【ネタバレ考察】『怪物』ヒトは事実より信じたいものを真実にする

怪物(2023)

監督:是枝裕和
出演:安藤サクラ、永山瑛太(瑛太)、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子etc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

第76回カンヌ国際映画祭で日本映画『怪物』が脚本賞を受賞した。監督は『万引き家族』でパルム・ドールを受賞した是枝裕和。脚本は『花束みたいな恋をした』の坂元裕二だ。本作は、カンヌ国際映画祭開幕前から物議を醸していた作品。マスコミ試写会で、ネタバレに関する制限が通達されたようなのだが、そのネタバレ部分に性的マイノリティの問題が含まれており、後述する通り内容がハードなこともあり、明かした方がいいのではと議論を巻き起こしたのだ。実際にはクィア・パルムを本作が受賞したことにより、性的マイノリティの要素は公開情報となった。ただ、Twitterではまだ観ていない状況にも関わらず強いジャッジが行われてしまったように思える。SNSでは時たま話題がヒートアップしたり、炎上したりする。タイムラインがその情報でいっぱいになると、その話題について言及したくなる。だが、実際の現場を見ていないのにジャッジするのはどうだろうか?映画祭の場合、まだ公開されていない映画、限られた人しか観られない作品についてあーだこーだ空想を膨らませる醍醐味があるが、行き過ぎたジャッジは歪んだバイアスを生み出してしまう。

というわけで、一旦『怪物』問題とは距離を置き、公開日初日に観て来た。是枝裕和監督作品はそこまで好きではないのだが、今回の『怪物』は坂元裕二脚本ということもあるのか、非常に良くできた作品であった。そして、この映画の内容自体が皮肉にも現実で起きてしまっている論争に近いものであった。確かにカンヌ国際映画祭の審査員長を務めたリューベン・オストルンド監督が好きそうな作品であり、脚本賞受賞も納得であった。

今回はネタバレありで本作について語っていく。

『怪物』あらすじ

「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督が、映画「花束みたいな恋をした」やテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで人気の脚本家・坂元裕二によるオリジナル脚本で描くヒューマンドラマ。音楽は、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、2023年3月に他界した作曲家・坂本龍一が手がけた。

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。

「怪物」とは何か、登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに訪れる結末を、是枝裕和×坂元裕二×坂本龍一という日本を代表するクリエイターのコラボレーションで描く。中心となる2人の少年を演じる黒川想矢と柊木陽太のほか、安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子ら豪華実力派キャストがそろった。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され脚本賞を受賞。また、LGBTやクィアを扱った映画を対象に贈られるクィア・パルム賞も受賞している。

映画.comより引用

ヒトは事実より信じたいものを真実にする

人は事実と他者から語られる真実を基に自分の中の真実を紡ぐ。しかし、感情揺さぶられる事象を前に自分が信じたい真実を作り出し、歪んだ事実が生まれる。

『怪物』は一つの疑惑を母親/担任教師/当事者、3つの観点から描くことで炙り出していく。ここで重要となってくるのは、「自分は間違えない」と思っても、認知の歪みが発生し、それが加害につながることを示していることである。早織(安藤サクラ)はドッキリ番組を観ながら「こんなの騙されないよ」と豪語する。実際に、彼女は息子・湊(黒川想矢)の不審な行動を見ても、一旦は事実や正しい真実を掴もうとする。水筒に入った土、突然髪を切り出す状況。これらをまとめて「いじめが行われている」と判断し、学校に詳細を聞き出そうとする。しかし、学校はダメな政治家のように俯きながら淡々と平謝りをし、経緯について詳細を話してくれない。それに苛立った早織は、ママ友から聞いた噂話を精査しない状態で担任教師にぶつけてしまう。歪んだ真実をベースに語る瞬間が捉えられているのだ。

第二部の担任・保利(永山瑛太)パートになると、彼がなぜ早織から見て誠実ではないような態度を取ってしまっているのかが明らかとなる。学校組織の政治関係により、彼女に対して事実を伝えることが制限されてしまっていたのである。学校はなぜ平謝りしかしないのか?シングルマザーからのクレームは事態が悪化しやすいというバイアスのもと、彼女に情報を与えようとしないからである。企業組織において、炎上時の対応として沈黙がある。事態が整理できていない段階において、下手に発言することにより更なる炎上のリスクが伴う。なので沈黙を行うケースだ。もちろん、それは正確な真実を伝えるために必要なアクションではある。しかし、この学校の場合、校長が「人は事実は見ない。見たい真実を信じる。」という哲学のもと、事実関係の整理は軽度に留め、平謝りで済ませようとする。平謝りするアクションは保利に非があったことを認める事実を与えてしまう。それを掴んだマスコミによって週刊誌に取り上げられたことから彼は窮地へと立たされていく。通常であれば、ここでSNSを絡めた炎上悲劇へと繋がって来ることでしょう。しかし、『怪物』はその展開を拒絶する。恐らく、安易にSNS炎上路線にすることでこの映画の本質が観客に伝わりにくくなると判断したからだろう。これは英断であった。

『怪物』はこのような鋭い演出が随所に見られる。観客自身にもバイアスがかかる状況として、放火事件がある。一見すると、依里(柊木陽太)がやったかのように思える。チャッカマンのようなものを所持しているし、彼の言動からも怪しいものがある。酒癖の悪い父親、酒は悪いからやったと取れる彼の言動。確かに彼が放火した可能性はあるが、実際に彼が着火した瞬間は映画内で描かれていない。つまり、彼が放火したと断定することはできないのだ。第二部、第三部と移っていくに従って、今まで観てきたものが否定されていくが、そこで描かれる中心事件とは離れたところでもこのミスリードを誘発するあたりに鋭さを感じた。

こうした人間誰しもが陥ってしまう認知の歪みに対して、悟った存在がいる。それが校長先生なのだが、田中裕子の演技がとてつもなく怖い。まるで『東京物語』の東山千栄子かと思うほど、目が死んでいて、フッと笑みを浮かべながら見つめてくる場面に背筋が凍った。


最後に、本作における性的マイノリティ描写だが、陰湿ないじめ描写と重ね合わさったことで確かに事前警告が必要な作品だったと思う。驚くほどに『CLOSE/クロース』と似ている関係性となっているのだが、『怪物』の場合は子どもの全身を捉える描写が多かったように感じる。それは是枝裕和監督の子ども特有の有り余る力が抑えきれずフラフラと動いてしまう肉体への関心と言えよう。

観る前は不安であったが、とても良い作品であった。

※映画.comより画像引用