【ゴダール特集】『プラウダ(真実)』修正主義に編集を

プラウダ(真実)(1969)
PRAVDA

監督:ジャン=リュック・ゴダール(ハンス・リュカス)、ジャン=アンリ・ロジェ、ジガ・ヴェルトフ集団、ポール・ビュロンetc

評価:80点

『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』に備えてジガ・ヴェルトフ集団の作品を中心に予習をすることにした。昨年からYouTube動画を作るようになり「編集」を意識した映画に学びを見出せるようになったため、良きタイミングといえる。

『プラウダ(真実)』概要

<第一部・具体的状況> チェコの日常生活を描いたショットの連続で、全体的になにか暗い感じである。 <第二部・具体的状況の具体的分析(a)> チェコにおける具体的な問題点、経済主義、スターリン主義、官僚主義などを分析していく。 <第三部・具体的状況の具体的分析(b)> 第二部のいくつかのシーンが、より長いショット、より単純な方法で再現される。しかも第二部のように適当な個所に分散してつなぎ合わせるのでなく、ある特定の内容をもった項目(例えば学生、カードル、農民、兵士プロレタリア、ソ連など)と対応するよう編集されている。 <第四部・新たな具体的状況> プラハの中心街から郊外へと走るレーニン・プールヴァールの市電のクローズ・アップや、赤く塗られた市電の側面がスクリーンを横ぎるなどの単純な手法で、ソ連共産主義が今や資本主義の温和な敵であるばかりか資本主義の前衛であり、味方であることを示す。 <第五部・正しい思想> 一部から四部までに示されたチェコの深い問題点を是正するためには、階級闘争、生産闘争、科学実験の社会的実践が必要である。この闘争が、これまで見てきた画像の再現によって表現される。

映画.comより引用

修正主義に編集を

本作では、チェコを舞台に映画とその他メディアを対比させながら修正主義や国際情勢に飲み込まれていく状況に映画はどのような手を差し伸べられるのかを議論していく。赤のイメージ、社会主義のイメージの中にアメリカの要素が垣間見える。それを通じて帝国主義を非難する。また、『ひなぎく』のヴェラ・ヒティロヴァを取材し「国家に管理された方が自由に映画作りができる」といった言葉を引き出す。対して、アメリカ映画に取り込まれていくミロス・フォアマン像を指摘する。

本作を観ると、カイエ・デュ・シネマベストにギー・ドゥボール『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』やヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく』が入っていることが点としてではなく面として存在することに気づかされる。特に、本作はギー・ドゥボール作品からの影響を強く感じる。スライドショーのように画を提示しながら語りを入れ、映画におけるスペクタクルから一歩距離をおくことでメディアにおける映画の特性を見出そうとする。ゴダールは本作の中で、真っ黒の画を提示し、政府によって削除された画として定義する。これは『サドのための絶叫』における、白画面に断片的な言葉を載せる演出の応用例として興味深いものを感じた。