感想

2021映画

【OAFF2021】『ナディア、バタフライ』身体の一部が喪失する倦怠感

何十年も、一つのことに没頭してきた者がそれを失う時、そこには大きな喪失感が生じる。本作は東京五輪をテーマにしたスポーツ映画でありながら、試合のシーンを横に置くユニークな演出が特徴的な作品だ。通常の映画であれば、引退する水泳選手の物語を描くのであれば、最後に有終の美としての泳ぎを魅せる。しかしながら、『ナディア、バタフライ』は冒頭20分で練習の場面と最後の試合の場面を完了させてしまうのだ。そして、その場面がとてつもなくスリリングで美しい。

2021映画

ATフィールドを破り、真希波・マリに接吻する虫を大阪エキスポIMAXで見た話

私は映画館で超常現象によく巻き込まれる。『イメージの本』を観た時は、私のい席を挟んでおっさんと女が喧嘩を始めた。『プリズン・サークル』を観た時は、隣に延々と空手ポーズをしながら「殺す」と呪文を唱え続けるヤバい人と2時間半を共にした。レイキャビく映画祭で『さよなら、人類』を観た時は、映写トラブルで字幕が映らず、スウェーデン語字幕なし心の副音声で映画を堪能する羽目になった。そういえば、かつてココマルシアターで初回の映写トラブルにも立ち会った。

そんなジョン・マクレーンな自分を運命は逃さなかった。世にも珍しい映写トラブルに出会ったのでここで成仏しようと思います。

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【 #サンクスシアター 12】『彼方からの手紙』彷徨える瀬田なつき

不動産屋の男・吉永(スズキジュンペイ)がお客さんに部屋を紹介すると、「他の店を当たります」と言われる。その真横をボールがぽんぽん飛び跳ね階段の下に落ちていき、客の対応とボールの確保どっちを優先すべきか迷っているうちに両方とも逃す。コンビニでレジに並ぶも全く店員が来なかったり、料理をしていると突然停電になって、そのまま足の小指を打ったりする。女の子のために物件のコピーを取ろうとすると何故か鼻血がベトっと原本についてしまい、それが印刷され、対処に手こずっている内に彼女は店を出てしまう。これら彼がアクションをしようとすると、それを無残に断ち切られてしまう姿が物語の後半に機能してくる。

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【告知あり】『コントラ KONTORA』後ろ向きに歩く男と邂逅する少女ムシェット in JAPAN

学校にも家にも居場所がなく、タバコを吸ったり酒を飲んだり、口答えしたり不良になろうとしているものの周囲はやんわりそれをスルーしてしまい生き地獄を感じている少女ソラ(円井わん)が、亡くなった祖父が遺した宝箱を手に入れる。そこの中には「鉄腕を埋める」というメッセージが書いてあり、彼女は非現実を求めて深淵の森で宝探しを始める。

一方その頃、町では後ろ向きに歩き続けるホームレス(間瀬英正)が出現する。車通りの多い道路をグルグルと回り始めたりと予測不能な動きをする彼に町人はドン引きする。案の定、自転車に轢かれたりするのだが、それでも後ろ向きに歩き続けるのだ。その二人が邂逅した時、物語は思わぬ方向に走り始める。

2021映画

【 #サンクスシアター 11】『ユートピア』インディーズが生んだ逆異世界転生もの

ある日、まみ(松永祐佳)が悪夢から目を覚まと、床に斧のようなものが刺さっている。恐る恐るベッドの上を見ると夢で見た女の子が寝ているではありませんか。むっくり女の子が起きると、何かを伝えようとしているのだが、英語でもない東欧系の謎の言語を話していて全く理解できない。通常、異世界転生ものでは都合よく言語の壁は解消されがちだ。あのリアル路線な「本好きの下克上」ですら、異世界の転生前の世界にない言葉だけ通じない設定にしているくらい言葉の問題は厄介なので御都合主義で処理されてしまう。

サンクスシアター

【 #サンクスシアター 10 】『THE DEPTHS』濱口竜介の深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

濱口竜介映画の面白いところは、会話劇でありながらも映画的ショットを常に意識しているところにある。『親密さ』における第一部から第二部に切り替わるまでのスムーズな動き、『寝ても覚めても』における冒頭のストーカーシーンにおける距離感と丘の横移動を使った心の距離感をリンクさせていくところに魅力がある。クローズアップ一撃必殺なホン・サンスとは違って、同じ会話劇監督であっても映画史の積み重ねから来る手数の多さ、あるいは発展のさせ方に魅力がある。

2021映画

【MUBI】『UPPERCASE PRINT』プロパガンダの皮をひらいてとじて

チャウシェスク政権下で見つかった落書き。自由を求めるメッセージが込められたその落書きを巡って秘密警察は動き始め、若者Mugur Calinescuが殺されてしまう。それを、テレビ番組のようなステージの上で人々が再構築していく。話されることは物騒なことばかりなのに、そこで挿入される映像は子どもが「おかあさんといっしょ」のような空間の中でワイワイ遊んでいたり、経済成長しているアピールをするCM、軍隊や市民による集団行動だったりするのだ。つまり、表面的には国家として成功しているように見えて、その実情は市民の声を踏みにじっている。それをまるで、シールをひらいてとじる感覚で演劇パートとフッテージを交差させることによって辛辣に社会批判してみせるのだ。プロパガンダの再構築によって新たな社会批評の方法を模索している監督にセルゲイ・ロズニツァがいる。彼は『国葬』の中でスターリン時代のプロパガンダを再構築することによって、プロパガンダで封殺されて市民の痛みを強調していたが、『UPPERCASE PRINT』の場合、淡々と喋る役者の演技とプロパガンダが悪魔合体することによって、痛みが継承されていく過程まで描けていた。