『ジャガー』台本なきフィクションを通じて

ジャガー(1967)
Jaguar

監督:ジャン・ルーシュ

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

日仏学院メディアテークで借りたジャン・ルーシュBOXにて『ジャガー』を観た。本作は日本では全く知られていないがジャン・ルーシュの映像理論を知る上で最も重要な作品となっている。一見するとドキュメンタリーにしか見えない本作だが、台本なきフィクション作品として作られているからだ。そしてこの構成を通じて社会システムを鋭く描いている。映画だけだとこの背景がわかりにくく「ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者」といった資料を必要とする作品ではあるのだが興味深く観た。

『ジャガー』あらすじ

The adventures of three young men who leave their homeland Savannah, Niger, and go looking for fortune in Ghana.
訳:故郷であるニジェールのサバンナを離れ、富を求めてガーナへと向かう3人の若者の冒険。

IMDbより引用

台本なきフィクションを通じて

本作はニジェール出身の3人の男を中心に描くロードムービーである。3人は占い師にゴールドコーストへの旅の行方を占ってもらう。困難な旅であるが帰って来られれば良いことがまっていると告げられる。3人の冒険は始まった。旅先で仕事を通じる彼らを通じて移民のメカニズムを描いていく。

本作はロバート・フラハティに近く、撮影した映像を被写体に鑑賞させ、フィードバックを反映させる形で制作されている。映画では徒歩による過酷な旅、旅先でのハードワークが描かれているが、多くは監督と役者との間で生み出された虚構である。しかし、横転したバンを物色する場面など、撮影の時に遭遇した事象を前に即興的に物語を作っている部分も多く、それがドキュメンタリー映画としての雰囲気を強めている。

そして映画はアフリカ人の間でも資本主義のメカニズムが根強く浸透しており、より豊かになろうとする気持ちが出稼ぎ労働者の動機となっている本質を捉えている。

ジャン・ルーシュ映画の胡散臭さは一昔前までは酷いとし一笑していたのだが、調べれば調べるほど一筋縄ではいかない作家だなと痛感させられる。ドキュメンタリーはありのままの真実を伝えるものではない。そこには脚色が入るのでフィクションであるといったことを聞いたことがあるのだが、ドキュメンタリーのようなフィクションでもってジャン・ルーシュは証明し、その証明を通じて現出した特性でもってアフリカ社会を捉えようとした記念碑たる一本といえよう。

余談だが、散髪屋の場面で少年をスキンヘッドにする光景が観られるのだが、皮膚を傷つけず綺麗にスキンヘッドになっていく過程はYouTubeでスキンヘッド動画をよく観る私から観て芸術点が高かった。