【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『ミュリエルの結婚』嫌悪の眼差しを祝福に変えるため、私は結婚する

ミュリエルの結婚(1994)
MURIEL’S WEDDING

監督:P・J・ホーガン
出演:トニ・コレット、ビル・ハンター、レイチェル・グリフィス、ジーニー・ドライナン、ジニー・ネヴィンソン、ダニエル・ラパイン、マット・デイetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載のラブコメディ『ミュリエルの結婚』を観た。主演は、『ヘレディタリー/継承』で巧みな顔芸を魅せて話題となったトニ・コレット。本作でも一度観たら忘れることのできない表情芸を魅せる作品であった。また、それ以上にルッキズムからくる結婚願望への渇望を鋭く、そしてグロテスクに分析した作品であった。

『ミュリエルの結婚』あらすじ

海辺の町。ミュリエル(トニ・コレット)は、有力者を父に持ちながら、高校は中退、おまけに不細工、スポイルされた娘として友人からも敬遠される存在。そんな彼女だが結婚願望は強く、憧れはアバの『ダンシング・クイーン』に歌われる人生。彼女は自分を変えるため、名前もマリエルに改名して一路シドニーへ。高校の親友ロンダ(レイチェル・グリフィス)をパートナーに日夜結婚相手を探す日々。ある日。彼女はロンダがガンだと知って驚くが、これで妙案を思いついて実行。かつての友人たちの羨望のまなざしの中、みごとな幸せな結婚をつかみ取るのだった。

映画.comより引用

嫌悪の眼差しを祝福に変えるため、私は結婚する

結婚式場、空を舞うブーケを手にしたのは豹柄大柄な女性ミュリエル(トニ・コレット)だった。ピンクに着飾った、女たちの嫌悪の眼差しが向けられる。彼女は終いに、万引き犯として警察に連行されてしまう。家族から、学生時代の知り合いから、デブ、ダサい、ブサイクと嫌悪の眼差しを向けられている彼女は、ついに連んでいる仲間から「邪魔だ」と直接的に拒絶されて泣きじゃくる。自分なりに努力はしているし、孤独に耐えられない彼女にとって「拒絶」ほど辛いものはないのだ。そんな彼女は結婚願望をバネに旅に出る。名前もマリエルに変えて、暴走していく。

今となっては、SNSで呼んでほしい名前をつけたり、アバターや立ち絵を作ってなりたい自分になれる。なりたい自分に変身するだけでなく、その装いに対して他者が受容して反応する。それが新しいコミュニティを作る時代となった。しかし、SNSがなかった時代において、与えられた名前、与えられた肉体から解放されることは難しい。そのような状況において「結婚」は、与えられた自己から解放される行為であったことがこの映画を観るとよく分かる。実際にミュリエルだけでなく、本作の女性たちは結婚に憧れを抱いている。しかし、相手と親密な関係になり恋から愛に発展するプロセスには興味があまり内容で、薄っぺらい表面的な付き合いで一喜一憂している。結婚が自分のステータスを変える以外の意味を持っていないことを本作は描いているのである。

実際にミュリエルの結婚観に着目すると、男に恋すること自体には興味がないように見える。ステージでABBA「恋のウォータールー」を踊ったり、ウェディングドレスを着た時にパァと輝く姿から、祝福の眼差しへの渇望が結婚願望へと繋がっていると考えられる。冒頭での結婚式の場面では、画面中央にいるミュリエルに対して、周囲が嫌悪や好奇の眼差しを向ける。家では家族から、嫌な目で見られる。その状況にコンプレックスを抱いている彼女にとって、皆から羨ましがられる。好意的な目で見られることに飢えているのだ。

終盤では、冒頭と対になるように結婚式場で今まで小馬鹿にしていた女たちがミュリエルに対して気まずそうに眼差しを向ける場面がある。その状況を肴に誇らしげに歩くのだ。『ミュリエルの結婚』はルッキズムがもたらす、勲章レベルの価値しかなくなった結婚像を暴き出す猛毒なコメディ映画であった。あまりにもグロテスクで、あまりにも痛ましくて、あまりにも切ない物語に胸が締め付けられたのであった。

※IMDbより画像引用

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