【ネタバレ考察】『ノック 終末の訪問者』他者から選択を強要される世界

ノック 終末の訪問者(2023)
Knock at the Cabin

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジetc

評価:50点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

M・ナイト・シャマラン最新作『ノック 終末の訪問者』が公開された。今回のシャマラン映画は、かなりの社会派となっており、《とある状況にいる人の痛み》をオカルトサスペンスのアプローチから描く意欲作となっていた。ただし、この《とある状況》に関してはネタバレとなりそうなのでTwitterでは伏せておいた。ここではそこを明確にして考察するネタバレ記事を書いていく。

『ノック 終末の訪問者』あらすじ

「シックス・センス」「オールド」のM・ナイト・シャマラン監督が、ポール・トレンブレイの小説「終末の訪問者」を原作に、世界の終末と家族の命を天秤にかけた非情な決断を迫られる一家の危機を描いたスリラー。

ゲイのカップルであるエリックとアンドリュー、そして養女のウェンの家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、突如として武装した見知らぬ謎の男女4人が訪れ、家族は訳も分からぬまま囚われの身となってしまう。そして謎の男女たちは家族に、「いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた」「家族のうちの誰か1人が犠牲になることで世界の終末を止めることができる」「拒絶することは何十万もの命を奪うことになる」と告げ、エリックとアンドリューらに想像を絶する選択を迫ってくる。テレビでは世界各国で起こり始めた甚大な災害が報じられるが、訪問者の言うことをにわかに信じることができない家族は、なんとか山小屋からの脱出を試みるが……。

謎の訪問者を演じるのは、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのデイブ・バウティスタ、「ハリー・ポッター」シリーズのルパート・グリント、シャマラン監督の「オールド」にも出演したニキ・アムカ=バード、「秘密への招待状」のアビー・クイン。突然の悲劇に襲われる同性カップルのエリック役をドラマ「Fleabag フリーバッグ」のベン・オルドリッジ、アンドリュー役を「マトリックス レザレクションズ」のジョナサン・グロフが務める。

映画.comより引用

他者から選択を強要される世界

シャマランの映画といえば、自然に様々な国籍の人々が一ヶ所に集まり怪事件と対峙する物語を作る傾向があり、その自然さが好きだったりする。そんな彼が、明確に人種の多様性に説明を加えた作品が本作となる。冒頭、アジア系の少女が黒人の大男から逃げるようにして家に入る。家にはふたりの白人がいる。どういう関係かと思っていると、二人は同性愛者として結ばれた後、養子としてアジア系の子を引き取っていることが明らかとなる。

そんな3人家族の前に現れた、様々な人種の男女。武器を持ってはいるが、「危害を加えたくない」と半ば涙目になりながら、何かに怯えながら家族にある選択を迫る。それは、「家族のうち誰かを生贄に捧げる」というものだ。家族を捧げなかった場合、家族以外の人類は死滅するという。そして、自分たちも世界を救うための生贄であると語る。彼らが死ぬと、テレビでは大地震の発生や飛行機の墜落の報道がなされる。どうやら終末は近いなか家族はどうするのか?

『ノック 終末の訪問者』はまず家侵入ものとしての空間造形が興味深い。家族が住んでいる小屋は、窓が多すぎるのだ。敵が侵入してきそうだからと一生懸命、窓を封鎖していくのだが間に合わない。一方で、その窓の多さは逆転のツールになったりする。家族と侵入者は対峙し、時として脱出を試みる。その時に窓が役に立つ。敵味方、双方は隙を縫っては窓や隙間から脱出を図るのだ。

このギミックこそ面白いものの、映画としてはやや退屈に感じた。同性愛者が養子を引き取り、家族を形成する。それに対して世間は、滅亡を盾に家族を責め立てる構図は、実際に同性愛者が社会から受ける眼差しを象徴している。この観点をオカルトサスペンスに落とし込むシャマランの着眼点は興味深い。しかし、本作で提示される罪の押し付けは、「選択しないこと」によるものが多いのが気になった。同性愛の話に限らず、社会でよく目にするのは「選択するよう強要し、選択したら、『君が選んだんでしょ』といった形で罪を押し付けられること」だろう。映画の中では、テレビで報道される凄惨なことと侵入者の懇願によってマインドコントロールされていくのだが、実際はその選択をするように誘導していく。「選択しない」が選ばれないようにすることなんじゃないかなと思い、モヤモヤが残る作品であった。もし、選択させる脚本にするなら、子どもは2人いた方がよかったのかな?なんてことを考えながら帰路に着く私であった。

※映画.comより画像引用