ROMA/ローマ(2018)
ROMA
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリャッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、Diego Cortina Autrey etc
もくじ
評価:85点
前代未聞のアカデミー賞作品賞、外国語映画賞無双しそうな作品『ROMA/ローマ』がNetflixで配信された。映画館で観たい気持ちは無残にも打ち砕かれたが、できるだけ良い環境で観ようと朝4時に起き、雑音0の状態で鑑賞しました。本作は、ヴェネチア国際映画祭でNetflix映画として初の栄冠・金獅子賞に輝くと、様々なアメリカメディアから2018年ベスト映画だと賞賛されている。
『ROMA/ローマ』あらすじ
アルフォンソ・キュアロンの自伝的作品。1970年代のメキシコシティ、コロニア・ローマ地区の中産階級の日々を家政婦の視点から描く。家政婦のクレオは、医者のアントニオの家庭で働いている。アントニオは出張でケベックに行っている。家政婦として慎ましく生きるクレオにはある秘密があった。それは妊娠していること。恋人フェルミンにそのことを告げるが、彼は突然消えてしまう…魔法使いになり、世紀末を彷徨い、宇宙から地球へ舞い戻った彼にしか撮れない世界がそこにはある
物語は限りなく透明であり、キュアロン監督が過去にタイムスリップして、家族を撮ったホームビデオである。
本作は、ルベツキ先生から技術を学んだキュアロン監督が撮影監督として覚醒した。奇跡としか言いようのない素晴らしいショットしかありませんでした。
冒頭、石の床が映し出される。
バシャバシャ、バシャバシャ、、、
どうやら、誰かが何かを洗っているようだ。すると、水が石の床に進出してくる。すると鏡のように反射し空が映し出される。そこに、飛行機が通りかかる。あまりに完璧なタイミングにため息が出る。たかが石の床なのに美しい。最初から神の一手を見てしまう。そして、期待値が高まる私を最後の1秒までキュアロン監督は裏切らなかった。ワンコのウンコや、ぐちゃぐちゃな道路、暴動まで宝石のように見えるのだ。
ソダーバーグさながら毎作スタイルを変えていくキュアロン監督ですが、今回まさしく『ゼロ・グラビティ』で宇宙空間から地球に帰ってきた彼女のように原点に舞い戻ってきました。『天国の口、終りの楽園。』の頃のみずみずしい青春時代に帰ってきたのだ。丁度中学生時代に本作を観て、キュアロン監督の作家性に惹かれたブンブンとしては、「おかえり」と言いたくなります。
』で魅せた息苦しい世界にひっそりと咲く美しき花が描かれているのです。
本作で描かれている時代は、メキシコにとって激動の時代でした。アメリカが東西冷戦により、社会主義を締め出そうとする中、裏工作で近隣諸国の政治をコントロールしようとする中でフィデル・カストロとチェ・ゲバラが、キューバ革命を引き起こし、アメリカと対立を深めていた頃。メキシコでは貧富の格差が広がり、学生や知識人の間で社会主義か?資本主義か?と今後の国の行く末について激しく議論され、それが暴動に繋がっていた時代だ。
実際に、本作の舞台である数年前には軍と警察により多くの民間人が犠牲となったトラテロルコ事件が発生しています。そして、この映画の中では1971年6月10日に起きた血の木曜日事件が描かれます。ただ、本作の登場人物は多少事件に巻き込まれるものの、直接物語には関係してきません。これはキュアロンができるだけ自分の過去を忠実に再現しようとしたからであります。ただ、後述する通り、実は『ROMA/ローマ』のテーマを考える上でも、本作が何故アメリカで大絶賛されているのかを考えていく上でも重要なエッセンスな気がします。
うっすらと広がる家政婦の話
本作はまるでラヴ・ディアスの作品のように、ゆっくりゆっくりと話が展開されます。最初1時間経過するまでは、イメージが連続しているだけに見えます。ただ、じっくりと観察していくと家政婦の視点で物語が展開されていることに気がつくことでしょう。ブルジョワ家庭、雇い主に強く言われたり、子どもが喧嘩したりと騒々しい家族を陰から見る家政婦。
そんな家政婦にもプライベートがある。妊娠したのだ。武術を習う恋人と映画館デートをし、そこで囁く。
「私、妊娠したの」
ただ、恋人は映画館からプリズンブレイクして霧のように消えてしまう。孤独を噛み締め家族の世話をする彼女のそばで少しずつ変化が起きていくのだ。家政婦は、掃除をしながら家族の様子を眺める。彼女は、家族の秘密を知っている。でも決して言葉には出さない。まるで修行僧のように淡々としています(全てを悟っていることを象徴するように、武術マスターの誰一人成功できない禅ポーズを唯一クレオだけが成功させるというエピソードが組み込まれています)。ただ影のようにして生きている。『A GHOST STORY
』のおばけのような切なさがある。ただ、家族は意地悪な訳ではない。家政婦を奴隷のように扱うことはしない。多少厳しくとも、しっかり彼女のことは見ており、妊娠していることを知るや否や病院に連れて行ったりするのだ(今の日本の経営者は自分の胸に手を当てて考えてほしい。従業員を大切にしていますか?)。このゆるさが、心にジーンと響いていく。
『ROMA/ローマ』というタイトルについて考える
本作の邦題は『ROMA/ローマ』となっており、てっきりイタリアの話かと思うかもしれないが、舞台はメキシコ。しかも劇中で1度も《ROMA》という単語は登場しない。なんでタイトルが『ROMA』なのか?Filmarksのフォロワーさんが、「これはメキシコシティのコロニア・ローマ地区のことを指しているんだよ」と教えてくれて、ああなるほど『パリ、テキサス』方式なのねと納得したのだが、それにしても『パリ、テキサス』だって、テキサスにパリって場所があるんだよと劇中で言及している。これは単にキュアロン監督の思い出の地をタイトルにしただけじゃないのではと思う。もちろん、フェリーニの耽美的世界を象徴させているというのは一つの考察となりうるでしょう(フェリーニは『ローマ』という作品を撮っています)。物語る前にヴィジョンがある作品だとフェリーニの香りから宣言しているとも考えられるが、ブンブンはロマ(ROMA)とも掛けているのではと思う。
実は日本語ではローマとロマは別表記ですが、英語表記するとどちらも《ROMA》です。
ロマとは(日本ではジプシーと呼ばれていましたが、今では差別用語なのでロマと言われることが多い)、ヨーロッパに多くいる放浪者です。数世代に渡り、ヨーロッパを転々と渡り歩いている民族である。ある種、移民です。フランスやドイツなど旅行された方は見かけたことがあるかもしれませんが、電車の中でお金や物を集団で求めてきたりするロマもいます。パチモンのブランドを売りつけてきたりするロマもいます。悪いケースになると、集団スリを敢行したりします。全員がそういう訳ではないのですが、ヨーロッパではこう行ったタイプのロマが、治安を乱している、風紀を乱していると社会問題になっていたりします。
確かに家政婦クレオはロマである言及はない。ただ、ロマの流浪の民のイメージがクレオを象徴していると考えられる。劇中、クレオの家族についてはほとんど言及されない。また、物語終盤、雇い主がクレオの素性についてほとんど知らないことが明らかになる。破水を起こし、病院に緊急搬送されたクレオに対して医者が、彼女の身分証明を求める。しかし、雇い主は「名前しか知らないのよ」と語るのだ。それまでも微かに匂わせていた、クレオの正体不明な側面がここで明らかにされる。孤独に彷徨い辿り着いた家で孤独に家政婦をやっていたことがようやく明るみに出るのだ。そして一気に本作のテーマが見え始めてくる。
特に注目していただきたいのは、終盤の浜辺でクレオと家族が抱き合うシーン。家族のバカンスに、クレオが誘われる。「私、家政婦だし…」とたじろぐクレオに対して、たまにはいいでしょ!仕事はさせないからと家族は優しく彼女を迎え入れる。そして浜辺。やはりクレオは家政婦としての家族を見てしまう。海辺にいる子どもたちが危ないと思い、軽く止める。自分も海は苦手なので、家族の誘いは断り、海には入らない。そこで、子どもたちが海にさらわれる事件が発生するのだ。カナヅチなクレオは意を決して、海に入り子どもたちを救助して浜辺に倒れる。
通常であれば、家族は「なんだテメェ、子どもを危険に晒しやがって!解雇だ解雇!」
となりそうだが、ここではクレオを家族全員が抱きしめあい。
「良かった」
と抱擁するのだ。
波といえば、冒頭石の床を流れた小さな波を思い浮かべることでしょう。孤独に揺られる波が大きな波として、中産階級の家族を飲み込む。しかし家族はそれを受け入れる。東日本大震災のあの津波を知っている我々からは前衛すぎて、受け入れるまで時間がかかるのだが、『ROMA/ローマ』は、余所者であるのクレオを家族に迎え入れる話だった。つまりは、移民という波を受け入れる話だったのだ。
本作は基本話なんかないので、物語性優先のアカデミー賞作品賞最有力になる訳がないのだが、今の所、『アリー/スター誕生』に次ぐ勢いがある。アメリカメディアの多くが、2018年ベストテンに入れている。それは恐らく、ドナルド・トランプ政権による移民対策や、イギリスが移民対策に嫌気がさしてEU離脱をしたりと世界中で余所者に対する排斥により、息苦しさを感じているからであろう。本作を観ると、暗号のようにこっそりと差し込まれた移民の波を受容する。それも政治家や活動家のように拡声器を持って暑苦しく声高らかに「移民の波は止められない。受け入れるしかない」「ドナルド・トランプやイギリス、デンマークの取っている政策は間違っている」と叫ぶのではなく、そっと囁く。その語り口に胸を打たれたのではないだろうか?
そしてアルフォンソ・キュアロン自身、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ギレルモ・デル・トロに並んでメキシコからブレイクし、アメリカの超大作を撮るようになった人物。ある意味移民である。どこまで意識しているかはわからないが(自伝を描くことを前面にしているため)、そこには移民としてのキュアロンの生き様が滲み出ていました。是非ともイニャリトゥの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
』、デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター
』に次いでアカデミー賞作品賞を獲って欲しいとブンブンは思いました。
来年劇場公開するようです
本作は映画館鑑賞推奨作品です。ネット上で「劇場公開して欲しい」という声を沢山受け、Netflixは全世界で劇場公開を決めました。日本でも来年公開されますようです。ただ、ブンブンが不安なのは、映画館や映倫と揉めて劇場公開がかなり遅れるのでは?ということ、現に東京国際映画祭上映時には、上映スクリーンに置いてNetflixと映画祭で揉めたという話を聞きます。また一番問題なのは、本作でクレオの恋人フェルミンが裸で美術を披露するシーンがある。ちんちんが丸見えとなっている。日本では映倫がちんちんに厳しく、ちんちん描写は漏れなくモザイクをかけさせられます。『エンドレス・ポエトリー』のようにR-18にすることでモザイクを回避するという手法があるが、そもそも『エンドレス・ポエトリー』で映るちんちんは極小です。凝視しないと見えません。本作ではハッキリと写っている。ただ、ボカシをかけてしまうと、キュアロン監督がせっかく作り上げた美を台無しにしてしまう。東京国際映画祭で激しく口出ししたNetflixが映倫のモザイク指令を受け入れる筈がないので、大揉めに発展することでしょう。
下手すると、それが原因で劇場公開が中止されることも十分考えられる。どうか映倫よ、今回はボカシ勘弁してください。全くいやらしいものではないので。
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