjeei etc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

7月に逮捕されたものの、第79回ヴェネツィア国際映画祭にて審査員特別賞を受賞したイラン映画の巨匠ジャファル・パナヒ最新作『ノー・ベアーズ』が東京フィルメックスにて上映された。実際に観てみた。

※2023/9/15(金)邦題『熊は、いない』で公開決定しました。

『ノー・ベアーズ』あらすじ

映画監督ジャファル・パナヒの目を通して並行して語られる2つの愛と抵抗の物語。ここ十数年、芸術的自由に関する自己言及的作品を作り続けてきたパナヒの最新作。パナヒがイラン当局に拘束される中、ヴェネチア映画祭でプレミア上映され、特別審査員賞を受賞した。

※第23回東京フィルメックスより引用

眼差しの銃を向ける者は、眼差しの銃を向けられる

通りを長回しで撮るところから始まる。芸人がカフェで食事をしている人の前でパフォーマンスをする。やがて女の人が出てきて、通りを進むと男が現れる。パスポートを入手したから先にヨーロッパへ渡ってほしいとのこと。彼女は一緒に行きたいらしく激しく揉める。

「カット!」と声が挙がり、おじさんがカメラに向かって話しかける。カメラは引いていき、それがPCの画面からだということが分かる。ジャファル・パナヒ監督はイランの村から遠隔操作でトルコにいる撮影スタッフに指示を出しているのだ。しかし、電波が悪い場所なので通信が途絶えてしまう。ジャファル・パナヒはイラン政府から監視されている。とはいえ、そう簡単にカメラという眼差しの銃を手放すことはない。村人にカメラを持たせて村の様子を撮ってもらう。それの様子をパナヒ自身も撮る。ぐるっと建物を移動する村人を確実にフレームに仕留めていくパナヒ監督、そしてそれを捉えるこの映画のカメラはまさしく西部劇の凄腕ガンマンのように見える。

そんなある日、パナヒ監督はロケ地探しの中で、仲間からの誘惑で密売人の道へ侵入してしまう。それがきっかけで、村人の結婚をめぐる揉め事に巻き込まれてしまう。決定的瞬間を撮っていると疑われたパナヒ監督は、ネチネチと詰められていく。

パナヒ監督がインターネット越しに向ける遠距離な眼差しと、村社会特有の誰もいないはずなのに知られている遠距離な眼差しを交差させて「撮ること」を掘り下げていくアプローチに感銘を受ける。制約があり、ミニマルな作風にならざる得ない中、このような複雑な構成を考え、密売人の道の怪しげな土煙などといった映画的ドラマティックな画を飄々と収めていくガンマンのような手捌きに脱帽しかない。

彼はトルコとイランパートでの拗れてしまう物語を通じて、リアルな現実を撮ろうとするものの簡単に虚構へと追いやられてしまう様を指摘する。トルコパートでは、リアルな現実を撮ろうとするものの、あるトラブルを通じて役者との関係が悪化する。役者から「リアルな現実?虚構ではないか?」と言い放たれてしまう。

イランパートでは、村人が存在しない決定的証拠があると信じて、それを事実として真実を組み立てる。しかし、ないものはない。その矛盾とどのように折り合いをつけていくのか?それは「しきたり」である。神という信じるべき存在を避雷針とすることで、存在しない事実を強引に受容しようとする。その様子をパナヒ監督は馬鹿らしいと呆れ、その態度が余計に事態を拗らせてしまう。

ジャファル・パナヒ監督は、リアルな現実を撮り続けることでイラン社会の問題を炙り出そうとしてきた。しかし、その行為は本当にリアルな現実を撮っているのだろうか?眼差しの銃を向けることで加害になってはいないだろうか?

『ノー・ベアーズ』はジャファル・パナヒにによる省察の記憶であり、少ないロケーションで豊穣な映像議論を魅せる大傑作であった。

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※IMDbより画像引用