【Netflix】『37セカンズ』《あなたのため》は束縛する、あるいは見て見ぬ振りをする

37セカンズ(2019)
37 Seconds

監督:HIKARI
出演:佳山明、神野三鈴、大東駿介、渡辺真起子、熊篠慶彦etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で観客賞とCICAEアートシネマ賞を受賞し、日本でも公開されるや否や絶賛されていた『37セカンズ』が早くもNETFLIXで配信されました。ベルリン国際映画祭ものは結構ハズレが多いのですが、ベルリンが選ぶ日本映画のセンスはなかなかのもの。『ゆきゆきて、神軍』から『愛のむきだし』、『彼らが本気で編むときは、』などといった作品が紹介され賞を獲っている。個人的にベルリンが選ぶ日本映画は他の日本映画と比べて面白い方向に抜きん出ている気がしているので観てみました。これが素晴らしい作品でした。

『37セカンズ』あらすじ


出生時に37秒間呼吸ができなかったために、手足が自由に動かない身体になってしまった女性の自己発見と成長を描き、第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で観客賞とCICAEアートシネマ賞を受賞した人間ドラマ。脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)は、異常なほどに過保護な母親のもとで車椅子生活を送りながら、漫画家のゴーストライターとして空想の世界を描き続けていた。自立するためアダルト漫画の執筆を望むユマだったが、リアルな性体験がないと良い漫画は描けないと言われてしまう。ユマの新しい友人で障がい者専門の娼婦である舞は、ユマに外の世界を見せる。しかし、それを知ったユマの母親が激怒してしまい……。主人公のユマと同じく出生時に数秒間呼吸が止まったことによる脳性麻痺を抱えながらも社会福祉士として活動していた佳山明が、オーディションで見いだされ主演に抜てき。母親役を神野三鈴、主人公の挑戦を支えるヘルパー・俊哉役を大東駿介、友人・舞役を渡辺真起子がそれぞれ演じる。ロサンゼルスを拠点に活動するHIKARI監督の長編デビュー作。
映画.comより引用

《あなたのため》は束縛する、あるいは見て見ぬ振りをする

生まれてから車椅子生活を余儀なくされている脳性麻痺の貴田ユマの生活が映し出される。好きな漫画を描くことを生業とし、家族との仲も良さそうだ。世界は青く澄んでおり、障がいを抱えながらも自分の居場所を見つけた幸運な生活が描かれている。しかし、彼女はさりげなく目で孤独を語る。電車の中、ふと周りを見渡す彼女。化粧をする女性にどこか憧れを抱いている。そしてゴーストライターとして生きる彼女は、youtuberやサイン会と忙しい相方をキラキラとした目で眺めている。そんな彼女は、意を決して官能漫画を描いて編集部に行くのだが、「リアリティがない。」と突き返されてしまう。好きなことで生きてはいけるが、全く承認欲求を満たせていないのだ。そんな彼女は出会い系サイトに登録する。次々と現れる男は、変な人ばかりだ。純粋な恋をしたいのに、この身体がそうさせないことにモヤモヤする感情を、小さく可憐な声でごまかしながら遂に好きな男を見つけるがそれも無残に、残酷に打ち砕かれる。しまいに男娼とすら満足に欲を満たせない状況にまで辿り着き、絶望の淵に立たされる。そんな彼女を救ってくれたのは、同じく車椅子生活を強いられながら快楽の中で生きる男と、それを支えるマダムであった…

本作は、障がい者の生活を深いところまで斬り込んだ作品でありながら、日本のインディーズ映画にありがちな閉塞感から伴う苦痛を叫んだり、貧乏くさい描写を数珠繋ぎにするクリシェから逸脱することに成功している。日本映画とは思えない、繊細ゴージャスな色彩の中で複雑な感情を紡いでいるところからも既に秀でたものを感じるが、それだけでなくユマの目線というものを丁寧に丁寧に描いているところが好感持てる。

彼女は、好きな仕事に就いているし、周りからの理解もある。しかし周りからの目線は、ひたすら《障がい者》としてのユマだ。それはつまり、彼女は何もできない。彼女は憐れむべき人であるという目線である。そして、それが母親の無意識な邪悪を生み出してしまう。何もできないという無意識な感情が、ユマを縛り付け結局彼女が社会と関わることで得られる幸福や、自立することで得られるものを奪ってしまっている。

ユマは夜遊びをしたことに「誘拐されたらどうするのよ」と怒る母にこう言う。

「誰も私のことなんかみてくれない。」

誰もが彼女とあったことを憶えている。彼女のことを丁寧に扱ってくれる。それは男娼であってもだ。しかしながら健常者の行動の中にあらわれる、障がい者と接している気持ちや、障がい者と接している気持ちを隠そうとする様は彼女にとってお見通しなことなのだ。では、路傍の石であることに絶望した彼女はどう自分を見つけていくのだろうか?

この手の映画では、このシチュエーションからひたすらどん底に物語を掘り下げて行くでしょう。その方がリアリティが出るし、同情票で賞を獲りやすくなるから。しかし、HIKARI監督は違う。その演出は、結局この映画に登場する見せかけだけの優しい人と変わらないのだ。だからこそ、優しいマイノリティたちに導かれる幸運の手でもって彼女は自分探しの旅を実現させていく物語となってくる。これぞ寓話だ。映画だと言わんばかりに。

そして、その寓話的幸運が紡ぎ出す彼女の自立は、この世にいる不自由に苦しめられている人に勇気を与えるものとなった。

絶望的な現代、日本映画界では絶望が消費される厭な時代になってしまっているなと感じていましたが、本作を観ると日本映画の未来にも少しは光があるんだなと思う。

これは今年、全力で推していきたい一本且つ、HIKARI監督は今後も注目していきたい人物である。

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