【TNLF2020】『サイコビッチ』ノルウェーにもあった『惡の華』

サイコビッチ(2019)
PSYCHOBITCH

監督:マーティン・ルン
出演:エリ・リアノン・ミュラー・オズボーン、Jonas Tidemann、Jannike Kruse、ヘンリク・ラファエルソンetc

評価:99点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年の上半期は、何故か映画祭/特集上映が充実している。イスラーム映画祭、恵比寿映像祭、アンスティチュフランセの特集上映に、死刑映画祭、アテネフランセのフィリピン映画特集等々。一般公開作なんか、ましてや『ヲタクに恋は難しい』なんか観ている暇などないというのが実情である。さて、今年も北欧映画の祭典トーキョーノーザンライツフェスティバルが開幕しました。本祭は大学時代から毎年のように参加している映画祭。毎回面白いラインナップなので楽しみにしています。とはいってもなかなかベストテンに食い込む作品には巡り会えないのですが、今年は違います。1本目からホームランを引き当てることができました。それが『サイコビッチ』であります。

『サイコビッチ』あらすじ


学校で浮きまくる 問題児 「サイコビッチ」フリーダと学習ペアを組むことになってしまった模範生のマリウス。完璧だったはずの彼の生活は乱されてしまうが、ある日、クラスの一軍女子からスクール・ダンスに誘われて……エキセントリックな少女が、周囲の期待に応えるために抑圧していた少年の心を開放していく学園ラブコメディ。
※TNLF2020より引用

ノルウェーにもあった『惡の華』

2019年、日本では押見修造の『惡の華』が実写化された。クラスの問題児・仲村佐和に同級生の体操着をうっかりテイクアウトしていることを見られてしまった春日高男が、性と悪の奴隷になっていく様子を描いた作品で、漫画だと毎巻マイページ修羅場修羅場修羅場の釣瓶打ちとなっておりハラハラドキドキさせられた作品である。実写版では、原作を見事に2時間に圧縮した井口昇監督の手腕、そして玉城ティナのファムファタールっぷりに感心したのですが、原作を意識しすぎてぎこちない作りになっていたことは確かだ。
さて、『サイコビッチ』はノルウェーの新鋭マーティン・ルン監督第3作目。主演に『ウトヤ島、7月22日』のエリ・リアノン・ミュラー・オズボーンを抜擢して描くノルウェー版『惡の華』はフランスのアンジェ映画祭で観客賞を受賞した作品である。

成績優秀、恵まれた家庭で育っている中学生マリウスには好きな女の子がいるが、思春期特有の恥じらいでなかなか声をかけることができない。そこでマリウスはあることを思いつく。それはグループ学習の提案だ。グループ学習を促し、上手いこと彼女と同じ班になれたらなという想いは呆気なく粉砕される。先生から「フリーダと同じグループになってほしい」と言い寄られてしまうのだ。転校してきたばかりで学校に馴染めないばかりか、授業中に教室から飛び出したり、自殺未遂を図ろうとする問題児フリーダの世話なんか!と思う彼であったが、これも学校の成績の為とフリーダのもとへ行く。しかし、開幕早々、彼女は自分を教室に入れてくれなかったり、自分のサンドウィッチを壁に投げつけられたりするのだ。しかし、段々と彼女に接していくうちに、《模範的生徒》という抑圧された殻が壊れていき、彼女に対する愛着が湧いてくるのだ。しかしながら、そこに当初の目的だった意中の同級生レアからプロムでのダンスパートナーのお誘いが来る。

エレクトロで開放的な音楽の中で展開される、修羅場の釣瓶打ちは、滑稽ながら終始油断ができない。例えば、マリウスとフリーダが夜の学校の屋上でいちゃついていたら、警備員に屋上の鍵を閉められてしまう。なんとか、窓から教室に忍び込むのだが、警報がなり、警備員と追いかけっこが始まる。さて、次の日マリウスは無事でいられるのか?すっかり、レアに魅力を感じなくなってしまったマリウスが、クラスメイトの誤解によって良い感じの部屋で皆が外から耳をそばだてているなか、彼女と夜の営みを行わないといけない場面で、それとなく「おーん」と喘ぎ声をあげるシーンでの緊迫感、そしていつしか二重恋愛に陥ってしまったマリウスの苦悩。どっちに転がっても地獄な状態で、最小限のダメージで済む道を突き進むマリウスに手汗握るものを感じる。

そして、本作の素晴らしいところは、フリーダの描写である。通常、映画におけるこの手の問題児は、家庭環境が悪かったり、病気といった形でキャラクタライズされてしまう。しかしながら、本作は最後まで何が彼女を狂気に走らせたのかが明らかにされない。ファムファタールの匂いを最後まで維持しているのだ。ここに、『ジョーカー』でブンブンがあまり乗れなかった要素の本質が見えてくる。狂気を描く際に、その狂気の理由を説明するのは悪手だと言えるのだ。狂気を説明した途端、脚本家ないし監督の物語を肯定するための言い訳になってしまうのだ。『ジョーカー』の場合、トッド・フィリップスの都合に応じてアーサーの病気が持ち出されているところに不満を感じていた。話を戻すと、『サイコビッチ』ではフリーダの素性が全く分からないのです。フランス語訛りのノルウェー語を話しているところにもよく分からないところが滲み出ているのですが、彼女の家庭環境も至って普通だ。確かにマリウスの家庭は中産階級以上の豊かさがあるのですが、それと対比して貧しい家庭といった構図にはなっていないのです。もちろん、先生は「彼女は学校にも家にも居場所はない」といっているのだが、彼女は家でのほほんとしているし、親との仲も良さそうに見えるので、それは先生の先入観であることが分かる。だからこそ、フリーダが魅力的に感じるのだ。得体の知れない狂気に、マリウス同様惹きこまれていくのです。

これは一般公開できるポテンシャルも持ち合わせているので、是非ヒューマントラストシネマ渋谷あたりで上映されることを期待したい。

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