『灼熱の体の記憶』わたしの体は燃えている消防車を必要としている

灼熱の体の記憶(2024)
原題:Memorias de un cuerpo que arde
英題:Memories of a Burning Body

監督:アントネラ・スダサッシ・フルニス
出演:ソル・カルバージョ、パウリーナ・ベルニーニ、フリアナ・フィジョイetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第37回東京国際映画祭ウィメンズ・エンパワーメント部門にて上映される『灼熱の体の記憶』を観た。本作は元々、祖母の話を聞いてコスタリカ社会における抑圧像に関心を抱いていた監督が、記憶障害を患っている祖母から話を聞き出せそうになく、様々な女性を取材する中で生まれた作品である。その過程で生まれたアプローチが興味深い一本に仕上がっていた。

『灼熱の体の記憶』あらすじ

60~70代のアナ、パトリシア、マイエラは性の話がタブーだった青春時代に思いを馳せる。勇気を出して語られた彼女たちの秘密の物語は、ある女性によって体現される。

第37回東京国際映画祭より引用

わたしの体は燃えている消防車を必要としている

おばあちゃんが部屋の中を徘徊する。そこに重ねるように3人のおばあちゃんの語りが被せられる。今回、取材対象になった3人のおばあちゃんは社会的抑圧、異性関係にトラウマを抱えていることもあり、カメラの前には出てきたくない。だが、語ることはできる。そこでアントネラ・スダサッシ・フルニスは役者を立て、再現イメージビデオを形成し、そこに語りを被せることを編み出す。これには幾つかの機能がある。まず、映画の発端である祖母の記憶と3人の女性の記憶からコスタリカ社会、宗教や伝統と結びついた抑圧を抽象化、普遍化している。眼前に現れる人と、補助線としての音声含めると8種類の声がある。空間を部屋に限定しながらも、ぬるっと時空を飛び越え、若かれしころの記憶や映画館へ行った思い出が、まるで部屋の中にいるおばあちゃんが回想した心象世界が現出するかのように描かれる。部屋にカーテンがしかれ、そこをスクリーンに見立て、疑似的に映画館の空間が現れるところに演出の妙が光る。

映画は終盤に行くに従って、DV的な関係性が直接描かれるようになる。男性による女性の眼差しの生き辛さが強烈に飛び込んでくるのである。昨年の『Four Daughters』に引き続き、ドキュフィクションのアプローチに新規性を感じるものがあった。