若い女(2017)
Jeune femme(2017)
監督:レオノール・セライユ
出演:レティシア・ドッシュ、グレゴワール・モンサンジョン、
スレマン・セイ・ンディアエetc
評価:85点
第70回カンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞し、堅物映画雑誌カイエ・デュ・シネマからは
Léonor Serraille, dont c’est le premier long métrage, fait partie de ces nouveaux cinéastes préférant la bifurcation aventureuse aux sentiers balisés du cinéma français.
ブンブン意訳:レオノール・セライユの初長編作品は、彼女をフランス映画の道を切り開く冒険的な分岐を好む新鋭監督としてデビューさせた。
と絶賛された話題作『若い女』がいよいよ日本公開された。アンスティチュ・フランセのゴーモン特集で、本作の予告編が流れ、惹き込まれた。ってことで先日観てきたのだが、予想以上に面白い作品だったので、本作の魅力について語っていきます。
『若い女』感想
パリで暮らすポーラは31歳。男に捨てられ、金なし、家なし、仕事なしとなってしまう。パリの街を彷徨い、知り合いの家を転々とする。やがて、住み込みのベビーシッターのバイトとショッピングモールの下着店のバイトを見つける。孤独に苛まれる彼女にとって安住の地に見えたのだが…パリのホームレスは辛い!
本作は、一言でいうならば精神不安定な女性がホームレスとしてパリの街をサバイバルするといういたってシンプルな話だ。東京とは違い、パリにはネットカフェやカラオケ、24時間開いているファミレスはほとんどない。故に、一度冬の寒空の下に追いやられてしまうと、たちまち荒野に突き放されたような気分になる。主人公のポーラは、見栄っ張りで、それ故、嘘ばかり言う。空気が読めず、出会う人の心を無意識にズタズタにしてしまう。そんな救いようもない女性が、飄々と運と嘘を味方につけ、なんとか家と家を渡り歩き、食べ物にありつく。この紙一重で、食いつないでいく様子のスリリングさ、そして寅さんとは一味違った魅力的なフーテン像ポーラを演じたレティシア・ドッシュが嫌悪感と興奮を骨の髄まで押し付けてくる。
Love me, Love me
Take me, Take me
という叫びに合わせて、かまってちゃんアピールするポーラの厚かましさが、映画全体に伝播して、観る者に衝撃を与えることだろう。
虚言癖の心理
しかし、無軌道にふらふらとパリを彷徨うポーラの姿とは裏腹に、本作には太い芯が通っている。それは、《人は何故嘘をつくのか》というものだ。特に、本作では虚言癖の心理を深い次元まで掘り下げており、尚且つ観る者に虚言癖のアリゴリズムがしっかりと分かるような構成となっている。ポーラは、冒頭家の扉を頭突きし、破壊したせいで、精神鑑定を受ける。医者の質問には、全く答えようとせず、訳のわからないことを言い始める。メキシコから来た話とか、彼氏の家は豪邸だとか、本当かどうかわからないことを捲したてるように語る。そして、医者が「精神的に不安定ですね」と言うと、「このヤブ医者!」 とキレ始める。この一連のシークエンスを観ると、彼女が病気であることを、また自分が惨めであることを医者に悟られたくないと思い、咄嗟に嘘が出てしまうことが分かる。さらに物語が進むと、彼女のプライドの高さも露見してくる。例えば、ベビーシッターの仕事に就く際、「私学生なの。芸術を学んでいるの。」と語る。友人らしき人に心配されても、自分からは「助けてほしい」とは言わない。《嘘》には理想の自分と現実の自分の差を埋める役割があることを教えてくれる。
そして、ポーラだけではなく、周りを取り巻く人たちも嘘をつく。あるいは手のひらを返す。彼女を心配しているように魅せて、平気で彼女を捨てる。友達だと思っていたポーラが別人だと気づいた途端、ポーラに親身になっていた女性は怒りを顕にする。人間というのは、いかに非合理的か。どんな人であれ、簡単に手のひらを返してしまう。異常だと思われるポーラこそが人間の本質であったことが最後に分かる。
レオノール・セライユは、虚言癖で共感し難いようなキャラクターのサバイバル描写同士のリエゾン(繋がり)でもって、本来人間誰しもが持っている虚言を暴いた。今や合理化/個人主義が行き過ぎてしまい、世界中が冷淡になっている。そこにレオノール・セライユはピリッと皮肉という名の電撃を走らせた。このフランス版寅さん下半期最重要作品の一つである。サントラ、ファッションも素敵だし、97分と短い作品なので、意外とデートにもオススメです。
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