リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様(2020)
監督:神志那弘志
出演:皆川純子、松山鷹志、高橋美佳子、置鮎龍太郎、諏訪部順一、朴ロ美(朴路美)、杉田智和、武内駿輔、竹内良太etc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
巷では、『最後の決闘裁判』を傍聴したり、ドゥニ・ヴィルヌーヴ版『DUNE デューン』に悲鳴をあげたり大賑わいですが、私は映画仲間から猛烈なリクエストをいただき、レイトショーに『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』を観にいった。本作はジャンプの人気漫画「テニスの王子様」の3Dアニメ映画化である。「テニスの王子様」はどうやら2.5次元ミュージカルとしても成功を収めているらしく、本作はテニスよりも歌って踊っている時間の方が長いと一時Twitterを騒然とさせていました。
正直、「テニスの王子様」は日本が誇る二大「越前」の一人「越前リョーマ」がいることぐらいしか知らない。事前予習で、からすまAチャンネルにて「テニスの王子様」のゲーム動画を観賞し、イケメンが多い作品ぐらいの知識で観たのですが、これが楽しかったのです。
『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』あらすじ
アニメのほかミュージカル舞台でも人気を博している「テニスの王子様」の劇場版。シリーズ初のフル3DCGアニメとして製作され、原作漫画「テニスの王子様」と「新テニスの王子様」の間の空白の3カ月に起きた、これまで明らかにされていなかったエピソードが、原作者である許斐剛の製作総指揮・プロデュースのもとで描かれる。全国大会決勝の死闘を制し、さらなる強さを求めて単身アメリカへ武者修行の旅に出た越前リョーマは、現地について早々、家族旅行でアメリカを訪れていた同級生の竜崎桜乃がギャングにからまれている場面に遭遇する。桜乃を助けるためリョーマはテニスボールを放つが、同時に放たれた車イスの謎の人物によるボールがぶつかり、その衝撃で時空が歪んでしまう。気が付くとリョーマは、かつて「サムライ」と呼ばれ、世界のトッププレイヤーを震撼させた若き越前南次郎が活躍している時代にたどり着いていた。本編の一部シーンが異なる「Decide」と「Glory」という2つのバージョンで上映され、「Decide」では青春学園中等部のテニス部部長・手塚国光と立海大附属中学校部長の幸村精市ら、「Glory」では氷帝学園中等部部長の跡部景吾と四天宝寺中学校部長の白石蔵ノ介らが登場する。
※映画.comより引用
渡米!越前!お前のクールなガッツを見せてくれ
最近は、説明過多な作品も映画の多様性として認めつつある。これは条件付きでだ。その条件とは、映画が「観客」を向いているかである。『鬼滅の刃 無限列車編』では全てを説明してしまう演出に、日本の観客の理解力がと嘆いている人を見かけたことがある。確かに、その全てを言葉で説明してしまうことにより観客が考えなくなってしまう危惧は理解できるが、それでも漫画の分かりにくい動きに命を与えたアニメの功績は大きいと思った。
さて『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』はどうか?
いきなり映画はクライマックスであろう大試合から始まる。驚くべきことに、観客が総立ちで応援し、敵味方謎のムーブをしながら伝説的試合の行く末を見守っている。じっくりと先輩陣と思しき集団を見ていると、明らかに試合観ている場合ではない包帯グルグル巻き男なんかが陽気に踊っていて、観る者は開幕1分で世界観に没入することとなる。
もうお察しの通り、この映画はテニスを横に置き、歌って踊る超常現象が頻発する。渡米した越前リョーマ(皆川純子)とヒロインの竜崎桜乃(高橋美佳子)がテニスギャングに絡まれる。そしてヒプノシスマイクよろしく、ラップバトルが勃発し、ラップと強烈なスマッシュを放つとテニスボール同士がぶつかりビッグバーンが発生。その歪みによって二人はタイムスリップしてしまう。そんな異常な状況にもかかわらず、越前は「ひょっとしたら俺たちタイムスリップしたのかも」と他人事のように語り始め、親父の伝説的な試合を観ようとする。一方で、竜崎は劇中数度に渡り誘拐される。何故か公衆電話の中では元の世界と時間が繋がり、歌で「そっちは西暦何年ですか?」「時差ぼけかい?」と高等なコントが繰り広げられ、気がついたら映画が終わっていた。
一見すると、荒唐無稽なネタ映画で、全て説明台詞のファン映画に見えるかもしれない。確かに、テニス映画でありながらカット割りやショットがイマイチであり、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』のような強度があればなと思ったりはした。しかしながら、端々に映画的演出の妙があり、それこそが物語の面白さを引き出す隠し味になっていたと感じた。
例えば、竜崎が猫を追いかける場面。死角に入った猫。同時に不穏な音が聞こえる。竜崎が死角の方へ行くと、車に轢かれる間一髪のところを救う越前姿が見える。今度は死角に向かう越前を彼女は追いかける。この追う/追いかけられる関係が、映画の中で何度も使用され、時にはギャングと越前といった形で再現される。テニスは、球が往来する反復のスポーツだ。それを反映するように、この映画も反復が使われている。そして、その反復がわざとらしくならないように、竜崎にスクリューボールコメディ的映画をかき乱す存在の役割を与え、常に事件のトリガーを引かせる。よって映画が一発芸の点の数珠繋ぎに陥ることから逃れることに成功しているのだ。また、竜崎が太腿を涙で濡らすシーンにおける、皮膚の細胞まで緻密に画に落とし込もうとする唐突な拘りが不意打ちのスパイスになっていたりして1秒たりとも飽きさせない作りになっているところには感心した。
予告編の段階から若干バカにされがちな作品ではありましたが、私は「映画」として本作を大いに評価したい。
↑こちらはコンバット越前が活躍する「デスクリムゾン」です。上から来るぞ!気をつけろ!
※映画.comより画像引用