透明人間(2019)
The Invisible Man
監督:リー・ワネル
出演:エリザベス・モス、オルディス・ホッジ、ストーム・リードetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
新型コロナウイルスの影響でアメリカのBOX OFFICEは初めて週間興行収入ランキングを発表しない決断をした。これは今後フランスのAlloCiné等にも影響を与えるであろう。そして大手映画会社は苦渋の決断として劇場公開作品をiTunes等で配信することに踏み切りました。そのラインナップには、公開前から物議を醸していた『透明人間』も含まれていました。H.G.ウェルズの同名小説を1933年にジェイムズ・ホエールが映画化して以降、幾度となく映画化されてきた。日本でも円谷英二が特撮を務めた『透明人間現わる』、『透明人間』、亜流として『ガス人間㐧1号』なんかも製作されました。鬼才もこのジャンルに果敢に挑戦しており、ジョン・カーペンター版『透明人間』では、放射能実験の失敗で建物の一部が透明になってしまう様をユニークな美術演出で盛り上げた。ポール・バーホーベンは透明人間になって男が考えることはどうせエッチなことでしょうと、変態描写に力を入れた。さて、今回の『透明人間』はどうなのか?
今回はそれについて語っていきます。
『透明人間』あらすじ
「ソウ」シリーズの脚本家リー・ワネルが監督・脚本を手がけ、透明人間の恐怖をサスペンスフルに描いたサイコスリラー。富豪の天才科学者エイドリアンに束縛される生活を送るセシリアは、ある夜、計画的に脱出を図る。悲しみに暮れるエイドリアンは手首を切って自殺し、莫大な財産の一部を彼女に残す。しかし、セシリアは彼の死を疑っていた。やがて彼女の周囲で不可解な出来事が次々と起こり、命まで脅かされるように。見えない何かに襲われていることを証明しようとするセシリアだったが……。主演は、テレビドラマ「ハンドメイズ・テイル 侍女の物語」のエリザベス・モス。
※映画.comより引用
DV被害者は叫ぶ!されど誰も信じてくれない。暴力だけが寄り添う恐怖の問題作
ダーク・ユニバースは死んだ!2017年、『ミイラ再生』のリブートさせた『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』を筆頭に、ダーク・ユニバースを始動させようとしていた。このプロジェクトはマーベルやDCの活躍でユニバース映画がポピュラーになりつつも『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』の知名度がイマイチ上がらずモヤモヤしている映画ファンには朗報であった。ブンブンもその中の一人で、楽しみにしていた。そして、他の作品では観られないトム・クルーズ像を演出するチャレンジングな映画に仕上がっていたのだが、結果は惨敗。ダーク・ユニバースプロジェクトは塵となって消えた…しかし、ひょっとしたそれはこの大傑作を生むための伏線だったのかもしれない。
もし、予定通りジョニー・デップ主演で『透明人間』をリメイクしていたらこんな作品にはなっていなかったと言えよう。
本作は、徹底的にDVによる心理的苦痛を分析し、そこにスタイリッシュな透明人間をぶつけることで、一流の社会派ホラーに仕上がっている。
冒頭、ヒロインであるセシリア(エリザベス・モス)はコップに水を入れ、薬を忍ばせ、夫の横に置く。しかし、何を思ったのか、彼女は水を捨ててしまう。監視カメラを動かし、夫をスマホから監視しながら万全の体制で家出を試みる。相手は人間故に、ここまで万全の体制で脱出するのであれば怖くないのではと思うかもしれないが、ガランとした空間、死角がありそうで無いような空間を抜き足、差し足、忍び足でそろり、そろりと逃げる彼女には緊迫感があり、観客はハラハラドキドキしながら画面に釘付けとなることでしょう。そしてなんとか脱出するところで前座は終わる。
すると、夫は何故か自殺してしまうのだ。そして財産の一部を彼女に残す遺書が出現する。力で人をコントロールする者特有の、関係者以外には害がなく見えるが、当事者は背筋がゾワっとする文章で彼女の心を揺さぶってくるのです。すっかりPTSDとなってしまい、怯えている彼女の周りで怪奇現象が起こる。毛布が物理法則無視して静止したりする。これは夫の罠だと、匿ってくれている仲間に助けの声をあげるが、彼女が叫べば叫ぶほど、彼らは遠ざかっていくのだ。恐ろしいことに、彼女の目の前で仲間がビンタされたかのように蹌踉めくと、その仲間は彼女にビンタされたと勘違いし憎悪を募らせていくのです。まさしく、DV被害者の誰も助けてくれない、誰も信じてくれない、社会が遠ざかり暴力が近づく様をネチネチと描いていくのです。
そして、アップグレードされた透明人間がやがて姿を表す。『透明人間』はもはや古臭いモンスターになってしまったのか?それは否だ!という意志を感じさせる造形がそこにありました。そしてその造形を観た時に多くの人はこう思うでしょう。「フィギュアがあったら欲しい」と。これぞ重要なポイントで、DV加害者が持つ、暴力的で逃げたいのだがどこか魅力的なオーラを纏っていて離れることができない様を再現するために、透明人間像はカリスマ的不気味さを持ったものとなっていました。そのフォルムといい、動きといい、恐らく小島秀夫の『メタルギアソリッド』シリーズに出てくるヴィランを意識したものでしょう。
本作はDV被害者、それ相応のトラウマを抱えた人は観ることのできないリアルなグロテスクに溢れた作品となっている。しかし、それはDV加害者に対する怒りの鉄拳でもある。そしてエンターテイメントにも吹っ切れることで、その鉄拳は砕けぬことのなき強固さを宿した。好き嫌いは露骨に分かれる作品であるが、今年の上半期ベスト候補な大傑作であった。
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