【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『摩天楼を夢みて』その摩天楼、脆弱につき※ネタバレ

摩天楼を夢みて(1992)
Glengarry Glen Ross

監督:ジェームズ・フォーリー
出演:アル・パチーノ、ジャック・レモン、アレック・ボールドウィンetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『死ぬまでに観たい映画1001本』も残り250本を切ってくるとどうしても苦手ジャンルが溜まってきてしまう。サイレント映画や西部劇、中国映画にノワールと苦手な作品の一覧にクラクラするなか、Twitterのフォロワーさんから『摩天楼を夢みて』をオススメされました。監督はあのジェームズ・フォーリー。ラジー賞の常連作品『フィフティ・シェイズ』シリーズを手がけた監督だ。

そんな彼がかつてトンデモない傑作を撮っていたとのこと。本作は、デヴィッド・マメットのピューリッツァー賞文学賞を受賞をした戯曲の映画化。アル・パチーノ、ジャック・レモン、アレック・ボールドウィン、アラン・アーキンにケヴィン・スペイシーと名優揃いだ。しかし、この手のオールスターキャストの演劇的映画は、役者が演技の上手さに陶酔しがちなで、退屈でつまらないケースが多々ある。不安げに観たのですが、これが素晴らしかった。ただ、ネタバレありで語らないと厳しい部分が多いので、その点了承してお読みください。

『摩天楼を夢みて』あらすじ


ニューヨークの不動産業界を舞台に、不動産セールスマンたちの姿を描く人間ドラマ。監督は「アフター・ダーク」のジェームズ・フォーリー。製作は元コロンビア映画の製作担当副社長で、ホテル業界に転身した後、映画界に復帰したジェリー・トコフスキーと建築・金融・不動産業界で活躍してきたスタンリー・R・ズプニック。エグゼクティヴ・プロデューサーはジョゼフ・カラチオーラ・ジュニア。83年ロンドンで初演され、ピューリッツァー賞を受賞したデイヴィッド・マメットの同名戯曲を「殺人課」などで監督としても活躍する彼自身が脚本化。撮影はファン・ルイス・アンシア、音楽は「愛の選択」のジェームズ・ニュートン・ハワードが担当。主演は「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」のアル・パチーノ、「JFK」のジャック・レモン、「キスヘのプレリュード」のアレック・ボールドウィン。他に「アビス」のエド・ハリス、「ロケッティア」のアラン・アーキン、「ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女」のケヴィン・スペイシー、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のジョナサン・プライスが共演。
映画.comより引用

その摩天楼、脆弱につき

男たちが泥臭く、受話器片手に商談をする。巧みな口調だが、その成果もどうやら虚しいようだ。一方で、アル・パチーノ演じる凄腕営業マンことリッキー・ローマはカティ・サーク片手に「俺は右だと言われたら左にいく男なのさ」と余裕をかましている。

うだるように暑苦しい篠突く雨の中、成績不振な3人レーヴィン(ジャック・レモン)、モス(エド・ハリス)、アーロナウ(アラン・アーキン)は刺客ブレイク(アレック・ボールドウィン)に呼び出される。彼は「コーヒー起きやがれ!」と罵声を浴びせ、金色のボールや、リボンに結ばれた束、そしてABC理論にAIDA理論といった用語を捲し立てながら彼らに死刑宣告を下す。

「営業成績がビリだったものはクビだ。」と。

しかし、そう易々と外部の人間に服従する奴らではない。

「てめー偉そうぶっているが、本部じゃポンコツなんだろ!」
「こんな短期間に営業できるわけねー」
「俺らに売らせたきゃクズネタ持ってくるんじゃねー」

しかし、ブレイクはギラついた時計をチラつかせながら、
“Fuck you, That’s My name.”
と吐き捨てて去ってしまう。

アレック・ボールドウィンが手際よく武器を取り替え、圧をかけていく様子のカメラワークとカット割りは、演劇的セリフの強みを尊重しながらも映画的躍動感で魅せる。そしてそのカメラワークがブレイクのカリスマ性を形取る。このシーンだけで、本作が凄まじい傑作に化けることを予見させる。

そして、映画的分岐がどんどん本作に魅力を与えていく。

レーヴィンは妻子持ち。子どもとようやく会えるチャンスだったが、それがこのXデーによって粉砕される。それでも彼は愚直に電話をかけ始める。その横で、モスとアーロナウは愚痴を吐き捨て、遂には呑みに去ってしまう。彼らが去った後、レーヴィンは部長のジョン・ウィリアムソン(ケヴィン・スペイシー)と交渉する。レーヴィンには手札はない。金もなければ、唯一ある名声は過去の案件獲得のエピソードのみ。ウィリアムソンの弱みも握っていない。ウィリアムソンが帰ろうとする中、なけなしの武器を突きつけ交渉していくシーンはまさしくアクション映画だ。安易に、車で立ち去ろうとするウィリアムソンの前に立つのではなく、回り込んで車に乗り込む。そしてネタの価格交渉していく姿は、サラリーマンをしている者にとって涙なくして観られない名シーンだ。そして、彼は藁にすがる思いでウィリアムソンとの交渉戦の後、クライアントの元へと向かうのだが、そこでの粘りも痛々しく終わる。モスやアーロナウの怠けた姿と対照的に描かれるレーヴィンの勇姿は同情を誘う。一方で、例の二人は怒りに身を任せテロを計画するのだ。

そして、敢えてその顛末を空白にしたまま第二部へと移るのだ。

どうやら計画は成功した模様。事務所は荒らされている。そこにローマがやってくるのだが、彼の運は遂に尽きる。ネタは奪われ、ゴミ屑しか残っていない。しかも、そこへ折角受注したのに、クライアントから「キャンセルしたいんで小切手返してほしい」と直談判されるのだ。一方で、レーヴィンはあの悪夢の一夜から明け、意気揚々と出社する。何とクズ案件の受注に成功したようだ。あれだけ愚直で真面目だった彼は、嬉しさのあまり嫌な側面を見せ始める。こことぞ言わんばかりに、来る人来る人にマウントを仕掛けるのだ。

この地獄から天国に上り詰めた者と地獄へ堕ちた者の対比が寓話的で面白い。その対話に、何とかしてキャンセルを阻止しようと粘る構図を入れ、そこへ事情知らずの警察とウィリアムソンの邪魔を差し込んでいく。一寸先は闇のどっちに転がるか分からない面白さがあります。

そして、レーヴィンへの同情心が0になったところで、種明かしがされる。実はレーヴィンもグルだったのだ。ただ、それだけならパンチの弱いオチなのだが、ジェームズ・フォーリー監督はさらなるサプライズを用意していた。それはあれだけ物静かだったウィリアムソンが一撃必殺をキメるというどんでん返しである。何とレーヴィンのクライアントはブラックリストに入っている顧客で、彼の契約は紙クズ程度の価値しかなかったのだ。

この無情な顛末に、レーヴィンとローマは意気投合して真面目にデスクに向かう。

そこで映画は終わる。

『セールスマンの死』で描かれた、社会のシステムに鞭打たれ、数少ない輝ける日々をマウントすることで自我を保とうとするこの世の病を風刺した本作は、誰しもがラッキーの上に成り立っており、いとも簡単に転落することを重厚なエンターテイメントに仕上げている。

前半の観る者も気持ち悪くなるような雨から、希望に満ちた快晴へとシフトしていく展開はミスリードを手助けする。希望に満ち溢れた世界の中で修羅場が展開されることで、次にどのような展開をむかえるだろうかとワクワク感を引き起こさせる。アル・パチーノの一気に子犬に化ける演技に始まり、ジャック・レモンの豹変、ケヴィン・スペイシーの華麗なる一言と役者陣の演技も素晴らしい大傑作でした。

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