【東京フィルメックス2019】『ニーナ・ウー』映画を道具とすることへの嫌悪

ニーナ・ウー(2019)
原題:灼人秘密
英題:Nina Wu

監督:ミディ・ジー
出演:ウー・クーシー、ビビアン・ソン、キミ・シアetc

評価:10点

さて、Midi Zである。ミャンマー出身の彼はロッテルダム映画祭が注目している監督で、映画祭公式のVODでは特集が組まれている程今イチオシの監督だ。そんな彼の作品にしてカンヌ国際映画祭《ある視点》部門出品作『ニーナ・ウー』が東京フィルメックスにやってきました。

『ニーナ・ウー』あらすじ


ハリウッドを震撼させたMe Too問題に触発された作品。台湾映画界を舞台に主役の座を射止めたものの精神的に追い詰められる女優を描く心理サスペンス。ミディ・ジー作品の常連ウー・カーシーが脚本兼主演を務めた。カンヌ映画祭「ある視点」で上映。
※東京フィルメックスより引用

映画を道具とすることへの嫌悪/日本のセクハラ事情を浮かべ自己嫌悪

本作は下手に#MeToo運動とか調べないで観た方がいいよとのアドバイスをTwitterで見かけたので予告編も観ずにトライした。

女性がアパートで、餃子を作る。そしてShowroom的SNSで実況中継をし始め、お捻りをファンから貰う。そんな彼女に一通の電話が。かれこれ8年近くマネジメントしてもらっている男からだ。CMや短編映画にしか出してもらえない彼女にビッグチャンスが到来したのだが、それに服を脱ぐ場面があるとのこと。これを逃したら、次はないチャンス。彼女は恐る恐る受け入れる。そこから彼女の地獄は始まってくるという内容。

前半、ブンブンは自己嫌悪に苛まれました。彼女が官能映画の撮影に入り、さも私は不幸な女性なんですという顔を思い浮かべながら、監督やスタッフとのヒリヒリしたやりとりが展開される。ただ、日本の映画業界、ないしエンタメ業界の過酷さをよく聞かされているブンブンが観ると、「そんなもんで、うじうじしていて立派な女優になれるの?これはセクハラでもパワハラでもないのでは?」と思ってしまったのだ。しかし、それは日本の労働環境がブラックすぎて麻痺しているに過ぎない。彼女にとって屈辱で過酷なのは変わらないのだ。その考えがチラつき自己嫌悪に毒されて生きました。

そして映画は、一見内部のセクハラ・パワハラに焦点を置いているように見えて、実は外部からによるセクハラ・パワハラにも力点を置いている。彼女の映画がなんとか完成する。そしてスターダムへと一気に駆け上がるのだが、マスコミはインタビューで「3Pシーンはどうでした?」、「監督となんらかの関係があったんでしょ?」と彼女の演技ではなく、映画ではなく、ゲスくて陰湿な部分しか訊いてこないのです。セクハラ・パワハラは内部で起きがちだと思ってしまうが、実は人の嫉妬や、蹴落としたい気持ちから生じる邪悪が外部で増幅され、それも要因になっているんだと映画は語るのです。

その視点に唸らされた。しかしながら、本作はそっから憤りの物語へと豹変していく。Midi Zは映画をツールとしか思っていないようだ。社会に蔓延るセクハラ・パワハラ問題を告発することを目的化してしまった結果、映画的に論理があちこちに飛躍して散漫となってしまったのです。それこそ前半の、内部の問題、外部の問題両方描くところで軸のブレという危うさを抱えていたのだが、段々と強烈なセクハラ・パワハラ描写をただ並べるだけで悲しさを表現し始めるのです。虚実が入り混じり、彼女は役を勝ち取るために犬になる。そして度数の強いワインを飲ませられ、プロデューサーに眠りながら襲われる。そうでもしないと役はゲットできないというところに着地していくのだが、そこには悪い意味の不快さしかなかった。もはや映画に対する愛なんかないし、映画はツールとしてしか考えていないような監督の考えが見え隠れしてくるところに嫌悪を抱きました。

もちろん、#MeToo運動で女性の地位向上が叫ばれ、映画業界の労働環境が変わっていくことはとても大事なことだし、それを映画で解決していくのは必要だ。生まれるべくして生まれた作品だとは思うが、個人的に相性最悪でした。

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