【追悼】『野ゆき山ゆき海べゆき(豪華総天然色普及版)』大林宣彦曰く映画でなら戦争を倒せる!

野ゆき山ゆき海べゆき(豪華総天然色普及版)(1986)

監督:大林宣彦
出演:鷲尾いさ子、佐藤浩市、竹内力、尾美としのり、佐藤允、小林稔侍etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

2020年4月11日、悲しいニュースが私の耳に入った。それは鬼才・大林宣彦がガンで亡くなったという報せであった。大林宣彦監督は私の青春の監督であり、私を映画沼へ誘った人物である。多感な中学・高校時代、『青春デンデケデケデケ』の輝ける青春の終わりに胸が締め付けられ、『異人たちとの夏』ではノスタルジックな作品だと思いきや、クライマックで明らかにされるぶっ飛んだ展開に開いた口が塞がらず、『HOUSE』や『漂流教室』の自由な演出に舌鼓を打った。また、高校3年生の頃、母親とアップリンク渋谷で『この空の花 長岡花火物語』を観た時、老年になれど全く衰えない彼渾身の遺言状にノックアウトされた思い出がある。そんな彼が亡くなったのだ。

『花筐』で余命僅かと言われていた彼は、映画の完成と共にガンが消滅する奇跡を起こした。

そんな彼もいつか亡くなるのだ。

映画を愛し、映画に愛された男は、本来であれば新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の公開日である4/10に亡くなった。


ここ最近、毎回遺作レベルの遺言状を作っている彼の最新作は新型コロナウイルスの蔓延で観られないので、今回未観であった『野ゆき山ゆき海べゆき(豪華総天然色普及版)』を観てみました。本作は、公開当時白黒版とカラー版が存在していた作品。私はカラー版に挑戦してみたのですが、これが昨今のタランティーノイズム全開な作品であり、また『WE ARE LITTLE ZOMBIES』の長久允監督が好きだと語るのも分かる一本でありました。

『野ゆき山ゆき海べゆき』あらすじ


第一尋常小学校に通う須藤総太郎は、第二尋常小学校から転校して来た大杉栄の姉、お昌ちゃんに淡い恋心を抱くようになった。だが、彼女には筏乗りの早見勇太という恋人がいた。栄は乱暴な性格が原因で第二小学校を追い出されたのだが、早速クラスのガキ大将、ボンチャンとの権力争いを始める。争いはエスカレートして遂には第一小学校側と、第二小学校側の大喧嘩となる。お昌ちゃんから相談された総太郎は、一定のルールに従い武器を使用禁止の戦争ごっこを提案した。夏休みに入り、戦争ごっこが始まった。その頃、子供たちの世界だけでなく、大人たちの世界にも戦いの波がおしよせてきていた。戦争ごっこの一日め、総太郎のドロナワ作戦が功を奏する。その夜、日本軍の大勝利に町の人々が騒ぐなか、泥酔した総太郎たちの担任、川北先生はお昌ちゃんと一緒にいた平和主義者の勇太に、嫉妬にかられて絡み非国民と罵った。翌日、子供たちは捕虜の交換を行なうが、飛んできた石がきっかけに石の投げ合いとなり皆傷ついてしまう。栄と総太郎は一対一の勝負で、タライ舟から先に川に落ちた方が負けという決闘をした。お昌ちゃんが審判だったが、勇太の姿を見て役目を放棄してしまう。それを見た総太郎は「もうやめた」と岸に向かうが、栄はやりばのない怒りをぶつけ総太郎の腕を折ってしまう。翌日、謝りに来たお昌ちゃんは、総太郎に栄は妾の子のため兵学校に行けず、また異母姉弟の自分に恋してしまったから乱暴になったのだと話した。ある日、総太郎と栄は栄の母、里が夫の繁太郎の借金のためにお昌ちゃんを四国の遊郭に身売りしようとしていることを知った。また勇太にも赤紙が来る。彼はお昌ちゃんと駆け落ちすることを決心するのだが、仲間の戦死を知り、その遺骨を抱く老婆の姿を見て戦争に行かせてくれと言う。お昌ちゃんたちが四国へ連れて行かれる日、総太郎たちは掠奪大作戦を開始。それは成功したが、親に売られ帰るところがない娘たちは港に戻る。お昌ちゃんが売られるのを知った勇太は脱走し、小舟でお昌ちゃんの乗っている舟に近づく。お昌ちゃんは石油をかぶり「近づいたら火をつける」と小舟に移る。だが、青木中尉が燈台から撃った弾が勇太を貫いた。お昌ちゃんは小舟に火をつけ、二人は小舟と共に水没していく。
映画.comより引用

大林宣彦曰く映画でなら戦争を倒せる!

タランティーノは『イングロリアス・バスターズ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で映画の《嘘》を用いて悲惨な過去を変えることをしていた。それは大林宣彦も『野ゆき山ゆき海べゆき』の中で行なっていた。

相変わらずイマジネーションの洪水が観る者に襲いかかる。双眼鏡を覗くと、女の子が第四の壁を破るように、「人の双眼鏡を奪っちゃダメよ」と語り出す。少年同士の会話は、特殊な空間で行われ、天地がひっくり返った状態で少年2人が語りあうのだが、じっくりと観察すると、それが鉄棒で天地がひっくり返った状態で会話されていることに気づかされる。アニメではお馴染み、先生が転校生を紹介する場面では、まだ教室に先生も転校生も入っていないのに、先生は廊下から「彼は転校生だ仲良くしてくれ給え」と語り始めるのです。色彩を帯びた中で、鷲尾いさ子の可憐な姿が強調され、真夏の清々しい晴天が陰鬱とした今を癒してくれるのだが、少年たちが戦争ごっこをし始めた辺りから、徐々に日常を侵略していく戦争というものの酷さを強く訴えていく。

幼少時代、戦争を体験している大林宣彦監督は、少年特有のイマジネーションの中で戦争を語ろうとしているのだ。そして映画の中でなら戦争を破壊できる。悪い人をやっつけることができるという信念で物語が紡がれていく。

そして本作は間違いなく、豪華総天然色普及版の方が傑作だ。何故ならば、クライマックス部分を白黒にすることにより、より一層戦争撲滅の意志が強調され、観る者にカタルシスを与えるからである。

タランティーノが映画の中でヒトラーを殺したように、大林宣彦監督は映画の中で戦争そのものを祭の高揚感と共に消滅させた。

これぞ映画の正しい《嘘》の使い方である。

コロナウイルスが収束したら、彼最期のメッセージ『海辺の映画館―キネマの玉手箱』を観に映画館へ行きたいなと思う。

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