【考察】『最高の花婿』何故フランスで社会現象となったのか?鍵は『翔んで埼玉』にあり!

最高の花婿(2014)
Qu’est-ce qu’on a fait au Bon Dieu?

監督:フィリップ・ドゥ・ショーヴロン
出演:クリスチャン・クラヴィエ、シャンタル・ロビー、アリ・アビタンetc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

来週2020/3/27(金)よりYEBISU GARDEN CINEMAで『最高の花婿 アンコール』が公開されます。

本作は、2014年にフランスで10週間に渡り観客動員数ランキング1トップテン入りを果たし、年間観客動員数1位を獲得した『最高の花婿』の続編です。前作の盛り上がりはフランス留学中に肌で感じていました。どの家に遊びに行っても本作のブルーレイがあり、フランス人の会話の中でも頻繁に本作が話題にあがっていました。また、スーパーでは入り口に9ユーロで山積みされているぐらいに注目されていました。

ブンブンも留学中、ホストマザーに勧められてみたのですが、その頃は何故そこまで流行したのかが分かりませんでした。しかしながら、今回観直してみたところ、この映画の立ち位置の認識が誤っていたのではと感じました。今回は、何故フランスであれ程までに社会現象になったのかを紐解いていきます。

『最高の花婿』あらすじ


多様な人種や宗教が混在するフランス社会を背景に、敬虔なカトリック教徒の夫妻が、娘の結婚相手をめぐって繰り広げるドタバタを描いたコメディドラマ。フランスで1200万人を動員する大ヒットを記録した。ロワール地方の町シノンに暮らすヴェルヌイユ夫妻は信心深いカトリック教徒で、3人の娘がそれぞれユダヤ人、アラブ人、中国人と結婚。これから結婚する末娘には、せめてカトリック教徒と結婚してほしいと願っていた。そんな末娘のボーイフレンドは、カトリック教徒だと聞いて安心していた夫妻だったが……。2015年のフランス映画祭では、「ヴェルヌイユ家の結婚狂騒曲」のタイトルで上映された。
映画.comより引用

鍵は『翔んで埼玉』にあり!

まず本作は原題から注目していただきたい。

『最高の花婿』という銀座や恵比寿マダムが好きそうな映画のタイトルとなっていますが、原題は『Qu’est-ce qu’on a fait au Bon Dieu?』。フランス語を読み慣れてないと長いのですが、発音してみると《ケスコナフェ オボンデュー》と口触りが良いフレーズとなっており、訳するならば《神様が何をしたっていうんだい?》とクダけたタイトルになっています。

そして本作は、フランスの保守的家族の4人娘がイスラム教徒、ユダヤ教徒、中国系とそれぞれ結婚し、最後の一人がコートジボワール人と結婚することになり混乱する様を滑稽に描いています。2014年に観賞した時は、ポスト『最強のふたり』な作品として認識していました。『最強のふたり』はこれまでフランス映画界のメインストリームに黒人移民が存在できなかったことに革命をもたらした作品。主演のオマール・シーがその後フランスの移民映画の顔として沢山の映画に出演し、ハリウッド大作にも出演する大出世を果たしたことで、フランス映画の中でパリの移民が観測されるようになった歴史的な一本であります。

『最高の花婿』はまさしく、『最強のふたり』の成功なくして成立しなかった移民の映画だと思っていたのだが、『最強のふたり』と比べると物語のクセが非常に強く日本人からするとヒットの要因が捉えづらい作品となっていました。

ただ、2019年日本である作品が大ヒットしたことで、その要因を掴むことができました。

それは『翔んで埼玉』です。

昨年37.6億円の興行収入を獲得し、日本映画の年間興行収入ランキング8位に位置付けたこの作品は、埼玉や千葉など様々な場所に対する嘲笑を自虐的に描いた作品で、そのネタの共感度から社会現象となりました。『最高の花婿』はまさしく、同じ構造を持っています。

一般的に社会では差別はよくないとされています。また、国籍や地域で、「〜人は○○だ」と判断することはステレオタイプだとされます。しかし、人は誰しも意識的/無意識に他者を区別します。他者の集合を特徴付けようとします。そしてステレオタイプだとわかっていても、例えば旅先で「ニンジャ、ゲイシャ、ニーハオ」と言われると、どこか親近感が湧いたりします。

現代のモラルでは、「よくないこと」とされているので抑圧されている差別や区別の感情を、映画というフィクションで持って絞り出してくれる。その解放感と、社会現象になるにつれて、結局皆そう思っていたよねという一体感が良い意味でも悪い意味でもヒットに繋がったと言えよう。そして、ビジネスマナーで食事の場では政治や宗教の話をしてはいけないと言われているが、フランス留学をして思ったことは、フランスは政治や宗教の話をできてこそ仲間や家族になれる文化を持っていたことだ。家族や友人の集まりでは、常にフランソワ・オランド(2014年当時の大統領)はああだが、安倍首相はどうなのか?日本では何を信じているのか?といった議論が白熱していました。

さて、話を戻そう。本作では、90分延々と、文化の表層をなぞった嘲笑が駆け巡ります。ユダヤ人の割礼の儀式で切った赤ちゃんの包皮を入れた箱を親が受け取りドン引きしたり、ハラル、コーシャ、中国式七面鳥を食べる局面で、露骨に「おいらはそんなのいらねぇよ」と言い始めたり、中国人はカンフー得意なんだろ、おらやってみろよジャッキー・チェンみたいにさと煽りを入れてきたりします。

啀み合う、イスラム教徒、ユダヤ教徒、中国系の家族が、アフリカ系という謎の存在を前に一致団結し始めるところにこれまた毒が滲み出ています。コートジボワール人の父親は結婚式を壮大にしようと400人もの人をフランスに送り込もうとする。そして彼は、白人に黒人に対する罪を償ってもらうと、結婚式の費用を全額出してもらおうとするのだ。露骨かつ悪意を持ってコートジボワール人が描かれていくのである。

そう考えると、酷い映画なのではと思うのですが、本作は絶妙なバランス感覚で批判から免れている。というのも、全人種を均等に嘲笑しているのだ。当然ながらフランス人も、自由が自由が!と言っているが、結局保守的で余所者を拒絶している。他者の自由を認めていないだけではと批判の眼差しで描かれているのだ。それだけに、『翔んで埼玉』同様、自虐ネタとして愚かな映画の中の差別を笑うことができるのです。

非常に際どい、しかし鋭い『最高の花婿』。続編ではどのように仕上がっているのか楽しみです。

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