【ザカリアス・クヌク特集】『The Journals of Knud Rasmussen』信仰の移ろい
イヌイットの、イヌイットによる、イヌイットのための映画を作り続けているザカリアス・クヌク監督。彼の2006年に製作された『The Journals of Knud Rasmussen』を観ました。
イヌイットの、イヌイットによる、イヌイットのための映画を作り続けているザカリアス・クヌク監督。彼の2006年に製作された『The Journals of Knud Rasmussen』を観ました。
M・ナイト・シャマラン『オールド』が公開されるや否や、Twitterでは賛否両論が分かれている。M・ナイト・シャマランはかつて町山智浩が『シックス・センス』や『ヴィレッジ』がパクリ映画だみたいなことを言ったこともあり、また『シックス・センス』のどんでん返しが凄すぎたこともあり、割と過小評価されがちの監督である。だが、彼の醍醐味はどんでん返しがどうとか、スリラーがどうとかそこにはなく、独自の歪んだハリウッド映画を魅せてくれるところにある。『アンブレイカブル』でアメコミヒーロー映画の最初にありがちな平凡な男がヒーローに目覚めるまでの過程をじっくりと描いた後、10年以上の時を経て『スプリット』、『ミスター・ガラス』と2010年代映画のテーマである「ユニバース」の文脈に歩み寄ってみせた。『サイン』、『ヴィジット』ではよくあるハリウッドポップコーン映画の文法で作りながら、時折シャマラン独自のユーモアを挿入してきてスパイスとなっていた。こうした、クリシェ外しがカイエ・デュ・シネマにウケているせいかたまに年間ベストに入ったりします。
M・ナイト・シャマランといえば『シックス・センス』でどんでん返しの人のイメージがついてしまい、毎回その呪縛と闘っているような監督である。だが、実はその呪縛というのは観客の心を縛っているに過ぎず、実は彼は一貫して俺的ハリウッド映画を作り、そのねじ曲がったもう一つのハリウッド映画像が面白さに繋がっている。例えば、国際的にカイエ・デュ・シネマぐらいしか評価していない『レディ・イン・ザ・ウォーター』を例に取る。一見すると、ウンディーネ的話の翻訳や、怪物映画として失敗しているように見える。ある意味、それは正しい。あの映画には怪物はいらなかった。彼は寓話を通じて、多様性と言いつつもバラバラになってしまっている現代人を繋ぎとめようとしたのだ。宗教が、人々をあるベクトルへ向けさせるのと同様。寓話を通じて絆の温もりを描こうとした。と同時に、その絆も禍々しい側面、ある種の陰謀論的危うさをも示唆しており魅力的であった。『ミスター・ガラス』では、シャマランなりのヒーローユニバースを築きあげた。さて、『オールド』はどうだろうか?今回はネタバレありで『オールド』の謎に迫っていこうと思う。
絶望部屋へようこそ(2020)WELCOME TO MY DESPAIR ROOM 監督:小野光洋 出演:甲田守、長谷山結衣、前田充弘、川久保晴、玉城琉太、山村大輔、木所恵子、吉田実加、佐藤ザンス、稲葉祐子etc 評価…
2021/10/2(土)より公開される『恐るべき子供たち 4Kレストア版』をリアリーライクフィルムズさん、Cinemagoさんのご厚意で一足早く観ました。ジャン・コクトーの世界をジャン=ピエール・メルヴィル(『サムライ』、『仁義』etc)がどのように映画化したのか、覗いてみましたので感想を書いていきます。
クリプトズー(2021)CRYPTOZOO 監督:ダッシュ・ショウ出演:レイク・ベル、マイケル・セラ、エミリー・デイビス、アレックス・カルポスキー、ゾーイ・カザンetc 評価:60点 おはようございます、チェ・ブンブンで…
沖田修一監督は深刻な内容をゆる〜く描くのを得意としている。『おらおらでひとりいぐも』では話し相手のいない黄昏に生きる老人の終焉を、イマジナリーフレンドとの掛け合いでユーモラスに描いていた。『横道世之介』では突然、「死」が浮かび上がり、『滝を見にいく』では老人が山で迷子になり生死をかけたサバイバルとなる。さて、最新作『子供はわかってあげない』はどうだろうか?田島列島の同名漫画の映画化。私は原作未読で挑んだのですが、これがトンデモナイ作品であった。
昨年、知人から服部正和監督の『FRONTIER』が面白そうだと話を聞いた。予告編を観ると、日本インディーズ映画ながらも『インターステラー』のような壮大なSF映画を彷彿させる世界観に惹きこまれ、観たいなと思っていた。先日、オンライン開催される第22回ハンブルク日本映画祭で配信されると聞いて、急遽観ました。何も知らない方が楽しめる作品な為、紹介するのが難しい作品ではありますが、今後日本映画界に世界と闘える本格SF映画が生まれるのではと思わずにはいられませんでした。というわけで軽めの感想書いていきます。
本作は村上春樹「ドライブ・マイ・カー」の映画化であるが、映画の始まりは肉体を交える度に物語る女を描いた「シェヘラザード」である。この引用に私はしびれた。「ドライブ・マイ・カー」は幾ら戦略的に描かれているとはいえ、2013年時点で「男らしさ/女らしさ」を語る手法に古臭さを感じた。村上春樹の女とはこうあるべき論が批判的に描かれているように見えて、彼の本心なんじゃないかと思うところがあった。
映画では、そういった原作にある「男らしさ/女らしさ」の話を巧みに解釈し、2020年代に相応しい普遍的な物語へと昇華している。
MUBIにオリヴィエ・アサイヤスの『5月の後』が来ていました。1960年代、学園闘争は世界各地で発生していた。そして70年代になると、結局大人や社会によって潰され、「暴力で世界は変えられない」と悟ったのか若者はそれぞれの道を歩み始め、運動は下火になっていった。そんな70年代前半、運動にのめり込んでしまった者のイタさを描いた青春映画だ。その前に、5時間30分にも及ぶテロリストの活躍を描いた『カルロス』を撮ったアサイヤス監督が少し肩の力を抜いて作った、暴力の内側に入ろうとして外側に押し出される者による青春の蹉跌。これがとても面白かった。