『機動戦士ガンダム』残資源、戦況を意識させる、そうこれはホンモノの戦争なのだ

機動戦士ガンダム(1981)

監督:藤原良二、富野由悠季
出演:古谷徹、鈴置洋孝、池田秀一etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

最近、思わぬところから映画をオススメされる。Filmarksに書いた『痛ましき謎への子守唄』評に何故かインド映画の『ビジョン』を勧めてくるコメントが入っていた。さてそんな中、「富野由悠季監督を追ってほしい。ガンダムを観てほしい。」と一通のメールが舞い込んできた。そういえば、ガンダムは人生の中で一度も通過していない。幼少時代、厳しい親に育てられた為、アニメや戦隊モノはほとんど観てこなかった。精々、親を説得して許可された『遊戯王』ぐらいしか通過してこなかった。なので、社会人になって『新世紀エヴァンゲリオン』や『Kanon』といった時代のアニメを観賞し、その度に感銘を受ける。

さて、ガンダムと言えば白いロボットぐらいの知識しかない私でしたが、Netflixで劇場版が配信されていたので観ました。本作はテレビアニメの第1話〜第14話を映画用に再編集したものであり、有識者曰く傑作エピソードの「ククルスドアンの島」が含まれていないとのこと。まあ、ものは試し。入門として映画版を挑戦してみました。

『機動戦士ガンダム』あらすじ


1979~80年に放映されたTVアニメ「機動戦士ガンダム」を再編集した劇場3部作の第1部。宇宙世紀0079年、人口の大半が宇宙空間に建設されたスペースコロニーに暮らし、人類が生まれ育った地球で暮らせるのは、限られた人々だけだった。そんな安寧とした地球から人類を統治する地球連邦政府に対し、辺境のスペースコロニー群「サイド3」が独立を宣言。ジオン公国を名乗り、人型の機動兵器=モビルスーツ(MS)を用いて連邦政府に対し独立戦争を仕かける。サイド7に暮らす内気な少年アムロ・レイは、連邦軍の技師である父テム・レイが開発にかかわった最新鋭MS「ガンダム」をめぐって巻き起こったジオン軍と連邦軍の戦闘に巻き込まれ、成り行きでガンダムに乗り込む。初陣にもかかわらずジオンのMSを撃破したアムロは、そのままガンダムのパイロットとなり、ジオン軍のエースで「赤い彗星」の異名をとるシャア・アズナブルの追撃をかわし、戦うことに戸惑いや恐れを抱きつつも戦場を駆けぬけていく。やがて地球に降り立ったアムロは、離れて暮らしていた母カマリアと再会するが……。
映画.comより引用

残資源、戦況を意識させる、そうこれはホンモノの戦争なのだ

本作は、ハリウッド超大作でよくみかける、もとい『スターウォーズ』を筆頭した選ばれし者が壮大な宇宙の動乱に巻き込まれていく王道叙事詩骨格を持ちながらも、アメリカでは決して生まれなかっただろう物語だ。宇宙冒険活劇でありながら、常にシビアな資源の残量を突きつけ、敵味方は所詮表と裏の関係であり敵味方の前に人間が存在することを緻密に描く。これは第二次世界大戦の兵士の心理を徹底的に物語へ流し込んだ結果であろう。

冒頭、コンピュータを弄るアムロ・レイをフラウ・ボゥが呼ぶ。避難命令が出ているのに何故彼に教えないのかと彼女は、アムロの知り合いと思しき人に声をかけるが、彼はボソッと「彼の父テム・レイがここに来なければ、狙われなかったのに。」と蔑視の目が投げられるのだ。地球連邦軍は独立を目指したジオン公国に圧倒的な戦力にもかかわらず国民の半数が殺され、ジオン軍の目を逃れるように対ジオン兵器の開発を行なっていたのだ。大きな目線で見れば、重要拠点であるが、一般市民からしたら死が隣り合わせの状態に追いやられたと同義であり、ジオン公国と同等の不快感を抱いている。

一方、ジオン公国は戦略に戦略を重ねた抜群の組織力で地球連邦軍を追い詰めるのだが、そこにも人間の欲望が入り込む。出世する為なら和を乱しても金塊を取りにいくような男が偵察中にもかかわらず基地に奇襲をかけてしまうのだ。両陣営の中にある、ネガティブな感情を提示してこの物語は始まる。

奇襲攻撃の渦中の中でアムロは、試験段階のモビルスーツ《ガンダム》に乗り込んで、奇襲ザクと対峙するのだ。ここでもハリウッド映画では観られないリアル路線の戦闘が楽しめる。ビームでザクを粉砕するのだが、燃料部分を破壊してしまい大爆発が起こる。すると、宇宙船に穴が空いてしまう。もう一体倒す際に、アムロはもう一度爆発起こしたら、船がもたない。どうすればよいだろう?と考え、コックピットの破壊を試みるのだ。そして、ザクを撃退し勝利の蜜を味わうのも束の間、赤い彗星と恐れられているシャアとの戦いに突入する。ダース・ベイダーのような仮面に覆われ、圧倒的カリスマのオーラを纏うシャアだが、彼も人間である。地球連邦軍の新型兵器の性能は分からない。故に距離をおいて、ガンダムの手数や弱点を見定めようとする。それに対してヒヨッコ兵士のアムロは、無駄弾を撃ち、早々に燃料が僅かとなる。本作では異様に、使えるエネルギーが限られており、直ぐにエネルギー不足となるのだ。

そして、『炎628』の少年兵のように憧れは地獄によって焼かれていき、彼の心は荒んでいく。祝福したり、心配する子どもたちやフラウ・ボゥを暴力的にあしらう。PTSDのように自暴自棄になるのだ。この己の倫理観が破壊され、強制的に大人の世界に放り込まれ、精神が崩壊していく描写、憧れの戦争から恐怖の戦争に変わっていく姿は、まだ第二次世界大戦の記憶がのこっているあの時代が未来に残した心理の表象なのではないだろうか?

大人の世界に揉まれて成長していくアムロ、それに対して部下に花を持たせ士気を高めるリーダーシップの塊を宿しながら的確に戦況を把握し地球連邦軍を徹底的に粉砕していくシャアをアムロが越えるべき存在として配置する。その横で敵味方という単純な白黒で区別できない人間の心理を漂わせる。

この複雑、知的なドラマに遅ればせながら燃え上がりました。

※画像は映画.comより引用

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