『はちどり』新人キム・ボラが韓国映画に新風と霊的何かを吹かせてきた!

はちどり(2018)
原題:벌새
英題:House of Hummingbird

監督:キム・ボラ
出演:パク・ジフ、キム・セビョク、イ・スンヨン、チョン・インギetc

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

コロナ自粛で長らく映画館へ行けてなかったのですが、ようやく劇場へ足を運ぶことができました。その第一回を飾るのは韓国映画『はちどり』。キム・ボラ監督デビュー作にして第69回ベルリン国際映画祭Generation部門でグランプリを受賞し、韓国本国でも大絶賛されている。私の映画仲間からも「今年ベスト級に素晴らしいよ」と猛プッシュされている作品だけにユーロスペースで観てきました。口コミも絶賛多しな為か、満席近くまで埋まっていました。ただ、本作は前提として1994年の韓国事情を知らないとよくわからないところが多い作品だった。それでも演出面で韓国映画界を別次元へ牽引する超絶技巧が確認できた作品である。韓国事情と絡めた評は他の人にお任せして、ここでは私が目撃したことに特化して感想を書いていきます。

『はちどり』あらすじ


1990年代の韓国を舞台に、思春期の少女の揺れ動く思いや家族との関わりを繊細に描いた人間ドラマ。本作が初長編となるキム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描き、世界各地の映画祭で数々の賞を受賞した。94年、空前の経済成長を迎えた韓国。14歳の少女ウニは、両親や姉兄とソウルの集合団地で暮らしている。学校になじめない彼女は、別の学校に通う親友と悪さをしたり、男子生徒や後輩の女子とデートをしたりして過ごしていた。小さな餅屋を切り盛りする両親は、子どもたちの心の動きと向き合う余裕がなく、兄はそんな両親の目を盗んでウニに暴力を振るう。ウニは自分に無関心な大人たちに囲まれ、孤独な思いを抱えていた。ある日、ウニが通う漢文塾に、不思議な雰囲気の女性教師ヨンジがやって来る。自分の話に耳を傾けてくれる彼女に、ウニは心を開いていくが……。
映画.comより引用

新人キム・ボラが韓国映画に新風と霊的何かを吹かせてきた!

団地の古ぼけた扉を叩き、「お母さん」と泣き叫ぶ少女。何度も扉を叩くが、母は出てこない。本作における、親に無視された存在を象徴させるショットから映画は始まる。観る者はノスタルジックな空気感に漂う異様な光景に違和感を抱きながら、2時間以上少女ウニの数奇な人生を共にするのだ。本作はアルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』と同じ手法が使われている。通常、映画は制作者と観客が神の視点を持ち、物語の中で転がされていく人々を観察するものである。しかしながら、本作では何気ない日常を並列に陳列し、物語ることを一度棄て去り、エピソードという点を散りばめモザイクを形成することで、未来にどんなことが起こるかわからない、歴史の渦中にいた人と同じ目線に観客を放り込む仕組みとなっている。なので、終盤にある出来事が起こるまでは並列に陳列された歪な家庭環境に驚かされるばかりである。

ウニは家族の一員であるにもかかわらず、まるで家族ではないようなオーラを醸し出している。姉、兄、そして両親は団欒しているのだが、彼女は常に蚊帳の外にいるような居心地の悪さがそこにある。かといって、彼女は幽霊ではなく母親と会話したりするので実在はする。この歪んだ空気感に霊的何かを感じる。彼女は親に期待されている兄や姉とは違い、完全に見捨てられているので、学校の勉強もサボりがち。クラスメイトからは家政婦にしかなれないと陰口を叩かれている。

学校にも家庭にも居場所はなく、他者を求めている彼女はクラブに遊びにいったり、後輩の女の子と同性愛的関係になったりする。だが、姉の塾サボりには激しく罵声を浴びせる父も、ウニには無関心なのだ。終いには、彼女が万引きして逮捕されても、「警察に身柄渡していいよ」と言い始めるし、外で母を見つけて「お母さん」と叫んでも、その声は全く届かないのだ。

この観たこともないようなネグレクトっぷりに唖然とするのだが、段々とそれが高度な演出の為に存在していることがわかるのだ。ソウル大学を目指す姉の存在が全然と映画の中で確認されないのだが、どうやら陰で兄から暴力を受けていることがわかるのだ。そして、無口で暴力や理不尽に耐えている姉の心情を代弁する役割としてウニが存在していることがわかるのだ。彼女は友だちと遊びたいし、勉強で押さえつけられた状況に反発したい、叫びたいのだが声をあげられない。代わりにウニが叫ぶことで韓国社会を取り巻く閉塞感に窒息しそうな少年少女の魂が浮かび上がる。しかし、その声を親が、先生が無視することでさらなる抑圧を強め、痛みが強調されていくのだ。そして、姉や後輩の女子友だち、そして漢文塾に女性教師のヨンジに漂う幽霊のようなふわふわして動きが世界を肉付けし、1994年に漂う悲痛な魂を感傷的に観客へ突きつけた。

思い返してみれば、ウニがヨンジにスタンダールの『赤と黒』を貸したのも、社会という枠組みから逃れようと足掻くも社会に殺されてしまうジュリアン・ソレルと自分を重ね合わせ、助けを先生に求めているのを暗示していると言える。受験競争が激しい韓国の歪な抑圧をここまで高度に包み込んだキム・ボラ監督、それも韓国映画十八番のパワフルな表現や、ホン・サンスのような会話で時空を歪める手法、イ・チャンドンのようなスピリチュアルさから人間の心を描く演出全てを乗り越え、全く新しい手法で韓国映画に新風を吹かせたキム・ボラ監督の技量に圧倒されました。

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