観光客の哲学
著者:東浩紀
『観光客の哲学』概要
2017年の初版刊行以来、第71回毎日出版文化賞(人文・社会部門)受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2018でも第2位ランクインなど多くの反響を呼んだ『ゲンロン0 観光客の哲学』に、計2万字におよぶ2つの新章を追加した待望の増補版が刊行。姉妹編となる『訂正可能性の哲学』の連続刊行も予定しています。
意外な角度から観光について切り込む
元々は世界遺産検定マイスター対策としてオーバーツーリズムに対する論考が読めるのかなと思っていたのだが、東浩紀氏も断り書きしている通り、我々がそのタイトルから想起するような観光理論はあまり出てこない。本書の構成は、パズルのように複雑となっており、突然ハンナ・アーレントや数学理論を持ち出してくるので衝撃を受けることであろう。しかし、その意外性こそがインスピレーションを高めることとなる。東浩紀氏の思索を通して新しい発見を見出していく読み方をすると良いのかもしれない。個人的に、メタバースやVTuberといった物理世界と仮想世界の関係性に対する関心が高いので、第7章「不気味なもの」におけるサイバースペース論は興味深いものがあった。SNSで本垢、裏垢を使い分けるように、物理世界、仮想世界を行き来する中で明確に区別された個を通じてコミュニケーションを行っていく世界が段々と崩壊し交わり合っていく。彼の言葉で言うならば「分人」になれなくなっていく。この理論はVTuberと当てはめるとしっくりくる。キズナアイが登場したVTuber黎明期において、設定や物語を演じる側面は強かったように思える。しかし、雑談配信やゲーム実況を行う中で配信者の素の側面がアバターに投影されていく。それにより、VTuberは設定と配信者の性格が交わり合ったものとなり、それが視聴者に受容されていく。完璧に役や設定を演じることは難しいのだ。そのため、名取さなさんのように、普段の配信とは少し距離を置いたところで物語を紡ぐ運用をしたり、あるいは自分の中のどういう側面を見て欲しいかを表すために衣装をいくつか用意し、それを纏うことで、世界観をコントロールする方向性にシフトしているのではないだろうか?
本書では、現代はタッチスクリーンの時代であることが言及されている。従来のスクリーンは、一方的に提示されるだけだったのだが、タッチスクリーンにより、自分の行動がスクリーンに反映される。インタラクティブな関係となり、それが主流となったと語っている。これも確かにそうだ。TVからYouTubeの時代になり、我々のコメントがスクリーンの向こうにいる人の行動に影響を与える。その関係性から文脈が生まれてくる点、我々とメディアの関係は変容したといえよう。
このように、蓋を開けると観光よりもサイバースペースの話に惹き込まれたのだが、そういう意外な出会いをもたらしたので『観光客の哲学』は面白い読書体験となった。
※Amazonより画像引用