【ネタバレ/解説】ブンブンが語る「ラ・ラ・ランド」が傑作な5つの理由(おまけ:ラジオに出演した件)

「ラ・ラ・ランド IMAX版」観てきた

試写会で観ていたものの、あまりの傑作で、「ラ・ラ・ランド IMAX版」を109シネマズ木場で観てきました♪109シネマズ木場なんて、「スター・ウォーズ エピソードⅡ」以来なのでかれこれ10年ぶりだ。

今回は、ようやく日本公開したってことで、今まで語れなかった「ラ・ラ・ランド」の凄さを10のポイントから語っていくぞ!

全力ネタバレ記事なので、未見の方は「ネタバレなし『ラ・ラ・ランド』評」を読むか、こんなページ閉じてソッコー映画館へ行ってくださいw

傑作ポイント1.万人向けミュージカル!

本作は、シネマズby松竹やシネマトゥデイを始め様々な場所でオマージュが指摘されている程、多くのミュージカル映画等からの引用でできている映画です。

そう聞くと、「格式高そう!」「映画マニア向け映画なんでしょ?」「そもそもミュージカル映画なんて古くさい!」と思ってしまうかも知れません。ただ、この「ラ・ラ・ランド」、全くミュージカル映画について知らなくても豪華で美しく、ノリノリな夢の世界にのめり込み、楽しめるようになっています。実は、本作で使われるオマージュはどれもデイミアン・チャゼル監督風にアレンジされており、まるでタランティーノ映画のような新鮮さを持ったオマージュになっている。

無論、今となってはタランティーノ映画のオマージュはオタク向けというイメージがついてしまった以上、ダミアン・チャゼルの方が上手です。そうこのバランス感覚が凄い!

傑作ポイント2.たった31歳で成し遂げた偉業

従来のハリウッドミュージカルの再生を目指して

フランシス・フォード・コッポラが「ワン・フロム・ザ・ハート」、マーティン・スコセッシは「ニューヨーク・ニューヨーク」。ウディ・アレンは「世界中がアイ・ラヴ・ユー」を作った。

しかし、総て興行収入面で大失敗をしている。それをたった31歳のデイミアン・チャゼル監督。それもまだ、脚本含め2作ほどしか手がけてない若手監督が成功させたことにある。この偉業はアカデミー賞監督賞に値する凄みです。

傑作ポイント3.ミュージカル映画史を冷静に分析した作品

傑作ポイント2でも語ったように、マーティン・スコセッシやフランシス・フォード・コッポラ、ウディ・アレンがかつて1950年代ハリウッドミュージカルの再生を行おうとして興行的に失敗している。ダミアン・チャゼル監督は、しっかりとこれらの作品が失敗した原因を分析し、ハリウッドミュージカル史を語る。それも、後にハリウッド式を真似して大成功したフレンチ・ミュージカルや和製ミュージカルの要素を引用することで説得力を持たせている。

町山智浩がたまむすびの中で1950年代ハリウッドミュージカルの再生と語っているせいもあり、結構そこにフォーカスが当たっているのだが、2回目IMAX版で観ると実は本作の視点はもっとマクロなものではないかと思いました。というのも、「ラ・ラ・ランド」は1930年代から現代までの事情をしっかり批評しています。元々ハリウッドミュージカルは「現実逃避」の娯楽です。
↑バズビー・バークレーが演出を手がけた「Gold Diggers of 1933(1933)」より

↑フレッド・アステア主演「トップ・ハット(1935)」より

1930年代、世界恐慌の最中、バズビー・バークレーやフレッド・アステアのミュージカルが大当たりし大量生産された。

↑戦意高揚向けに作られた「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ(1942)」より
↑水兵ミュージカル「錨を上げて(1945)」より

1940年代になると、戦意向上の為にミュージカルが使われた。

↑ブンブン大学時代のレポート課題で解説したことがある「紳士は金髪がお好き(1953)

↑フレッド・アステアとシド・チャリースの伝説的ダンスが特徴的な「バンド・ワゴン(1953)」より

1950年代は、第二次世界大戦後、本国に帰還した兵士が相次いでPTSDにかかり、麻薬やアルコール中毒になり、まともに働けない人が増えていた時代。そこでも、ミュージカルが流行った。つまり、インドのミュージカル事情同様、ハリウッドもかつては市民の現実逃避の娯楽だった。※インドのミュージカルは沢木耕太郎の「深夜特急」でも語られているとおり、貧しい人が夢を見るための娯楽として存在します。インドにインターン中の知人曰く、インドの映画館の前では今上映しているインドミュージカル映画の海賊版DVDが販売されているとのこと。また、3時間クラスの作品が多いせいもあり、途中で出たり入ったり外から飯を持ち込んだり自由奔放に楽しんでいるとのことつまり、インドにおいて映画はどうやら映画の内容を楽しむというよりも遊園地のように劇場の高揚感を楽しむ娯楽として昨日しているとのことです。

↑ジャック・ドゥミのフレンチミュージカル「シェルブールの雨傘(1964)」

↑クレイジー映画「ニッポン無責任時代(1962)」

1960年代になるとそのあまりにも華やかで、最先端の技術が導入されたミュージカルをフランスや日本が真似し、「シェルブールの雨傘」とかクレイジーキャッツ映画などが作られ、これまた大当たりした。故にハリウッドミュージカルの再生を描くにはノスタルジーなんて女々しいものに頼ってはいけない。「過去の映画表現を振り返る」なんて描写はいらない。今風にしなきゃいけない。デイミアン・チャゼル監督は、予告編でも確認できるのだが豪華で美しい美術・衣裳演出を施している。

しかし、テクニックはそれだけではなかった。従来、暗くなりすぎて撮れなかったロケでの長回しを長回しのカメラで行っています。

1950年代の技術では、夜外で役者が踊っても、見えないものだった。頑張ってもアスファルトの地面に水をまいて光を得る方法しかなかったので、どうしても「雨に唄えば」のように屋内で撮らざる得なかった。だからこそ、今回の映像は35mmカメラで撮られているにも関わらず一切古さを感じさせない作品になっている。

つまり、老若男女楽しめる万人向けミュージカルにも関わらず、裏ではハリウッドミュージカル映画史を分析し、それを踏まえデイミアン・チャゼル監督の考える。ミュージカル論を提示する言わば論文になっているところが凄い!

→NEXT:傑作ポイント4.古典傾倒への批判

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