ヌーヴェルヴァーグ(1990)
NOUVELLE VAGUE
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:アラン・ドロン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ、ロラン・アムステュツ、ラファエル・デルパールetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ジャン=リュック・ゴダール追悼として『ヌーヴェルヴァーグ』を再観した。本作は、以前TSUTAYA渋谷店でVHS借りて観たのだが、横移動を通じて文字通りの「NOUVELLE VAGUE(=新しい波)」を表現している場面しか印象に残っていない作品であった。今回、観てみたところこれがとてつもなく面白かった。
『ヌーヴェルヴァーグ』あらすじ
大財閥の女当主、エレナ(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)は交通事故に遭った記憶喪失の男、ロジェ(アラン・ドロン)を救う。その日からロジェはエレナと行動を共にし、彼女の屋敷に住み始めた。だが、必然のように二人の心はすれ違い、常に緊張感が張りつめている。その後ボートで湖に出た時、ふとした弾みで水に落ちたロジェにエレナは手を差し延べようとはせず、ロジェの姿は湖中に消えてしまった。季節はめぐってふたたび春。エレナの前にロジェそっくりの男、リシャール(ドロン・二役)が姿を現す。エレナは、ロジェとは異なって活動的な彼に、磁力に吸い寄せられるように惹かれていった。しかしリシャールは素知らぬ顔で彼女を突き放し、瞬く間にエレナの会社の実権を握ってゆく。今や二人の地位はまったく逆転してしまったかのようだ。そんなある日、二人はかつてのロジェとエレナのようにボートで湖へ漕ぎ出した。リシャールはエレナを突き落とし、今度はエレナの方が沈んでいく。しかしその時、リシャールの手がしっかりとエレナをつかみ、二人に真の愛が芽生えるのだった。
社会は冷たい、個は温もり
ゴダールの映画は粗筋を読んでから、映画を観ると「そんな話か?」となることが多い。そもそも粗筋が存在するのかも怪しく、映画.comに粗筋書いている人は凄いなと思う。『ヌーヴェルヴァーグ』も粗筋を読むと、『寝ても覚めても』みたいな内容だが、実際に観てみるとこれまた難解だったりする。ただ、ゴダールの映画にとって重要なのは、ストーリーと並行して語られる理論であり、その理論が掴めると一気に自分の中で開けてくるものがある。
今回のテーマは社会と個の関係である。
工場を巡回するシーンで「国家の姿は凡人の目には見えない。国家には倫理がない。なぜなら官僚や政治家をそそのかすからだ。場合によっては国家を強制する事さえある。不信感、努力欲、復讐心をもつようにと国家はこうしたものを罰することがない。それどころか反対に報酬を与えて評価することが多い。」と語られる。
本作はその目に見えない「国家」というものを魅せようとする。例えば、慣れない給仕係にキツく当たる上司がいる。彼女はお偉い客が集まる会食の場で、自分はこの仕事が好きだと語る、最新の注意を払っていることも伝える。真剣にやっているのに誰も評価していないことを訴え、それゆえに嫌々サービスをしているんだと叫ぶ。
アラン・ドロン演じるロジェとエレナ(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)の象徴的な溺れるシーンがそこに肉付けをする。泳げないロジェは手を貸してほしいと海から声を書けるエレナに中々手を貸さない。ようやく手を貸すのだが、反対に海へと落ちて溺れてしまう。だが、彼女は彼がしたように手を貸さない。終盤にロジェの分身として現れたリシャールはエレナを突き落とすも、助けを求める彼女を見て手を差し伸べる。
国家は利益のために個を裏切ることが多い、しかし国家とは個の集団であり、個が手を差し伸べることにより幾らでも修復可能であることを象徴的に描いているのである。
そこにゴダール特有のユニークな演出が挿入される。今回は「波」がテーマなので横移動が多いのだが、これが複雑な動きをしている。車に乗ろうとするが、キャンセルして回り込むように赤い車に乗り換える。横移動しながら、木の影を使って集中線を生み出す。これだけでも楽しい映画だ。
1週間で4本ゴダール映画を観た。10年前よりかは自分なりの楽しみ方を見出せた気がした。
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