【ネタバレ考察】『アメリカン・ユートピア』デイヴィッド・バーン時の神殿

アメリカン・ユートピア(2020)
DAVID BYRNE`S AMERICAN UTOPIA

監督:スパイク・リー
出演:デイヴィッド・バーン、ジャクリーン・アセヴェド、グスタヴォ・ディ・ダルヴァ、ダニエル・フリードマン、クリス・ジャルモ、ティム・ケイパー、テンダイ・クンバ、カール・マンスフィールド、マウロ・レフォスコ、ステファン・サンフアンetc

評価:5億点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨年末から楽しみにしていた作品がある。元トーキング・ヘッズのフロントマンであるデイヴィッド・バーンが2019年に発表したブロードウェイショーをあのスパイク・リーが映画化した『アメリカン・ユートピア』である。本作はローリング・ストーン誌が『バクラウ 地図から消された村』や『First Cow』を抑え2020年ベスト映画3位に選出している。『ストップ・メイキング・センス』をオールタイムベストにしている身としては『アメリカン・ユートピア』をなんとしてでも映画館で観たかった。というのも、『ストップ・メイキング・センス』と出会ったのは社会人なりたての頃。丁度、ジョナサン・デミが亡くなった時期であり、私は研修会場である品川行きの満員電車の中で本作と出会いノックアウトされた。まさか、家で観て、絶叫上映に足を運び、ブログを本腰入れて書く時には欠かせない映画になるとは思いもよらなかった。それだけに初見をちゃんとした環境で観ることができなかったことを未だに後悔している。

雑然とした倉庫のような空間でデイヴィッド・バーンが“Psycho Killer”を歌う。そして、ティナ・ウェイマス、クリス・フランツ、ジェリー・ハリソンと仲間が集まっていき、“Life During Wartime”で一つの大団円を迎える。

そして、パフォーマンスはスピリチュアルな儀式へと移行していき、“This Must Be the Place (Naive Melody)”で泣かされ、“Take Me to the River”で魂を洗われる。

Lisa Dayの巧みな編集が特徴的で、4日間の撮影をシームレスに繋ぎ、よくよくデイヴィッド・バーンの髪型に注目しない限り1日のショーに見える作りとなっている。さらには、よくあるコンサート映画では観客の声援がノイズとなってしまうのだが、『ストップ・メイキング・センス』の場合、クルーやオーディエンスに着目しながらも一貫して主役=トーキング・ヘッズを維持し続ける。このパフォーマンス、撮影、編集の神業に私は酔いしれた。

閑話休題、『ドゥ・ザ・ライト・シング』以降、政治とエンターテイメントのバランスが悪い印象しかないスパイク・リーがデイヴィッド・バーンのパフォーマンスを撮れるのだろうか?一抹の不安が私をよぎった。

そして期待と不安を抱きつつホワイトシネクイントに向かった。映画館は朝の時点で全3回の上映分チケットが完売していた。皆がライブに、デイヴィッド・バーンに飢えているようだ。無論、私もそうだ。

私は観た。『ストップ・メイキング・センス』の完璧なパフォーマンスの上を行くデイヴィッド・バーンの手数を。そして、確かにスパイク・リーの悪いところもあるのですが、それが帳消しになる程、舞台でもミュージックビデオでも映画でもない、いや舞台でありミュージックビデオであり映画でもある映像アートに打ちのめされました。2021年暫定1位の大傑作でありました。

というわけで本記事ではネタバレありで『アメリカン・ユートピア』を考察していきます。

『アメリカン・ユートピア』あらすじ

元「トーキング・ヘッズ」のフロントマンでグラミー賞受賞アーティストのデビッド・バーンが2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーを、「ブラック・クランズマン」のスパイク・リー監督が映画として再構築。同アルバムから5曲、トーキング・ヘッズ時代の9曲など、全21曲を披露。バーンは様々な国籍を持つ11人のミュージシャンやダンサーとともに舞台の上を縦横無尽に動き回り、ショーを通じて現代の様々な問題について問いかける。クライマックスでは、ブラック・ライブズ・マターを訴えるジャネール・モネイのプロテストソング「Hell You Talmbout」を熱唱する。パントマイムや前衛パフォーマンスの要素も取り入れた斬新な振り付けを手がけたのは、過去にもバーンの舞台を手がけたアニー・B・パーソン。ブロードキャスターのピーター・バラカンが日本語字幕監修を担当。

映画.comより引用

デイヴィッド・バーン時の神殿

バークリーショットで机に座るデイヴィッド・バーンが映し出される。バークリーショットといえば、今やミュージカル映画のクリシェであり、多くの映画が盲目的に丸を形成するのだが、本作では中心に四角い机を配備し、視点の中心にプラスチックの脳みそが見えるように画を作り込んでいる。

1曲目は“Here”だ。鎖が光とともに迫り上がる。

「ここは情報が詰まっている領域」
「ここは滅多に使われない領域」

と脳みその部分を示しながら講義が始まる。脳内の自分の居場所を探す旅が提示され、このパフォーマンスの芯の一部が提示される。

デイヴィッド・バーンは、幼児の方が脳細胞の繋がりが複雑だと語る。そして大人になるにつれ脳内の繋がりが分断されていき、バカになっていくのではと考える。ただ、彼は冷笑に走るのではなく、希望をもって「無駄が削ぎ落とされていく」と語る。これを、表現主義的な構図に落とし込むことでまるでデヴィッド・バーンが教祖のような存在に見えてくる。具体的には、彼から伸びる光の線の先に机と脳みそのシュールな構図を配置し、その前でテンデイ・クーンバとクリス・ギアーモがポーズを取る。エドワード・ホッパーの作品を思わせる画がそこに生み出され、そのまま2曲目“I Know Sometimes a Man Is Wrong”が展開されていく。静と動、空間を自在に操ることでライブでも映画でもない何かに呑み込まれる感覚に包まれるのです。

この動きの連動は本作の主軸に添えられており、“I Zimbra”ではマーチングバンドの密な群れが前進/後退する動きと思い思いに感覚を取って踊る疎の運動の間にデイヴィッド・バーンを置くことで、機械と人間の中間世界を表現している。

世界は2010年代後半から断絶の時代に入った。20世紀は第二次世界大戦の反省から世界は一つになろうとしてきた。ヨーロッパも通貨を統一したり国境の行き来を容易にしたりしていた。しかし、ドナルド・トランプ、ジャイール・ボルソナーロ、ロドリゴ・ロア・ドゥテルテの台頭。ブレグジット、デンマークでの移民島流し問題に、黄色いベスト運動と、どんどん世界は国レベル、貧富の階層レベルに分断されていった。そして、今のSNSでの動きを見ると世界が1か0かでしか考えられなくなってしまったような気がする。“Burning Down the House”で語られる普通の人と言いながら「家を燃やせ」と叫ぶ人以上に、異常な人が異常なことを叫ぶ人(例えばIOCのトーマス・バッハやジョン・ダウリング・コーツ)が世を動かす時代になってしまったのかもしれない。

『アメリカン・ユートピア』では、100分かけて人間の二面性や複雑でグラデーションある心理を思い出させてくれ、しかも希望をもって描いている。ステージの核となる、四角い鎖で覆われた箱。鎖の壁は「壁」だけでなく、「扉」や「穴」に変化することができる。中ではパフォーマーが楽しげに踊っている。ユートピアかと思いきや、空間からはディストピア映画のような禍々しさも感じ取れる。また、パフォーマーは全員スーツを着ている。保守的で重々しいスーツ。一方、足元を見ると裸足だ。スーツを抑圧された社会に見立てるとするならば、これは解放されたがっている人々の感情が薄ら見える構図なのではないでしょうか。「時」についても彼は多角的に見つめている。“Lazy”では、「怠惰」とネガティブな意味で使われる”Lazy”に愛したり、遊んだり、踊ったりすることをぶつけることで、無駄なことにも意味があると言いたげに語る。一方で、”Once in a Life Time”では、未来について考えているうちに時が経ちこう嘆く。

「どうして、こうなった?」

“Blind”ではなんでも「なんだ?」と表面的なことに時間を費やして盲目になってしまう人を批判しているようにみえる。

分断に目を向ければ、眼前に広がるのは多様性、ある種のアベンジャーズである。カナダやブラジル、フランスからメンバーが集まり、男女平等にハイライトがある。デイヴィッド・バーン自体がスコットランド移民だ。長谷川町蔵がミュージック・マガジン2021年5月号に寄せたデイヴィッド・バーン論によれば、彼の両親が宗派を超えた結婚により親戚から縁を切られアメリカへ渡ってきたとのこと。まさしく、“Everybody’s Coming to My House”で語られる”決して帰ってこない人”なのだ。『ストップ・メイキング・センス』の時も、巧妙にオリエンタリズムに陥ることなく多様な文化をサンプリングして新しい音楽を作り上げていたが、ここでも健在だった。これぞ分断のない世界だと彼は観る者に叩きつけたのです。

このように『アメリカン・ユートピア』は単にカッコいいパフォーマンスで止まることなく、鋭く社会をぶった切っていくのです。音楽に政治を持ち込むなという人がたまにいるが、フォークもロックも政治的であり、音楽も映画と同様、社会や人間心理のある視点をいかにして斬り込むかが重要だったりする。『ストップ・メイキング・センス』とは違い、スタンダップコメディの饒舌な語りを武器にデイヴィッド・バーンは2016年の大統領選について語る。投票率は55%しかなかった。地方選挙では20%しかなかった。試しに、この会場を使って可視化してみましょう。ほらっとライトを当てて、観客をパフォーマンスの渦中に巻き込んだりする。しまいにはジャネール・モネイの“Hell You Talmbout”を歌う。この曲は暴力によって亡くなったアフリカ系アメリカ人の名前をオーディエンスに叫ばせるパフォーマンスとなっており、一般人の過去や魂が会場に蘇ってくる。

スパイク・リーはここで、俺が、俺がとスローモーションで被害者の写真を映したり、画面に被害者の名前を並べる演出をしてしまって少々暴走気味なのですが、それでも時の様々な側面について語ってきた終着点として”Hell You Talmbout”で時から解放する浄化の大団円を仕掛けてくるところには痺れる。

ジョナサン・デミのように完璧にライブを映画やミュージックビデオを超えた存在に昇華することはできなかった。エンディングでは、デイヴィッド・バーンたちが楽屋から自転車で街に繰り出すところが映し出されるのだが、正直蛇足だ。『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』のようなカッコイイ去り方ではない。だったら幕が降りたところで終わるべきで、スパイク・リーが調子に乗ってしまったところは否めない。

しかし、そのネガティブポイントを差し置いても、ディストピアとユートピアの狭間、過去・現在・未来の狭間で自分の居場所と幸せを見出す活路を示してくれたデイヴィッド・バーンに泣きました。

コロナ禍で繋がりが減り、未来もドス黒い闇に覆われている今に沁みる心の処方箋でした。

※映画.comより画像引用

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