【ネタバレ酷評】『天気の子』ブンブンが乗れなかった6つのポイント

天気の子(2019)
Wheather with You

監督:新海誠
声の出演:醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、吉柳咲良、平泉成、小栗旬、倍賞千恵子etc

評価:30点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨日、新しくできたグランドシネマサンシャインのIMAXレーザー/GTテクノロジー搭載スクリーンで新海誠最新作『天気の子』を観てきました。

本作は『君の名は。』で莫大な名声を得た新海誠監督3年ぶりの新作。そして、数週間前から謎に包まれていた内容の片鱗が見え始めてきた。MVに等しい予告編から飛び出す感傷的な波に飲まれ、傑作のフラグしか立たなかった一方、

「今回も賛否分かれる作品なんだ」
「公開9日前に完成したから一般試写はやらないんだ」

と公開前から保険をかける製作陣と絶対に外さないこの大船に乗り込んだスポンサーたちの暴走に一抹の不安を感じました。そして、グランドシネマサンシャイン池袋の国内最強クラスのIMAXシアターにて、この大津波を被ってきた訳だが、生理的拒絶が疾走する冒頭がデザンシャンテ(幻滅)という名の黒雲がブンブンの心を覆いブンブンの心をシャンテ(囀らせる)ことは二度となかった。例え、ブンブンの弱点である音楽による感情の高まり描写や空中浮遊、ディープインパクトがデザンシャンテに降り注いでも。

あれだけ、新海誠の内なるモヤモヤを垂れ流すエキスに対する耐性があったはずなのに、『秒速五センチメートル』好きだったのに、生理的にムリ!と感じてしまったのだ。

ただ、生理的に拒絶を差し引いて考えても『天気の子』は『君の名は。』の二匹目のドジョウを狙って失敗しているとは思う。というわけで、当記事はネタバレありで本作のダメダメな部分と、興味深い部分について考察していきます。

※全力ネタバレ酷評となっているのでご注意ください。

『天気の子』あらすじ


「君の名は。」が歴史的な大ヒットを記録した新海誠監督が、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄されながらも自らの生き方を選択しようとする少年少女の姿を描いた長編アニメーション。離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。「兄に愛されすぎて困ってます」に出演した醍醐虎汰朗と「地獄少女」「Last Letter」など話題作への出演がひかえる森七菜という新鋭の2人が、帆高と陽菜の声をそれぞれ演じる。そのほかの出演に小栗旬、本田翼、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子ら。「君の名は。」に続いて川村元気が企画・プロデュース、田中将賀がキャラクターデザイン、ロックバンド「RADWIMPS」が音楽を担当。RADWIMPSが手がける主題歌には女性ボーカルとして女優の三浦透子が参加。
※映画.comより引用

ダメダメポイント1:《代償》というパワーが不足しすぎた脚本

『天気の子』において一番致命的なのは、「100%の晴れ女」こと陽菜が抱える代償の重みが見えてこなかったことに尽きます。これさえ解決できれば、『君の名は。』で築き上げてしまった大きなハードルを超えられたと思う。

本作の第二幕では晴れにする特殊能力を持つ陽菜と家出少年帆高、そしてモテモテ小学生・天野凪が互いの孤独を埋め合うように疑似家族を形成し、彼女の能力を使ったビジネスを展開することで絆を深め合う物語となっている。

帆高は、一人で東京にやってきて飢えと貧しさに苦しんできた男だ。彼なら、金に貪欲になるであろう。彼らの始めた「晴れ女事業」は神頼り的要素が強く、別に晴れにできなくってもしょうがないとクライアントが諦めてくれやすいビジネス(現に六本木ヒルズ案件でクライアントからその手のセリフがある)だ。非常に美味いビジネスである。また、この時点では能力を使うことで生じる代償というのが提示されない。通常の物語であれば、どんどん増えていくクライアントに対処しきれなくなるか、膨大すぎる仕事を貪欲に引き入れて関係性が崩壊するだろう。あるいは、連日晴れにしてしまったせいで、農作物が育たなくなる問題が発生するなどしてSNSで袋叩きに遭うという展開に発展していくだろう。

それがこの映画にはありません。六本木ヒルズ案件を成功させ、マスコミの注目を集めてしまった彼らは、大人しく事業を撤退させるのです。この描写がやけにサッパリとしており、スキャンダル、ゴシップに飢えた日本であればパパラッチが彼らを追い回す騒動の一つや二つあってもおかしくないのに、そんなの皆無なのだ。ここで、その手の描写を入れておけば、かつてネタを探しに東奔西走していたハゲタカの側面を持つ帆高の立場が逆転してしまうある種のしっぺがいしとして、設定が機能するのになんて勿体無いんだと思ってしまう。折角、わざわざオカルト雑誌「ムー」の協賛の下で帆高を操っていたのにね。

早々に閉店ガラガラし、安泰モードに入ったこの一味でしたが、突然『時をかける少女』的晴れ女能力の使用回数制限について語られます。事前に伏線として、天気を司る祈祷師的存在は不幸の轍を歩む的なエピソードを挿入し、それが消失する陽菜の運命なんだよと語られるのだが、それは誰しもが薄らと気づいていることだ。その代償の詳細を知りたいのに、ただただ天に昇天しそうになる陽菜を映して「ねっやばいでしょ?」と言っているだけに留まっているのです。

75%程の時間を費やして、帆高の陽菜に対する依存が綴られていき、衝撃のクライマックスに向けて準備が続けられるのですが、明らかに彼を狂気の沙汰に動かす程の力が不足しています。ここで『くもりときどきミートボール』のような欲望の肥大化による未曾有の災害、壊れていく世界の中で「ハッハッハッ人間がゴミのようだ。俺は陽菜と一心同体となる」といったエヴァンゲリオンテイストの世紀末を描くならまだしも、まあ実際には狂気暴走で天空世界から陽菜を引きずりおろし、東京を滅亡させる超展開が観客に投げつけられるわけだが、帆高が至って冷静沈着だし、周りの大人も彼の狂気に対してガン無視しているので全くもって盛り上がりません。

現実逃避の末に何があるのか、欲望を追い求めた末にあるものが何なのか、人類はこの問題をどう感じているのか、こういった描写が限りなく透明に近いブルーとなってしまい結局、ブンブンに残ったものは果てしなく続く虚無でありました。

ダメダメポイント2:性的表現/貧困表現の大衆商品化という名の功罪

本作は、多くのスポンサーが協賛し、普段映画を観ない層や海外展開を視野に全力投球で創り上げた映画であることは間違いない。それだけに、本作で描かれる性的表現や貧困描写の浅はかさ。エンターテイメントとして扱う存在の耐えられない軽さには擁護しようがないものを感じた。ここ最近激しい映画におけるポリコレ問題によって、ポリコレ遵守系映画と、表現の自由に任せてアンチテーゼを図った映画の二極化が進んでおり、本作は後者にあたる作品ではあるのだが、批評性のない表現の自由ほど有毒なものはないと感じた。

詰まる所、『天気の子』では『君の名は。』で味をしめた爽やかな性的消費の眼差しというのを不必要に行ってしまっている。「こういうの好きなんでしょ?」と言わんばかりに。これがまだ『未来のミライ』のケモノ描写のように「俺の性へ気癖についてこれるかな?」という立場なら作家性として多少なりとも擁護はできるが、観客に賛同を求めるかのように5分に一度ペースで男の欲望を投影させているところが何とも不快に感じてしまう。例えるならば、何度も女性の胸を見て恥じらうシーンがあったり、水商売をしようとする陽菜に対して、「そんなことやる身体に見えないなぁ」と帆高がセクハラ発言をする描写なんか要らないはず。やるなら視線による恥じらいだけで留めておく必要がありました。これじゃあただのセクハラ映画ではないか。
そしてタチの悪いことに、本作は『万引き家族』的貧困物語を展開する。東京に上京してインモラルで思いやりなどない修羅の東京描写が描かれ、絶望の淵にハンバーガーショップでアルバイトする陽菜が助けるというお涙頂戴シーンがあるのだが、お涙頂戴を引き出す為だけに都会の意地悪さが使われていて、下衆さがにじみ出ています。こうやって、薄幸かわいそうを安売りするのは貧困ポルノでしかない。

というわけで性的表現/貧困表現の安売りを今年の日本を代表とし、世界に羽ばたこうとしている超大作がやってしまったことは本当に残念でした。

ダメダメポイント3:語っているようで何も語らないの下手さ

先述の通り、この映画は「今回も賛否分かれる作品なんだ」という予防線を張っている。それは間違いない。前作同様、どんでん返しの超展開が繰り広げられるのだから。そして、いかに大衆の議論の中心に『天気の子』を置いてもらうのかと考えた際に、陽菜の特殊能力の背景を語らないという選択を取った。あくまで映画は帆高の視点から描かれる。彼女がどうして特殊能力を得たのかのバックグラウンドや、彼女が転送された世界のしきたりというのがざっくりと語られるに留まっている。確かに、『時をかける少女』でも似たようなことをしているのだが、それにしても説明を放棄し過ぎている気がした。

帆高は語る。彼女に対する想いを饒舌に、新海誠調で、しかし結局のところ何もこの映画は解き明かさない。世界の秘密が結局なんだったのかも掴めない。語っているようで語っていないスタイルの映画は面白いし、議論も引き起こす。

ただ、あまりに彼女を取り巻くルールを簡略化し過ぎて、彼女が天に召されようが、地上に降り立ち、東京が沈没しようがどうでもよくなってしまうのだ。天気の子になったものは、いずれ大人になると、天空世界で本格的に天を司る仕事に従事しなければならない。そうなった時、下界の民とは決別せねばならないといった描写を、お寺での考察エピソードに混ぜておけばまだこの問題に興味が持てたのですが、ただひたすらに勝手に事象が発生している様を魅せられると虚無しかないように感じてしまいます。

ダメダメポイント4:死んだシンボル《銃》

さて驚いたことにここでは銃が帆高の決断のシンボルとして使われている。彼は2度トリガーを引く。一度目は陽菜をチンピラから救う際。これは間髪入れずに。2度目は須賀圭介の制止を振り切って鳥居に向かおうとする際。ここには間がある。

1度目は本能的な決断に対し、2度目は陽菜を知っているからこそ理性的に救おうとする決断を表現しようとしていると考えられる。銃はメタファーとして機能しているのだが、あれだけリアルに貧困、都会の喧騒描写を描いていたのに、この銃の登場でリアリズムが瓦解する。

アニメは劇映画と比べ虚構という前提をおいた上で、リアルを追求しその中で一輪のファンタジーを据えるテイストは新海誠監督の強みだと思っていたのですが、それをやる上で天気描写の他に虚構を持ち込むと、エネルギーが分散してしまう気がする。銃に気が向いてしまうのだ。

帆高の決断をモノに象徴させたければ、例えば傘を使い殴るなんて描写にしておけばよかったのではないでしょうか?16歳という思春期真っ盛りな主人公が剣みたいに傘を振り回し、障害を破壊して行く様は画にもなります。

ダメダメポイント5:単調すぎる、逃げる表現

『天気の子』ではなんども帆高がいろんな人から逃走を試みる場面がある。これがあまりに単調でありました。東京に一人上京し、孤独に怯える彼は、真っ先に警察に補導されそうになり逃げる。次には、水商売に手を染めようとする陽菜を救うためにヤクザから逃げる。そして、一度形成された疑似家族を警察によって壊されてしまいそうになりまたしても逃げる。最終的に、天に召された陽菜を救うために、帆高は警察署から逃亡を図る。一つの映画の中にこれでもかというように「逃げる」描写が挿入されているのだ。しかし、そのどれもが、捕まりそうになり、手を振りほどく、追っては「待てー」と叫びながら追跡するテンプレートに従って描かれているのだ。

だから段々と飽きてくる。「またこの展開か」とげんなりしてきました。階段から飛び降り、死んだかと思いきや走り出すとか、同じ逃げるシークエンスでもいくらでも手数を増やせたのに、せいぜい警察官の股をスライディングで通過する程度のアクションしか魅せてくれなかったので、これらの逃走シーンが蛇足に感じてしまいました。

ダメダメポイント6:男の妄想によって完璧にリアリズムが吹っ飛んだ

さて、この映画のクライマックスについてお話ししよう。まあ、それ以前にこの世界は現実世界以上に未曾有の雨に見舞われている。その雨描写というのは、彼女が特殊能力を使わなくても、彼女の代償抜きに大災害レベルだ。にもかかわらず、人々は「なんか雨だねー」レベルにしか現実を捉えていないのだ。あれだけ緻密に嫌らしく都会の意地悪さを描いておきながら、人々の災害意識に関しては無頓着だ。

そして、そんな無頓着な人々に帆高も無頓着だ。陽菜の為なら世界はどうなっても良いと言わんばかりに、空中世界で彼女と抱き合い、東京は連日の雨によって沈没してしまう。だが、帆高もそうだが周りの人も「あーあ、東京沈んじゃったね」としか捉えていないのだ。

ハリウッドゴジラにおける原発崩壊描写に近いほど、人が描けていない。日本は東日本大震災によって10年近く経過した今でも癒えることのない傷を負っている。故郷を失った人がそうそう簡単に引っ越した先でのうのうとやっていけるのだろうか?帆高が東京沈没後に訪ねるお婆ちゃんは涙も哀しみも一つたりとも浮かべないのだ。

そして帆高は『君の名は。』のラストと全く同じシチュエーションで運命に導かれるまま、陽菜と再会しハッピーエンドとなる。もうカタルシスに弱いブンブンではありますが、段々と憤りが湧き出してきました。

→NEXT:面白かった2つのポイント

14 件のコメント

  • 全く同じ感想です

    これは酷評多いだろうと思ったら、世間的に評価良さそうな雰囲気を感じとりびっくりしてます。

    実名駅や実名店を出したり必要以上のリアリティを描いてるのに、拳銃の引き金を簡単に引くという非現実。興醒めでした。
    限りなくリアル世界に近い所で起こるファンタジーだからこそ「2人しか知らない世界の真実」が本当になるのに。

    説明が少なすぎて、物語の事象を淡々と見せられてるだけで、誰にも感情移入できず。
    東京を沈めてでもこの世界に留まる結末にドラマチックさも狙った後味の悪さも何も感じる事ができず。

    エンドロール流れた時には
    えええーおわりー!?えー!でした。

    • むーのーさん、コメントありがとうございます。蓋を開けてみたら絶賛の嵐で正直驚いています。新海誠エキス1000%の映画がこうも受け入れられるとは時代が変わったなーとさえ思います。やはり拳銃の描写はないですよね。ファンタジー要素は天にいくところに焦点合わせた方がよかったのになーと私も思いました。ここはやはり、黄色い傘で無双でしょと言いたくなりましたw

  • ポイント3は人それぞれの意見があるというのは理解できますが、他の事項に関しては帆高が高校生であるゆえの判断による行動であると思います。この感想はサイト主様が大人であるゆえに論理的に考えた結果でしか無いと思います。

    • ムツシさん、コメントありがとうございます。『天気の子』は理性よりも本能を取る、社会というものを知らない思春期少年が自分の感情にしたがって判断する映画でしたね。この手の映画が受け付けなくなってしまったことに、我ながら大人になってしまったんだなと哀しくなりました。本作が凄い所は、ある意味こういった高校生ならではの考え方を最後まで貫き通し所にあるのかもしれません。

  • ああ、このレビューを読んでモヤモヤがスッキリしました。ありがとうございます。のっけから、女の子は自分から商品になりたがるもんなんだと言わんばかりの描写にドン引きして、序盤でもう物語の外に弾き出されてしまったクチです。

    18禁の業界にあんなにカジュアルに触れてるという違和感がノイズになっちゃったんです。なにも知らず親子連れで行っちゃった人らは大丈夫かなあとか、なにかと犯罪や反社が絡んでる業界なのにあのトラックに市民権与えていいのかなあとか、反射的に物語の外のことばっかり頭をよぎっちゃって、それっきりこの作品の世界には帰ってこられませんでした。その結果なにもかもしらけて見えて、拳銃もノイズにしかならず…

    そもそも拳銃まで使わせた割に、「世界の形を変えてしまった」なんて物々しく語らなきゃならないほどの代償を実は支払ってないんですよね。陽菜を人柱にすれば異常気象が解決することをはっきりわかってるのは帆高だけなんだから、帆高が陽菜を選んでも別に誰からも恨まれないし、逆に陽菜を人柱にしても誰からも感謝されない。雨が降り止まなくてもその被害はなぜかせいぜい一部の人たちが移住を余儀なくされる程度。そんな葛藤不要のぬる〜い状況だから、あくまで帆高と陽菜を引き離した張本人じゃない須賀や警察の前で発砲までしちゃうことが、お門違いのオーバーキル未遂にしかなってないという。

    「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」的な感じで、男の子が好きな女の子のために手を汚すことさえ厭わないシチュエーションを監督は描きたかったのかとも思うんですが、拳銃が想いの強さに関係なく一方的に邪魔者を排除できちゃうチートアイテムでしかないせいで、帆高が無双ごっこしたかっただけに見えるんですよね。1回目の発砲を陽菜からすごく嫌がられたことを思い出しすらしなかったから余計に。女の子が嫌がったことを、その子に見られてないところでまた平気でやらかす男の子にはどうしてもいい印象は持てませんでした。なんかDV予備軍みたいというか。

    ほんと、ブンブンさんがおっしゃるように拳銃の代わりに傘を使った方がずっとよかったと思います。使い物にならなくなるまで傘をボロボロにして立ち向かうとかの方が「傘を壊す=雨を受け入れる」という象徴にもなりそうですし。

    • A44さん、ありがとうございます。
      A44さんがおっしゃる通り、あれだけ陽菜さんのことを想っておきながら、拳銃で解決するのは映画の魔法を信じる私でもドン引きでした。やはり、そこは黄色い傘や白いビニール傘ですよねw 象徴としても美しいし、ビニール傘なら、脆くて透き通った心というものも暗示できそうですしね。なんて勿体無いことをするんだ新海誠さん…と思いました。ブンブン涙目です。

  • 初めまして!
    自分が感じたもやもやを説明してくださりありがとうございます。

    天気の子の中心人物の3人の子供は、貧困でした。
    しかし、こうもタイアップにCMを見てると、間違いなく今年のCMキングとCMクイーンは彼らです。

    雨=悪い天気、晴れ=悪い天気。
    異常気象に警鐘を鳴らしてると評価されてますが、まさに年中空調のきいた都市部のオフィスでできた作品。
    同僚が熱中症で亡くなった建設業の方の話を聞いたあとの観賞では余計に虚しくなりました。

    この作品は大量消費社会から生まれた怪物です。音楽を響かせ、綺麗な映像を流し、難解な言葉や初々しいポエムを並べたら名作だそうです。

    • K・Takahashiさん初めまして。 まさに大量消費時代に生まれてしまった怪物ですね。 新海誠監督がここまで成長できたところは嬉しいものの、それに乗っかる膨大な広告の山に薄気味悪さを覚えました。

  • ここの様々なレビューを読ませて頂いて傘、なるほど!思いました。が、単調な推測ですが傘を使わなかったのはこれだけ影響力のある監督の作品で傘での戦闘シーンを行ってしまうといじめなどのクレームが今のご時世起こりうるので、なるべく主人公の「暴力」の描写をリアルからかけはなれた拳銃で誤魔化したように感じます。

    • garlicさん、メッセージありがとうございます。
      確かに、アンパンチで大荒れになるご時世ですからね…

  • はじめまして、レビュー読ませて頂きました。
    特に1と3がストンと腑に落ちました。やっぱり説明不足に感じますよね。物語が順接で繋がってないといいますか、途切れてるような感覚が。そこらへんが心理描写の違和感にも波及してるのかなと。
    ただ自分は理性的に撃たないし撃てない警察の大人と対比した、なりふり構わぬ害意の象徴として拳銃は変えがたい物ではないかと思います。仰るような象徴として傘だったりリアルな暴力として鉄パイプだったりだと殺さない程度の手加減ができてしまうかなと。
    まあ拳銃を使うなら使うで、刑事の理性的でない悪役チックなクソガキ発言なんかは明らかに不要だし、いっそ決断の結果の取り返しのつかない行動として御神体に発砲するとか、もっと拳銃ならではの使いようもあったのでは?と疑問は尽きないですけどねw

  • 2019年ランキング(メジャー)で1位としたので追加の擁護書き込み(DM)をさせていただきます。

    >しかし結局のところ何もこの映画は解き明かさない。世界の秘密が結局なんだったのかも掴めない。
    世界観の説明の過不足は人によって感じ方が違うでしょうね。プロット段階では、陽菜の特殊能力を知っている組織に追われる筋書きとなっていたようなのですが、スタッフの受けが悪いから今の形に変えたそうです。それによって、警察が穂高を追う理由と、穂高が陽菜を助ける理由は本質的には対立構図にはないものになってしまいました。ここの弱点は宇多丸氏も指摘しています。ただ理詰めで物語を把握するならば弱点ではあるのですが、穂高を陽菜を追う組織とだけではなく社会全体と対立させる構図にすることで物語はスケールアップしているとも言えます。

    >天気の子になったものは、いずれ大人になると、天空世界で~といった描写を、お寺での考察エピソードに混ぜておけば
    天気の子が人柱となることで世界は回復するという事を実はずっと繰り返していた、という説明では足りないでしょうか?

    >故郷を失った人がそうそう簡単に引っ越した先でのうのうとやっていけるのだろうか?帆高が東京沈没後に訪ねるお婆ちゃんは涙も哀しみも一つたりとも浮かべないのだ。
    お寺での話と、このおばあさんが語る「昔はここも海だったから元に戻っただけとも言える」という発言で、だいぶ映画の世界観がしっかりしたものになったなとは個人的には思いました。

    奇しくも公開日の前日まで雨が続き、公開とともに晴れだした東京。個人的にも最近の気候のひどさは今までになかったものを感じていました。暖かい、過ごしやすい日というのはほとんど無くなってしまったような印象があり、春と秋は昔と比べ短く荒れたものになっていると思います。この映画のように夏に雪が降るという狂った現象も起きかねない気候状況であると感じています。ただ、さらに引いた目で見れば、17世紀のヨーロッパにも小氷期による異常気象などはありました。方丈記によれば平安末期も天変地異が酷かったそうです。人はいつの時代も今を終末であると絶望したがる傾向がありますが、おそらく人はその先も生きていく。状況から目を逸らすのでなく、まっすぐ見据えての「大丈夫」。この映画からはそんな優しくて力強い希望を受け取りました。

    • 通りすがりさん

      コメントありがとうございます。
      『天気の子』は理詰めで観ると、欠点が多い作品ではありますが、最近は大分冷静に捉えることができるようになりました。
      最近、フランスで『天気の子』が公開され、そのフランス題名を見て、ふと腑に落ちたところがあります。
      フランス語題は『LES ENFANTS DU TEMPS』です。LES ENFANTSは子どもたちという意味で、TEMPSは天気という意味なのですが、TEMPSは《時》という意味も持っています。フランス語において、天気を意味する言葉は多いのですが、《TEMPS》を使うことで、本作が持つ時間の流れというものを表現することに成功しています。

      通りすがりさんがおっしゃっていた「このおばあさんが語る『昔はここも海だったから元に戻っただけとも言える』」という場面と重ね合わせると、大きな時間の流れのある転換期としての災害をありのまま受け入れる物語として考えると、『君の名は。』からのプレッシャーの中で作られた物語として最低限のダメージに留めることに成功した作品なのではと思いました。異常気象、異常気象といわれてますが、地球の歴史からすると案外普通の出来事なのかもしれませんね。

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