【ネタバレ酷評】『天気の子』ブンブンが乗れなかった6つのポイント

面白かったポイント1:マイケル・ベイもびっくり!スポンサーの超絶交通整理術

とはいえ、本作はマーケティングの鏡の作品であり非常に興味深いのは確か。『トランスフォーマー』ばりにありとあらゆるスポンサーが、「俺を出せ、私を出せ」と、ノアの箱舟さながら乗り込んでいくのだが、凄まじすぎる調整能力で自然体に留まることに成功していたのだ。

その協賛には、何故か渋谷名物、バニラ、バニラの高収入のアレや、マンボ、マンボ、みんなのマンボまで含まれている。ドンキホーテは協賛していない為か、「デンキホーテ」とパロディネームで登場していたことから、本作に実名で登場する企業はほとんど協賛だろう。

さて、『トランスフォーマー/ロストエイジ』では中国資金が流れに流れた為、あまりに不自然なタイミングで牛乳を飲み始め宣伝する前衛的なシーンがあるのだが、この作品では全て合理的に現実の商品・サービスが登場する。

帆高が東京での仕事を探したり、陽菜のプレゼント案を模索する際に使用するのは「Yahoo!知恵袋」である。それを皮切りに、PARCOやルミネといったデパート産業が顔を覗かせ、ドリンクはサントリー消費んが支配する(なんと、須賀圭介がやけ酒に飲むMaker’s Markもサントリーが販売している商品だ)。ラブホに行けば、ローソン名物からあげクンが顔を覗かせる。

だが、これらが自然に登場するのだ。この交通整理能力には流石に脱帽した。そして猛烈に面白かった。瀧くんが登場なんてサプライズよりも断然、バニラ参戦とかプリキュア乱入とかそういったものを探すのに感動したし、面白さを感じました。

面白かったポイント2:『ライ麦畑でつかまえて』の再構築としては上手い

演出面に関して、もう一つ面白かったところがある。冒頭、帆高が所持している本に注目していただきたい。村上春樹訳の『ライ麦畑でつかまえて』こと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を彼は愛読しているのだ。旅に関する胸熱本といえば、ジャック・ケルアックの『路上』に始まりジョン・クラカワーの『荒野へ』、沢木耕太郎の『深夜特急』などがあるが、ここで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を持ってきたことに思わず鋭い!と唸らせられました。しかも結末を知ると、より一層これが上手く機能している小道具だと感じるようになりました。村上春樹版というところが気取っている感じを表現していて、なかなか面白い小道具であります。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は退学処分を受けた青年が、学校にも寮にも、家にも居場所を見出せず、家出をする物語だ。彼は単身ニューヨークへ渡り、イキっているのだが、へなちょこで娼婦を買わないかとホテルボーイに言われて買うのだが、何もできずしまいだったり、喧嘩ではあっさりと殴り倒されてしまう。意地悪で不条理な都会の渦で彼は大人の欺瞞を知り、世界の片隅から社会を傍観し、崖から落ちそうになる者を救う存在になりたいと切望するようになる話である。

どうでしょうか?『天気の子』と全くプロットが同じってことに気づきませんか。そうです。この作品は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を再構築した作品だったのです。地元に居場所がなく、自ら東京に家出した少年・帆高は自分なら頑張れる!とイキっているが、ネット上では嘲笑され、ドブネズミのように徘徊する彼をネットカフェのおっさんや風俗のゴロツキ、ヤクザが罵倒する。女に対しては下手に斜めに構えて、ダサいこととなる。しかし、東京の喧騒に飲まれる中で彼は、人々に陽菜に手を差し伸べることで自分の役割に気づくのだ。

ただ、新海誠は最後の最後で飛んだ爆弾を投下する。厭世的になるホールデンの感情を、世界なんてどうでもいいんだという感情を炸裂させ、その結果東京を壊滅させてしまうというオチがついてしまうのだ。人を助けるヒーローに目覚める話ではなく、自己中心的なヴィランとして話にオチをつける。そう考えると、若干本作における主人公サイド外の人間が空気として扱われる描写も少しだけ許せてくる。新海誠監督が、ビッグバジェットと大きな責任を背負ってでも、自分の欲望に真摯に向き合った結末を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の対岸と重ね合わせて描いていたのだ。このポイントに関しては評価したい。そして、久しぶりに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読みたくなりました。

最後に…

『天気の子』は『君の名は。』の二匹目のドジョウを狙い、大勢の力でもって大ヒットに導こうとした作品だ。確かに、一見すると良さそうなシーンも多い。賛否両論わかれるびっくりシーンもあったり、RADWIMPSの楽曲や『グランドエスケープ (Movie edit) feat.三浦透子』は耳に残る。脳内ヘヴィーローテーションしそうだ。

海外マーケティングも視野に置き、和とスピリチュアルにカタルシスを混ぜ込んだ物語は、カイエなんかも唸らせることができるとは思う。

しかしながら、無念。ブンブンには生理的拒絶に耐えられなかった。生理的拒絶という名の思考停止の藪を振りほどいて、分析すればするほど、この作品を擁護することができなくなってしまいました。

次回の新海誠はどう出るのか、ちと不安なブンブンでした。

P.S.ブンブンにも陽菜さんのような100%の晴れ女が欲しい。何故ならば、ブンブンは高2の時フランスのカタコンブで不真面目に骸と接した呪いか、100%の雨男になってしまったのだ。旅はほとんど雨、雨なんか降らないモロッコへ飛ぼうものなら、未曾有の大雪が成田空港を襲い、100%の晴れ女と名高い妹を連れて韓国行こうものなら、災害レベルの台風によって滞在地が破壊されまくっていたのだ。早く呪いを解きたい、、、

関連記事

【 #天気の子 】貴方は陽菜派/帆高派?ズボラなチャーハン作ってみた、食べてみた。
雨男エピソード:地球の急ぎ方〜東京駅から成田空港まで2万5千円かかった件&釜山国際映画祭に直撃した台風25号がヤバすぎた件〜
【ネタバレ解説】「君の名は。」読者と共に読解入れ替わり時系列、図解で解説!「転校生」どころじゃなかった…
【時系列完全版】「小説君の名は。」「Another Side:Earthbound」で謎を補完してみた
“Ç”新海誠ではない1953年版「君の名は 第一部」真知子巻きTHE MOVIE
「君の名は 第二部」まいっちんぐ真知子さんの悲劇
【ネタバレ】「君の名は 第三部」真知子離婚騒動!ファイナルウォーズ!

ブロトピ:映画ブログの更新をブロトピしましょう!
ブロトピ:映画ブログ更新

14 件のコメント

  • 全く同じ感想です

    これは酷評多いだろうと思ったら、世間的に評価良さそうな雰囲気を感じとりびっくりしてます。

    実名駅や実名店を出したり必要以上のリアリティを描いてるのに、拳銃の引き金を簡単に引くという非現実。興醒めでした。
    限りなくリアル世界に近い所で起こるファンタジーだからこそ「2人しか知らない世界の真実」が本当になるのに。

    説明が少なすぎて、物語の事象を淡々と見せられてるだけで、誰にも感情移入できず。
    東京を沈めてでもこの世界に留まる結末にドラマチックさも狙った後味の悪さも何も感じる事ができず。

    エンドロール流れた時には
    えええーおわりー!?えー!でした。

    • むーのーさん、コメントありがとうございます。蓋を開けてみたら絶賛の嵐で正直驚いています。新海誠エキス1000%の映画がこうも受け入れられるとは時代が変わったなーとさえ思います。やはり拳銃の描写はないですよね。ファンタジー要素は天にいくところに焦点合わせた方がよかったのになーと私も思いました。ここはやはり、黄色い傘で無双でしょと言いたくなりましたw

  • ポイント3は人それぞれの意見があるというのは理解できますが、他の事項に関しては帆高が高校生であるゆえの判断による行動であると思います。この感想はサイト主様が大人であるゆえに論理的に考えた結果でしか無いと思います。

    • ムツシさん、コメントありがとうございます。『天気の子』は理性よりも本能を取る、社会というものを知らない思春期少年が自分の感情にしたがって判断する映画でしたね。この手の映画が受け付けなくなってしまったことに、我ながら大人になってしまったんだなと哀しくなりました。本作が凄い所は、ある意味こういった高校生ならではの考え方を最後まで貫き通し所にあるのかもしれません。

  • ああ、このレビューを読んでモヤモヤがスッキリしました。ありがとうございます。のっけから、女の子は自分から商品になりたがるもんなんだと言わんばかりの描写にドン引きして、序盤でもう物語の外に弾き出されてしまったクチです。

    18禁の業界にあんなにカジュアルに触れてるという違和感がノイズになっちゃったんです。なにも知らず親子連れで行っちゃった人らは大丈夫かなあとか、なにかと犯罪や反社が絡んでる業界なのにあのトラックに市民権与えていいのかなあとか、反射的に物語の外のことばっかり頭をよぎっちゃって、それっきりこの作品の世界には帰ってこられませんでした。その結果なにもかもしらけて見えて、拳銃もノイズにしかならず…

    そもそも拳銃まで使わせた割に、「世界の形を変えてしまった」なんて物々しく語らなきゃならないほどの代償を実は支払ってないんですよね。陽菜を人柱にすれば異常気象が解決することをはっきりわかってるのは帆高だけなんだから、帆高が陽菜を選んでも別に誰からも恨まれないし、逆に陽菜を人柱にしても誰からも感謝されない。雨が降り止まなくてもその被害はなぜかせいぜい一部の人たちが移住を余儀なくされる程度。そんな葛藤不要のぬる〜い状況だから、あくまで帆高と陽菜を引き離した張本人じゃない須賀や警察の前で発砲までしちゃうことが、お門違いのオーバーキル未遂にしかなってないという。

    「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」的な感じで、男の子が好きな女の子のために手を汚すことさえ厭わないシチュエーションを監督は描きたかったのかとも思うんですが、拳銃が想いの強さに関係なく一方的に邪魔者を排除できちゃうチートアイテムでしかないせいで、帆高が無双ごっこしたかっただけに見えるんですよね。1回目の発砲を陽菜からすごく嫌がられたことを思い出しすらしなかったから余計に。女の子が嫌がったことを、その子に見られてないところでまた平気でやらかす男の子にはどうしてもいい印象は持てませんでした。なんかDV予備軍みたいというか。

    ほんと、ブンブンさんがおっしゃるように拳銃の代わりに傘を使った方がずっとよかったと思います。使い物にならなくなるまで傘をボロボロにして立ち向かうとかの方が「傘を壊す=雨を受け入れる」という象徴にもなりそうですし。

    • A44さん、ありがとうございます。
      A44さんがおっしゃる通り、あれだけ陽菜さんのことを想っておきながら、拳銃で解決するのは映画の魔法を信じる私でもドン引きでした。やはり、そこは黄色い傘や白いビニール傘ですよねw 象徴としても美しいし、ビニール傘なら、脆くて透き通った心というものも暗示できそうですしね。なんて勿体無いことをするんだ新海誠さん…と思いました。ブンブン涙目です。

  • 初めまして!
    自分が感じたもやもやを説明してくださりありがとうございます。

    天気の子の中心人物の3人の子供は、貧困でした。
    しかし、こうもタイアップにCMを見てると、間違いなく今年のCMキングとCMクイーンは彼らです。

    雨=悪い天気、晴れ=悪い天気。
    異常気象に警鐘を鳴らしてると評価されてますが、まさに年中空調のきいた都市部のオフィスでできた作品。
    同僚が熱中症で亡くなった建設業の方の話を聞いたあとの観賞では余計に虚しくなりました。

    この作品は大量消費社会から生まれた怪物です。音楽を響かせ、綺麗な映像を流し、難解な言葉や初々しいポエムを並べたら名作だそうです。

    • K・Takahashiさん初めまして。 まさに大量消費時代に生まれてしまった怪物ですね。 新海誠監督がここまで成長できたところは嬉しいものの、それに乗っかる膨大な広告の山に薄気味悪さを覚えました。

  • ここの様々なレビューを読ませて頂いて傘、なるほど!思いました。が、単調な推測ですが傘を使わなかったのはこれだけ影響力のある監督の作品で傘での戦闘シーンを行ってしまうといじめなどのクレームが今のご時世起こりうるので、なるべく主人公の「暴力」の描写をリアルからかけはなれた拳銃で誤魔化したように感じます。

    • garlicさん、メッセージありがとうございます。
      確かに、アンパンチで大荒れになるご時世ですからね…

  • はじめまして、レビュー読ませて頂きました。
    特に1と3がストンと腑に落ちました。やっぱり説明不足に感じますよね。物語が順接で繋がってないといいますか、途切れてるような感覚が。そこらへんが心理描写の違和感にも波及してるのかなと。
    ただ自分は理性的に撃たないし撃てない警察の大人と対比した、なりふり構わぬ害意の象徴として拳銃は変えがたい物ではないかと思います。仰るような象徴として傘だったりリアルな暴力として鉄パイプだったりだと殺さない程度の手加減ができてしまうかなと。
    まあ拳銃を使うなら使うで、刑事の理性的でない悪役チックなクソガキ発言なんかは明らかに不要だし、いっそ決断の結果の取り返しのつかない行動として御神体に発砲するとか、もっと拳銃ならではの使いようもあったのでは?と疑問は尽きないですけどねw

  • 2019年ランキング(メジャー)で1位としたので追加の擁護書き込み(DM)をさせていただきます。

    >しかし結局のところ何もこの映画は解き明かさない。世界の秘密が結局なんだったのかも掴めない。
    世界観の説明の過不足は人によって感じ方が違うでしょうね。プロット段階では、陽菜の特殊能力を知っている組織に追われる筋書きとなっていたようなのですが、スタッフの受けが悪いから今の形に変えたそうです。それによって、警察が穂高を追う理由と、穂高が陽菜を助ける理由は本質的には対立構図にはないものになってしまいました。ここの弱点は宇多丸氏も指摘しています。ただ理詰めで物語を把握するならば弱点ではあるのですが、穂高を陽菜を追う組織とだけではなく社会全体と対立させる構図にすることで物語はスケールアップしているとも言えます。

    >天気の子になったものは、いずれ大人になると、天空世界で~といった描写を、お寺での考察エピソードに混ぜておけば
    天気の子が人柱となることで世界は回復するという事を実はずっと繰り返していた、という説明では足りないでしょうか?

    >故郷を失った人がそうそう簡単に引っ越した先でのうのうとやっていけるのだろうか?帆高が東京沈没後に訪ねるお婆ちゃんは涙も哀しみも一つたりとも浮かべないのだ。
    お寺での話と、このおばあさんが語る「昔はここも海だったから元に戻っただけとも言える」という発言で、だいぶ映画の世界観がしっかりしたものになったなとは個人的には思いました。

    奇しくも公開日の前日まで雨が続き、公開とともに晴れだした東京。個人的にも最近の気候のひどさは今までになかったものを感じていました。暖かい、過ごしやすい日というのはほとんど無くなってしまったような印象があり、春と秋は昔と比べ短く荒れたものになっていると思います。この映画のように夏に雪が降るという狂った現象も起きかねない気候状況であると感じています。ただ、さらに引いた目で見れば、17世紀のヨーロッパにも小氷期による異常気象などはありました。方丈記によれば平安末期も天変地異が酷かったそうです。人はいつの時代も今を終末であると絶望したがる傾向がありますが、おそらく人はその先も生きていく。状況から目を逸らすのでなく、まっすぐ見据えての「大丈夫」。この映画からはそんな優しくて力強い希望を受け取りました。

    • 通りすがりさん

      コメントありがとうございます。
      『天気の子』は理詰めで観ると、欠点が多い作品ではありますが、最近は大分冷静に捉えることができるようになりました。
      最近、フランスで『天気の子』が公開され、そのフランス題名を見て、ふと腑に落ちたところがあります。
      フランス語題は『LES ENFANTS DU TEMPS』です。LES ENFANTSは子どもたちという意味で、TEMPSは天気という意味なのですが、TEMPSは《時》という意味も持っています。フランス語において、天気を意味する言葉は多いのですが、《TEMPS》を使うことで、本作が持つ時間の流れというものを表現することに成功しています。

      通りすがりさんがおっしゃっていた「このおばあさんが語る『昔はここも海だったから元に戻っただけとも言える』」という場面と重ね合わせると、大きな時間の流れのある転換期としての災害をありのまま受け入れる物語として考えると、『君の名は。』からのプレッシャーの中で作られた物語として最低限のダメージに留めることに成功した作品なのではと思いました。異常気象、異常気象といわれてますが、地球の歴史からすると案外普通の出来事なのかもしれませんね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です