【東京国際映画祭】『鳥たちへの説教』バイダロフ「説教」煉獄編

鳥たちへの説教(2023)
原題:Quşlara Xütbə
英題:Sermon to the Birds

監督:ヒラル・バイダロフ
出演:ラナ・アスガロワ、オルハン・イスカンダルリ、フセイン・ナシロフetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第36回東京国際映画祭コンペティションにアゼルバイジャンの問題児ヒラル・バイダロフ新作『鳥たちへの説教』が降臨した。ヒラル・バイダロフといえば、『死ぬ間際』がヴェネツィア国際映画祭のコンペティションに選出され、併せて東京フィルメックスのコンペティションでも大暴れした。その後、東京国際映画祭ガチ勢を絶望の淵に落とした『クレーン・ランタン』を発表。監督すら何を撮っているのか分からないとインタビューで語り物議を醸した。そんな彼の新作なのだが、実は3部作の2作目にあたる。日本未紹介の『Sermon to the Fish(魚への説教)』がその前にあるのだ。これは『クレーン・ランタン』がロケハンだったことが分かる作品で、同じような風景を背に体が腐食していく世界の物語を付与したものであった。

『鳥たちへの説教』あらすじ

『クレーン・ランタン』(21)で東京国際映画祭芸術貢献賞を受賞した孤高の映画作家、ヒラル・バイダロフの最新作。アゼルバイジャンの森を舞台に、戦争が人々に残した傷がもたらすドラマが驚異的に美しい映像で描かれる。

※第36回東京国際映画祭サイトより引用

バイダロフ「説教」煉獄編

では『鳥たちへの説教』はどんな作品に仕上がっていたのだろうか。実際に観る。彼のフィルモグラフィーを踏まえると、これはダンテ「神曲」における煉獄編であることが分かった。

猟師は山を登る。どうやら山の頂では結婚式が行われるようでスーラとダヴドは猟師の到着を待っていた。『Sermon to the Fish』で描かれた地獄のような空間とは違い、本作では静けさ、美しさが包む中、人々は痛みや苦しみを背負いながら山を登っていく。まさしく「神曲」における罪を背負いながら丘を登り、魂を浄化させていく物語と一致する内容となっている。

そして本作を読み解く上で重要な要素がいくつかある。一つは「音」である。画としてはあまり映らないが、銃声や爆撃の音が定期的に響き渡る。これは戦争を示している。男は銃を持っており、時に鳥を殺したりする。殺しによる罪を背負いながら山を登っているのである。そしてもう一つ重要な要素としてカラー/モノクロの切り替えがある。本作は形而上の内容となっており、人々の心象世界が描かれている。山を登るパートは基本的にスーラやダヴドなどの心理的状況を示しており、より内面に潜る時、映画はモノクロになる。実際、山の頂上でスーラが自殺した後に、再度猟師の到着に合わせて二人の死が描かれる。こちらのパートは現実において戦争の中、死がもたらされる状況が描かれているといえよう。そしてその直前の死は、二人の内面の世界と捉えることができる。

実際、本作が形而上の内容であることは粒子を使った演出で明白に提示されている。粒子の集合体は常に変化する存在である。形がないようなものであるが確かに存在としてそこにある。これは自己の内面が形を持っていないながらも確かに存在することに近い。自己と他者との間に境界を敷くことで存在は可変的でありながらも存在できる。これを映画的に粒子を使って落とし込んでいるのだ。

ヒラル・バイダロフは一貫して生と死の境界をシームレスに描いていく。『クレーン・ランタン』こそ迷走してしまった問題作であったが、ここに来てパワーアップしたバイダロフが観られて大満足なのであった。
※映画.comより画像引用