『アキラとあきら』僕は社会のベアリングになりたい!

アキラとあきら(2022)

監督:三木孝浩
出演:竹内涼真、横浜流星、髙橋海人、上白石萌歌(adieu)、児嶋一哉、満島真之介、塚地武雅、宇野祥平、奥田瑛二、石丸幹二etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

下半期は三木孝浩監督作が3本も公開される異様な状況となっている。三木孝浩監督といえば『青空エール』、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』など感傷的な演出の職人監督のイメージが強い。そんな彼が、暑苦しい企業ドラマでお馴染み池井戸潤映画を撮るとは想定外だった。蓋を開けてみれば『半沢直樹』のような暑苦しさは抑えられており、三木孝浩監督テイストな感傷的なドラマに仕上がっていた。

『アキラとあきら』あらすじ

「半沢直樹」シリーズなどで知られる人気作家・池井戸潤の同名小説を、竹内涼真と横浜流星の主演で映画化。

父親の経営する町工場が倒産し過酷な幼少時代を過ごした山崎瑛と、大企業の御曹司だが次期社長の座を拒絶し血縁のしがらみに抗う階堂彬。同じ名前を持つ2人は運命に導かれるかのように、日本有数のメガバンクに同期入社する。人を救うバンカーになるという熱い理想を持つ山崎と、情を排して冷静に仕事をこなす階堂。正反対の信念を持つ2人は真っ向から対立し、ライバルとしてしのぎを削る。しかし山崎は、ある案件で自らの理想と信念を押し通した結果、左遷されてしまう。一方、順調に出世する階堂の前にも、親族同士の争いという試練が立ちはだかる。やがて、数千人の人生を左右する巨大な危機が到来し、山崎と階堂の人生が再び交差する。

監督は「思い、思われ、ふり、ふられ」「僕等がいた」の三木孝浩。

映画.comより引用

僕は社会のベアリングになりたい!

「僕は社会の潤滑油になります!」

就活シーズンになると、気を衒った自己PRが話題になる。そして「潤滑油」は陳腐化されてしまった。また、いざ社会の潤滑油になろうとしても社会システムの型に押し込められ、歯車として膠着化してしまう。さて、そんな悩める社会人に三木孝浩監督は善意からなる物語を紡ぐことで「ベアリング」になる道を提示した。

銀行に救ってもらえず会社は倒産、茨の道を歩んできた山崎瑛(竹内涼真)と大企業の御曹司の階堂彬(横浜流星)はトップの成績で大手銀行に入る。研修で二人は直接対決し、階堂彬の仕掛ける粉飾を山崎瑛が見破るハイレベルなものを見せつけた。しかし、二人はバラバラの道を歩む。山崎は自分の信念で潰れそうな零細企業を救おうとするが、それが原因で左遷させられてしまう。一方でトントン拍子トップへと登り詰めていく階堂。だが、彼のもとへ親戚がプライド高い経営をしたことによる破滅の足音が近づいてきた。

両者、危機的状態になりながらも会社の歯車として魂を失うことなく、また潤滑油のようにヌルッとしているだけではなく、ベアリングとして部署を、会社を、社会を動かしていく。三木孝浩監督は、悪は存在しない、あるのは己の正義であり、それが悪に転じる状況とは正義の舵取りを間違えた時に発生する理念で物語を動かす。なのでヒールな階堂彬や部長、クズな親戚軍団を明らかな悪として描くことはしない。それぞれ背負っているものが異なることを提示していく。これは『半沢直樹』や『七つの会議』にない視点であろう。そして絶対に栄転できないであろう地点から真っ直ぐな眼差しで突き進む山崎瑛。その純粋さに毒づきながら、内面では信頼している階堂彬が時に対立しながらも、やがて恐るべき危機を解決するために手を取り合う。

現実ではそんなことはない。ある意味ファンタジーであるが、絶望的な現実だからこそ、この希望的物語は美しいものがある。そして、後光を常に解き放って尊い二人の「あきら」のドラマを盛り上げていく熱さは三木孝浩独自の質感を担っているといえる。そのあまりの眩しさ故、ラストは直視し難いものがある。まるでノベルゲームのグッドエンディングのような眩さがあった。

一見すると、通俗なドラマに見えるが、膨大な登場人物を整理しつつ、複雑な企業経営の話を分かりやすく微分して提示するスマートさ含めて本作は賞賛したいものがありました。

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