La France contre les robots(2020)
監督:ジャン=マリー・ストローブ
出演:Christophe Clavert
もくじ
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、突如ジャン=マリー・ストローブが最新作『La France contre les robots』を自身のサイトで発表しました。案の定難解な作品でしたが、頑張って考察してみました。
『La France contre les robots』概要
※この映画の概要、あらすじは見つかりませんでしたLe mot de Révolution n’est pas pour nous. (革命という言葉は我々の為ならず。)
先日、突如発表されたジャン=マリー・ストローブ最新作。『悪魔の陽の下で』、『田舎司祭の日記』で知られるジョルジュ・ベルナノスが1947年に発表した産業社会に対する批判をまとめたエッセイの一節を暗唱し歩く姿を背後から撮り、同じものを2度繰り返す演出となっている。
実際に暗唱されるのは下記の部分である。
Le mot de Révolution n’est pas pour nous, Français, un mot vague. Nous savons que la Révolution est une rupture, la Révolution est un absolu. Il n’y a pas de révolution modérée, il n’y a pas de révolution dirigée comme on dit l’Economie dirigée. Celle que nous annonçons se fera contre le système actuel tout entier, ou elle ne se fera pas. Si nous pensions que ce système est capable de se réformer, qu’il peut rompre de lui-même le cours de sa fatale évolution vers la Dictature – la Dictature de l’argent, de la race, de la classe ou de la Nation – nous nous refuserions certainement à courir le risque d’une explosion capable de détruire des choses précieuses qui ne se reconstruiront qu’avec beaucoup de temps, de persévérance, de désintéressement et d’amour.
Mais le système ne changera pas le cours de son évolution, pour la bonne raison qu’il n’évolue déjà plus; il s’organise seulement en vue de durer encore un moment, de survivre.
Loin de prétendre résoudre ses propres contradictions, d’ailleurs probablement insolubles, il paraît de plus en plus disposé à les imposer par la force, grâce à une réglementation chaque jour plus minutieuse et plus stricte des activités particulières, faite au nom d’une espèce de socialisme d’Etat, forme démocratique de la dictature.
Chaque jour, en effet, nous apporte la preuve que la période idéologique est depuis longtemps dépassée, à New-York comme à Moscou ou à Londres.
Nous voyons la Démocratie impériale anglaise, la Démocratie ploutocratique américaine et l’Empire marxiste des Dominions Soviétiques sinon marcher la main dans la main – il s’en faut ! – du moins poursuivre le même but, c’est-à-dire maintenir coûte que coûte, fût-ce en ayant l’air de le combattre, le système à l’intérieur duquel ils ont tous acquis richesse et puissance.
Car, à la fin du compte, la Russie n’a pas moins tiré profit du système capitaliste que l’Amérique ou l’Angleterre ; elle y a joué le rôle classique du parlementaire qui fait fortune dans l’opposition.
Bref, les régimes jadis opposés par l’idéologie sont maintenant étroitement unis par la technique.
Le dernier des imbéciles, en effet, peut comprendre que les techniques des gouvernements en guerre ne diffèrent que par de négligeables particularités, justifiées par les habitudes, les mœurs.
Il s’agit toujours d’assurer la mobilisation totale la guerre totale, en attendant la mobilisation totale pour la paix totale.
Un monde gagné pour la Technique est perdu pour la Liberté.
訳:革命という言葉は我々の為にあらず、フランス語における曖昧な言葉である。我々は革命がある種の破裂、革命が絶対的であることを知っている。
穏健な革命は存在せず、計画経済と呼ばれるような方向性のある革命は存在しない。我々が宣言しているのは、現在のシステム全体に対するものか、そうでないものである。
このシステムがそれ自体を改革することができると考えた場合、独裁制(貨幣、人種、階級、国家の独裁制)への致命的な進化の過程を打破することができだろう。
我々は確かに、多くの時間、忍耐力、無関心、そして愛をもってのみ再建される貴重なものを破壊することができる爆発の危険を冒すことを拒否するだろう。
だが、もはや進化していないという正当な理由により、システムは進化の過程を変えることはない。それはより長く持続させ、生存させるためにのみ形成されるのだ。
おそらくは溶けることなき自分自身の矛盾を解決するふりをし、ある種の国家社会主義の名の下に作られた特定の活動をより細分化、より厳格にした日々の規制のおかげで、ますます力で市民を強制するようになっている。
国家社会主義の独裁的民主形態。実際、毎日、イデオロギーの時代が過ぎ去ったことの証拠が、ニューヨークやモスクワ、ロンドンにある。我々は、イギリス帝国民主主義、アメリカの民主主義、そしてソビエト支配のマルクス主義帝国を、手を取り合うべきだ。
必要なのだ!
少なくとも同じ目標を追求すべきだ。つまり、たとえそれがそれと戦っているように見えても、彼らがすべて富と権力を獲得したシステムを維持する必要がある。
結局のところ、ロシアはアメリカやイギリスと同じくらい資本主義のシステムから利益を得てきたからにある。資本主義のシステムは野党で国会議員に幸運をもたらす古典的な役割を果たした。要するに、かつてイデオロギーによって反対された体制は現在、技術によって密接に統合されているのだ。
実際、昨今の愚か者は、戦争での政府の技巧が習慣などによって正当化され、無視できる特殊性だけが異なることを理解できます。
それは、完全な平和のための完全な動員を待って、完全な戦争のために完全な動員を確保することは常に問題である。
テクノロジーのために勝った世界は自由のために失われます。
ストローブ=ユイレの映画は、思想や哲学をそのまま映画に閉じ込めることで、その思想や哲学の本質を捉えようとしている。『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』では、バッハが生きた時代の服や空間を完全に再現することによって、映画における歴史を完全に一致させることとは何かを捉えた。1/nのnにどんな数を入れても0にはならないが、限りなく0に近づけることと一緒で、完全に歴史と一致することはないが、限りなく歴史に近づけることができることをストローブ=ユイレは表現しているのだ。
話を戻そう。この『La France contre les robots』の場合、機械化等による社会システムの合理化により、人の自由が奪われてしまう様を批判したジョルジュ・ベルナノスの思想を如何に10分で収めることができるのかに集中している。ここで3箇所に注目していただきたい。
1.背後を捉える
これは、人の顔を映さないことにより、人間が社会システムの一部、つまり歯車になってしまうことを表現していると言える。人の顔が見えないことで、個性というものの喪失が描かれている。
2.暗唱は2度繰り返される
機械化とは、容易に複製できることを示す。人が味わい深い語りで暗唱してしまったものも、容易に複製できてしまうことで、人間の価値が安価に成り果ててしまう様を描いている。また、これは映画が複製されてどこでも観賞できる状態になっていることをメタ認知させることにも成功しており、尚且つ今回、Web公開したことでベルナノスの時代以上に産業社会が進んだ今を捉えている。
3.引用箇所
フランスでは《革命》をもって、自由を得たと言うが果たしてそうだろうか?1789年フランス革命によって、貴族社会を破壊し、ルイ16世をギロチン処刑したが、ナポレオンによるより強権的な社会となった。そして、2015年のシャルリー・エブド事件以降、フランスでは各派閥が革命のようにデモや時には過激な活動を行なっている。しかし、本当に大事なのは「同じ目標を追求すること」なのでは?とジャン=マリー・ストローブは静かに物語っていると言えよう。
そして新型コロナウイルスで、戒厳令的状態となり、差別や憎悪、悲愴と喪失感がフランス社会、いや世界中で広がる中、本作を発表したことは、ストローブの強いメッセージの表れと言えよう。
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