【第37回東京国際映画祭】『オリビアと雲』感情の微分積分

オリビアと雲(2024)
原題:Olivia & Las Nubes
英題:Olivia & the Clouds

監督:トーマス・ピカルド=エスピラット
出演:オルガ・バルデス、エクトル・アニバル、エルサ・ヌニェスetc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年はドミニカ共和国映画に注目である。本格的なSF映画『Aire: Just Breathe』やカバの残留思念映画『ペペ』が国際映画祭を巡回している。そして東京国際映画祭で上映される『オリビアと雲』もまたドミニカ共和国映画なのだ。これは観るしかと脚を運んだ。ヴィジュアルのイメージから全編ジョアン・ミロタッチの抽象アニメーションだと思っていたのだが、実際には様々なアニメーターが別々のタッチで描く総合格闘技のような作品であり、ジョディ・マックやサファイヤ・ゴス、ガイ・マディンといった実験映画監督の香りを感じさせる一本であった。また、一度観たら使用したくなるであろうタイポグラフィは日本人の
Tomomi Maezawaが担当していた。本祭のダークホースであったので報告する。

『オリビアと雲』あらすじ

オリビアとラモン、マウリシオとバルバラという二組の男女を通じて描かれる愛の複雑さ。オリビアは過去の恋に取り憑かれ、その思いをベッドの下に隠す。マウリシオに拒絶されたバルバラは、空想的な物語を通して現実逃避する。多彩なアニメーションのスタイルが用いた、ドミニカ共和国初の大人向けアニメーション。

※第37回東京国際映画祭より引用

感情の微分積分

アニメとは、人間の三次元的動きを微分することにより、我々が気づかなかった人間の動きや心理を捉えることができる。本作は三次元と二次元を結び付けるために、フィルムタッチの実写、ストップモーション、そしてジャンル横断的なアニメが用いられている。これにより層が意識される。この状態で、ヒトとヒトとの関係性を観た際に、心理的距離感が浮かび上がる。

例えば、男と女が対話する場面。男はレイヤーの一番手前にいるように見える。そして女は、奥のレイヤーにいるように思える。実際には同じレイヤーにいるのだが、女の上にかぶさっている机のオブジェクトによって二人の階層を擬似的に分断している。これにより、双方は対等に話しているようで、心が離れてしまっている様を示唆している。

また第二章では非モテおっさんの日常が描かれる。ロトスコープで描かれた街の中をおっさんが徘徊し、ボーイ・ミーツ・ガール。その出会いの勢いで接吻をキメるも、瞬間的ビンタを食らわされる。孤独なおっさんは、家で歯の埋められた土に水を与える。すると、文字通り「目」が生えてきて語り掛ける。ここでは、おっさんの服と「目」に注目してほしい。どちらもビリビリに敗れた記入用紙となっている。このことから、内なる他者としての女性であることがわかるのだ。おっさんは、町ではピシッとしたヴィジュアルだが、家だとみすぼらしい。人間の裏表を、アニメ的表現によって捉えているのである。

本作は動くアンフォルメルないしアクション・ペインティングとなっており、人間の溢れんばかりの心理がミロさながらの色彩で彩られていく。ただ、色彩のパワーで押し切るのではなく、アニメ表現の可能性を探求し続けるアプローチには脱帽だ。特に、コマ割りを使った表現は慧眼であり、分割された空間の中を人が移動するのだが、その分割が死角から扉、そして地面へとシームレスに変容していく様、同じ人物の運動の異なるベクトルを共存させる異時同図法の面白さ含めて素晴らしかった。

日本公開は絶望的であるが、映画祭ならではのアート映画として良い出会い方をしたのであった。