耳をすませば(1995)
Whisper of the Heart
監督:近藤喜文
出演:本名陽子、高橋一生、立花隆、室井滋、露口茂、小林桂樹、鈴木敏夫、井上直久、高山みなみ、佳山麻衣子etc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、金曜ロードショーで『耳をすませば』が放送されていました。実は『耳をすませば』未観だったので観賞してみました。これが実に嫌な映画で私好みな作品でありました。
『耳をすませば』あらすじ
柊あおいの同名少女コミックをスタジオジブリがアニメーション映画化。読書好きな中学生3年生の少女・月島雫は、自分が図書館で借りてくる本の貸し出しカードの多くに「天沢聖司」という名前があるのを見つけ、それ以来、顔も知らない天沢聖司の存在が気になっていた。夏休みのある日、図書館に向かう途中で遭遇した一匹のネコに導かれ、雫は「地球屋」という不思議な雑貨店に迷い込む。やがて店主の孫の少年が天沢聖司であることを知り、2人は徐々に距離を縮めていく。しかしバイオリン職人を目指す聖司は、中学を卒業したらイタリアへ渡ることを決めていた。その姿に刺激を受けた雫は、本を読むばかりではなく、自らも物語を生みだそうと決意するが……。宮崎駿や高畑勲の作品を支えてきた名アニメーターの近藤喜文の長編初監督作。98年に46歳で他界した近藤にとって、本作が最初で最後の監督作となった。劇中で雫が生みだす物語世界に、画家でイラストレーターの井上直久が描く架空世界「イバラード」が用いられている。
豊穣な時を失った者、干渉する。
実写かと目を疑うほどに耀く街、夜にもかかわらずライトが煌めき、人々は活動する。その中で一人の少女がコンビニから現れ家路を辿る。彼女は団地に住んでいる。仄暗い書斎で父親はワードプロセッサに向き合っている。家族との関係は悪くなさそうだが、どこか窮屈に感じる。そんな彼女の何気ない日常が展開されるのだが、恋愛に関して恥じらいと眼差しが交錯し、これまた居心地が悪いものがある。夏の晴天と対照的に家や学校の翳りが映し出され、それが月島雫に秘めたモヤモヤを体現しているようだ。姉が帰ってくると、雫に対して勉強しろ、家事をしろと圧をかけてきて鬱陶しい。彼女は、どこか息苦しい今から逃避するように本に齧り付く。やがて、電車に乗ってきた猫を追いかけた果てに現れた屋敷が彼女をある種の異界へと誘う。
本作は、バブル崩壊後の息苦しさを体現したような作品である。スマホのない時代における中学生の目線で描かれるので豊穣な時が流れている。しかしながら、両親は忙しなく仕事に追われている。それも、未来のためにではなく今を生きるために労働に追われている印象を受ける。顕著なのは姉であろう。姉は、雫に対してダラけているとロクな大人になれないことをチクチク言及していく。これは雫に流れる豊穣な時を有しつつ未来が見えない故に浪費されていく時間への嫉妬であろう。姉はもう未来のレールが敷かれてしまい、進路変更できないと思っている。故に青き芝生である妹の領土へ踏み込もうとするのだ。この行為自体、年長者が若者に説教するメカニズムと共通しているのだが、大学に入りバイトに明け暮れる姉がこのように説教をするのは深刻な事態ともいえる。自分がしっかりしていないと夢を掴めず負け犬になってしまうであろう不安を妹にぶつけている状況である。
では、妹はどのように現状を打破していくのか。それは小説を書くことであった。本作がよくできているのは、雫が図書館で借りた本を読み、涙する場面。本の中の世界を描くこともできるが、あえてしない。彼女の涙で没入感を表現する。それにより、自分で小説を書く場面が映える。創作を行うことで道が拓けることを、彼女の書く小説の世界に没入することで表現しているのだ。そして、彼女が今まで抱いていた得体の知れぬ閉塞感の正体は、未来が見えないことであると気付かされる。そして、なんとなくの関係であった両親の前ではっきりと主張をするのだ。
現実と未来を繋ぎ止める存在として機能する日本離れした館を中心に、少しづつ変わっていく雫の世界。日々、閉塞感を抱きながらも文章を書くことで、異界の扉を開いていく自分にとって大切な作品となりました。
ところで、『耳をすませば』の閉塞感は未来が見えないことによるものだったが、2020年代を生きる子どもたちが抱く閉塞感はSNSで常に人間離れした同世代を見ることによる無力感なんじゃないかなと思った。なので、実は今の中高生が観ると「よくわからなかった」という感想が出そうな気がする。