【ネタバレ酷評】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』山崎貴のイオナズンに映画ファンは燃え尽きる

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(2019)
DRAGON QUEST YOUR STORY

監督:山崎貴、八木竜一、花房真
声の出演:佐藤健、有村架純、波瑠、坂口健太郎、山田孝之、ケンドーコバヤシ、安田顕、古田新太、松尾スズキ、山寺宏一etc

評価:15点

Twitterで話題騒然、暴動寸前のこの夏最大のディザスター映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』観てきました。あまり観る気なかったのですが、先日映画仲間から猛烈に「あれはヤバイっすよ」とおすすめされ、職場の後輩から「先輩の感想お待ちしてます」と期待されてしまったのでこれは逃げちゃダメだと挑んできました。ブンブンは『ドラゴンクエスト』シリーズで遊んだことありません。せいぜい『いただきストリート』でスライムをフルボッコにしたぐらいしか接点がありません。それでも、この映画がラブレスな映画であることがわかりました。これはライムスター宇多丸が叩くようになり、映画ファン共通敵、サンドバッグとして山崎貴を叩きに叩いた結果生まれてしまった悪魔の映画です。魔王、いや勇者である山崎貴が魔物をイオナズンで焼き殺すある種の復讐とでも言えよう。ここに、ブンブンのネタバレ酷評を書いていく。とにかく地獄絵図がそこにはありました。

※若干、『アルキメデスの大戦』、『天気の子』のネタバレもあります。

『ラゴンクエスト ユア・ストーリー』あらすじ


1986年の第1作発売以来、シリーズを重ねて国民的RPGとして人気を誇る「ドラゴンクエスト」の5作目で、92年に発売された「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」を原案に3DCGアニメ映画化。総監督に山崎貴、監督に八木竜一、花房真と「STAND BY ME ドラえもん」を手がけたスタッフが結集し、オリジナルゲームの生みの親である堀井雄二が監修、同じく「ドラクエ」テーマ曲などで知られる作曲家すぎやまこういちが音楽を担当した。声優は佐藤健、有村架純、波瑠、坂口健太郎、山田孝之ら豪華俳優陣が務めた。少年リュカはゲマ率いる魔物たちに連れ去られた母マーサを取り戻すため、父パパスと旅を続けていた。しかし、道中での魔物たちとの激闘により、パパスはリュカの目の前で非業の死を遂げてしまう。それから10年後、故郷に戻ったリュカは「天空のつるぎと勇者を探し出せば、母を救うことができる」と書かれた父の日記を発見。パパスの遺志を受け継ぎ、冒険へと旅立つ。次々と立ちはだかる試練の数々、ビアンカとフローラをめぐる究極の選択など、リュカの壮大な冒険が描かれる。
映画.comより引用

これは山崎貴の復讐譚だ

映画ファンにとってパブリックエネミーである魔王の一人・山崎貴。彼はライムスター宇多丸が毎回のように彼の作品を叩いていたことで、それに追随するように映画ファンがサンドバッグとして彼の作品を貶していった。しかし彼はインタビューの中で自分の映画の戦略について疑問を呈していた。有名なところで言えば、『ALWAYS 三丁目の夕日』や『STAND BY ME ドラえもん』の副題に英語を入れるところに関しては下記のように発言している。

「頭に英語が付いたタイトルは、僕ではなく、ほとんどがプロデューサーの阿部(秀司)さんのアイデア。『~三丁目の夕日』が最初だったんですけど、阿部さんの考えでは、若い観客がチケットを買う時に“三丁目”より“ALWAYS”の方が言いやすいだろう、と。その結果、作品が若い層にも届いたんです。なるほどすごい戦略だなと思いました。ただそこで味を占めて(笑)、その後“friends”とか、やたらとタイトルに英語を付けるようになって(笑)。世間ではそこに反感を覚える人もいるみたいですけど、まあその気持ちは僕も分からなくもないです(笑)。その意味では“ドラ泣き”というコピーに違和感を抱く人がいるのも多少は理解できるんですよ。そもそも泣くか、泣かないかは観客が決めることでしょう。それを最初から『泣けますよ』と言い切るのはなかなか思い切った戦略です…。しかし史上最強のコピーでもあります。“ドラ焼き”にも掛かってるし(笑)」
INTERNET TVガイドDialy《『永遠の0』『ドラえもん』そして『寄生獣』…山崎貴監督が持つヒット連発の方程式とは!?(上)》より引用


彼は三谷幸喜とか堤幸彦、福田雄一といった他の映画ファンのサンドバッグポジションな監督とは違って、割と商業監督としての立ち位置と本音の間に苦しんでいる監督に見えます。そして、今年の彼はその間で生まれた憤怒や葛藤、モヤモヤを2つのベクトルで爆発させてしまった。『アルキメデスの大戦』では菅田将暉演じる天才数学者の運命に自分を重ね合わせ、天才的才能でもって国を支えるポジションにまで登りつめたはいいものの、どんなに頑張っても最終的には組織に飲まれてしまう哀しさを描いた。あれは、東京五輪や消費税増税、7pay問題と今の日本が抱える組織的汚職を象徴させ、「これぞ日本だ」という映画ではあるのだが、その原点は山崎貴本人の生き様にあったのだ。だがら妙に熱量が高い作品でした。

山崎貴本人の苦悩を語った『アルキメデスの大戦』に対して、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は今まで散々暴言を吐いてきた映画ファンに対して、資金力と名声でもって高品質に作られた世界観の中で焼き殺すイオナズンでありました。我々からしたら山崎貴は魔王に見えたことでしょう。だが、彼からしたら僕たちは魔物だったのだ。彼は勇者として、徹底的に魔物を焼き殺してみせたのです。

彼は恐らく広告会社や映画会社から「ノスタルジー系やりましょうよ。ドラクエ懐いですねー。じゃあ納期来年ってことでお願いしますわ。」と言われ幻滅したのでしょう。彼は本当はゲームの映画化なんてやりたくないし、ドラクエなんて無茶だ(ひょっとするとまともに愛もってRPGゲームなんかやってないのでは?)と思っているのだろう。でも仕事だから一応やる。

ほれバトルシーンだよ。
モンスター倒すとゴールドやアイテム貰えるんだろう?
とりまスライム仲間にすりゃいいだろ?
結婚シーン入れておきます。
フローラ派?ビアンカ派?そんなのどうでもいいわ、両方に告る展開にして保険をかけておこう。

といった感じで全てが事務処理で終わり、到底2時間で終わらないゲームプレイは冒険のダイジェスト映像でzip圧縮されている。『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』をやったことないブンブンですら、違和感を抱く。ポンッ、ポンッ、と『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の重要イベントだけが乱雑に並べられ、叙事詩、あるいはパソコンなんてない世界の一期一会と再会のカタルシスが皆無となっているのだ。

ドラクエといえば、モンスターが仲間になるのだが、これもスライムとヒョウのモンスターに留まっている。スライムに関しては、魔王の労働施設からずっとリュカの側をついてくるのだが、彼と遭遇するまで異常に時間がかかっているし、船に乗ってまで彼に会いにいっているのだが、それに関する説明がないので、ただのストーカーにしか見えないのだ。

保険をかけてフローラとビアンカに告白するという脚本になっているのですが、これが鬼畜すぎてドン引きするものとなっている。フローラにリュカは結婚を申し込み有頂天になる。フローラはビアンカこそリュカのパートナーにふさわしいと考え始め、老婆に変装し彼をビアンカに告るよう仕向ける。そしてリュカはフローラとの結婚を取り下げ、ビアンカに告白するのだが。それをビアンカがすんなり受け入れるとはあまりにも都合がよくないだろうか?ビアンカがブチギレて出て行き、リュカが一人でダンジョンに挑み自問自答し、成長し再び告白してOKとかならまだ分かるのですが、ビアンカが単にリュカの都合のいい女のように軽く扱われているのには流石に腹が経ちました。

そしてこの作品を観て感じるのは、山崎貴がRPGゲームというものを分かっていないというところです。RPGゲームの醍醐味は連携プレイと心理戦である。初心者は、戦闘を早く終わらせようと「こうげき」or「こうげきまほう」一辺倒でモンスターに立ち向かう。しかしながら、中級者になってくると、回復係、強化魔法係と各キャラクターのポジションを明確に分け、連携プレイを覚えてくるものです。これは『ドラゴンクエスト』を遊んだことないブンブンでも『ポケモン』や『MOTHER』で学びました。何か一つRPGゲームを愛したことがあれば、そういった連携プレイを魅せてくれるはずなのですが、ここでは戦略が皆無だ。常に「こうげき」or「こうげきまほう」しか使わない。また、敵の大抵がワンパンチで倒れる仕様だ。一撃必殺のチート取り入れたプレイを魅せられている程つまらないものはない。

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はまるでYoutuberのつまらないゲーム実況を観ているような虚無が漂っていました。

衝撃のラストと『天気の子』の意外な共通点

そんな退屈地獄なイバラ道を2時間耐えたブンブンは最後の最後に、山崎貴渾身のイオナズンに精神が大爆発しました。ラスボス・ミルドラースを倒したかと思ったら、急に画面がフリーズし始め、異次元から棒人間的魔物が現れる。そしてこの世界はプログラミングに過ぎないと語り始め、この映画の構造が明かされるのだ。これは『ドラゴンクエスト』のVRの世界で、この旅はプレイヤーの没入感が生み出した世界に過ぎないということが明かされていくのだ。これが副題の《ユア・ストーリー》の正体だったのだ。

棒人間魔物が語る「永遠に思えた時間は、現実世界では2時間しか経っていないんだぜ」という言葉は、この映画に没入してきた観客を逆撫でするものであり、逆撫でした上で貴方の物語なんだと言われてもドメスティック・バイオレンスだ。暴力ふっておきながら、あなたの物語だよ。ハッピーエンドでしょと言われても精神的苦痛は癒えることはない。

だが、これは『天気の子』と同じ手法でもある。『天気の子』も、『君の名は。』で散々気持ち悪いと叩いてきた映画ファンに対して、納期さえ守ればなんでもできる名声と権力でもって意地悪な街・東京を沈没させてから帆高と陽菜が結ばれてハッピーエンドという自己中心の極みをもってくる厭らしさがありました。本作も、形式上魔王を倒し、世界は平和になりましたというオチがつくものの、その前に観客の心を粉砕するディープインパクトを与える仕組みとなっている。映画ファンに対する憎悪は、山崎貴の方が上手なので災害レベルは桁違いのものとなっている。

災害起こすなら脚本を…

そんな映画ファン、ドラクエファン悶絶のクライマックスですが、折角やるならそこの脚本をしっかり練って欲しかった。棒人間魔物は、ドラクエの世界に没入する勇者を現実に引き戻そうとするウイルスという設定だが、そもそもそれってスマホゲーム中毒になってしまった人を更生させるためのウイルスのようなもんだ。むしろ善玉なのではないでしょうか。ドラクエの世界に熱中し過ぎて現実に戻れなくなった人を救う救世主のように見えてしまうのです。

そこにとってつけたように相棒のスライム通称・スラりんが現れ、急に山寺宏一ボイスで語り始める。「俺はYouの側でずっと見守っていたんだぜ。このアンチウイルスソフトをぶちこむのだ」というのだ。ほうほう、『レディ・プレイヤー1』の執事描写やラストのあれを意識したんだね…ってちょっと何いっているのかわからないんだよ。とってつけた感があまりにも強くて、蹴りをつけるのが勇者の劔でもなんでもないアンチウイルスソフトなんてあんまりです。そうだよ。ゲームは所詮0と1の電気信号だし、結末なんか製作者によって決められている。虚構に過ぎないさ。でも、その虚構がいいんじゃないか。現実とは違った世界の住人になれる、現実は変われなくてもゲームの中なら変われる。それがいいんじゃないか。じゃあ百歩譲って、あのエンディングを肯定するにしても、全てがとってつけたようで中途半端に見える。なんだったら、リュカが走って現実世界に戻り、退屈で陰鬱とした現実世界を勇者として駆け抜けていく『幕末太陽傳』の幻のラスト的な展開をもっていった方がまだ《Your Story》に魂揺さぶられるものを感じたのですが、結局仮想世界にしがみつくことを選んだ。山崎貴はゲーム好きなの?嫌いなの?そもそもこのテーマについて考える気ないでしょと思ってしまうのだ。

山崎貴はドラクエ愛すらすっ飛ばしてゲームに対してもラブレスな態度で決着をつけてしまったのです。ドラクエに思い入れのないブンブンですら精神が灰になるまで燃えて燃えて燃え尽きる思いをし、目の前が真っ暗になりました。これだったら苦手監督の福田雄一の『勇者ヨシヒコ』シリーズを観ていた方が良かったし、アフリカ・マリで作られた実写版ドラクエ的映画『ひかり』を観たかった。

ここ数年で最大威力のテロに発狂したブンブンでした。

そして山崎貴監督にお願いです。『MOTHER』を映画化しようなんて考えないでください。広告代理店や映画会社からお願いされても断ってください。

P.S.そんな山崎貴の次回作は『ルパン三世 THE FIRST』。英語に翻訳すると『Lupin the Third THE FIRST』と矛盾に満ちた狂った題名に不安しかないのですが、予告を観るとちょっと「面白そう」と思ってしまいました。次回作はこんなテロを起こさないで欲しいなぁ…
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