【東京フィルメックス】『象は静かに座っている』長ければ良い訳ではない

象は静かに座っている(2018)
AN ELEPHANT SITTING STILL

監督:フー・ボー
出演:Yu Zhang,Yuchang Peng,Uvin Wang,Congxi Li etc

評価:40点

初監督作にして、ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞したものの、プロデューサーとの対立で監督が自ら命を絶った4時間の問題作『象は静かに座っている』を東京フィルメックスで観てきた。

『象は静かに座っている』あらすじ

フー・ボー自身が書いた小説を映画化。経済発展する中国。経済発展に伴う、土地開発で学校は閉校になる運命にあった。団地に住んでいる少年は家に居場所がない。学校閉校の知らせを聞き、「僕はどこに行けばいいの」と不安に駆られている。そんな中、ガキ大将から友人を守ろうとして、そのガキ大将を階段から突き落としてしまう。少年は学校からも家からも逃げるようにして、象がいる満州里の最果てを目指す。そんな彼に導かれるように、彼の同級生の少女、家族から追い出されたおじいさん、愛を失った愛人となんとかしてよりを戻そうとするヤクザが引き寄せられていく…

長ければ良い訳ではない

この手のスキャンダラスな映画は、情により高評価になりがちだ。また4時間という、非常に長い時間観客を映画と対面させる為、《長時間映画に耐えた》という達成感から高評価になりがちだ。

そして、この映画が厄介なのは、殆どの批判に対して、「監督に取っては大切だった」「中国社会の閉塞感を体感させる為に必要な時間だった」の2言でカウンターすることが可能となっている。なんたって、監督が自殺した理由が、プロデューサーに「上映時間を短くしろ」と言われ、対立し、精神が病んだことによるものだから。

ただ、意を決して言おう。かなり出来の悪い作品だ。劣化版王兵映画とも言えるし、汁と麺が絡まないラーメンのような作品だとも言える。もしフー・ボー監督が生きていたのなら、『苦い銭

』を観てほしいとアドバイスしたいし、恐らく彼が影響を受けている『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

』をもう数回観てほしいともアドバイスしたい。

本作は、統合により閉校する運命に立たされた学校で起きる事件により動かされる人々の群像劇だ。いじめられっ子の少年は、家に居場所がない。学校でもガキ大将に怯えながら暮らしている。ある日、友人が携帯電話を奪ったとガキ大将が言いがかりをつけているのを庇おうとして、ガキ大将を階段から突き落としてしまう。どこにも居場所がない彼は、象のいる地を目指す。そこに、彼と同じ団地に住む、家を追い出された爺さん、ヤクザ、少年と同じクラスの女の子が絡んでいく。

確かに、素晴らしいショットは多い。ヤクザと愛情を失った女性の長い長いランチシーンの終盤に厨房が炎上し、ヤクザが厨房の店主を助ける場面のカメラワーク。

老人ホームの自分の物語を失い、ただただ時だけが流れる様。

ヤクザと少年の決闘シーンetc

長回しフェチな私を刺激するショットは沢山ある。しかしながら、そんな本作を台無しにするほど挿話と挿話のセッションが上手くない。原因は、監督が感極まり4時間の素晴らしいショットから苦渋の選択をして挿話を削ることを諦めたところにある。

例えば、老人のパート。孫を連れる部分が死んでいる。愛犬を失い、遂に孤独の淵を彷徨う彼が、もがき苦しんだ末に新たな家族を獲得するのが肝となっている。その為に、少年と少女が機能しているのだが、老人は新たな家族を得る前に孫を誘拐するのだ。それにより、閉塞感しかない世界から見える一抹の光によるカタルシスが弱まってしまう。

また、少年の家庭内境遇と少女の家庭内境遇が似ており、さらに少女の妊娠の話が群像劇として死んでいるエピソードとなっていることから蛇足に感じてしまう。

映画には必要な取捨選択を怠るとどうなるか?それは観客にインフィニティ(無限)の体感時間を与えることとなる。3時間経ったと思ったらまだ2時間も経過していない絶望感。今回の映画祭シーズンで『われらの時代

』『悪魔の季節

』と3時間4時間クラスの映画を観てきたが、本作が一番キツかったです。休憩時間がまさかの、ゼロだったのでまさに象のような忍耐力を試されました。

日本公開する時はインターミッションを入れた方が良いと思いました。

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