【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『太陽はひとりぼっち』実体のないものへの渇望

太陽はひとりぼっち(1962)
原題:L’eclisse
英題:The Eclipse

監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:アラン・ドロン、モニカ・ヴィッティ、フランシスコ・ラバルetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

2023年こそ「死ぬまでに観たい映画1001本」を攻略したいと思います。良いスタートダッシュを切れるよう、元日はU-NEXTでミケランジェロ・アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』を観た。「愛の不毛三部作」のひとつだが、想像以上にハードな不毛を描いており、その演出の凄まじさに2023年早々衝撃を受けることとなった。幸先が良い。ということで書いていく。

『太陽はひとりぼっち』あらすじ

イタリアの名匠ミケランジェロ・アントニオーニが都会に生きる男女のはかない恋愛感情と虚無感を描き、「情事」「夜」に続く「愛の不毛」3部作の最終章となった恋愛ドラマ。明確な理由のないまま婚約者と別れ、退屈な日々を過ごしていた女性ビットリア。ある日、投資家の母が通う証券取引所で知り合った株式仲買人の青年ピエロと急接近し、新たな恋をはじめようとするが……。ピエロ役をアラン・ドロン、ビットリア役をモニカ・ビッティがそれぞれ演じた。1962年・第15回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。2018年、フランス映画界を代表する名優たちの主演作を集めた「華麗なるフランス映画」(2018年2月~、東京・角川シネマ有楽町)でリバイバル上映。

映画.comより引用

実体のないものへの渇望

いつからだろうか?愛する感情を失ってしまった。そんな女性ヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)は冷たさが流れる部屋を彷徨きながら婚約者と最後の時間を過ごす。婚約者もまた同様である。二人は、間合いを取り近づく。再び親密な関係になることを少しばかり期待するが、その瞬間は訪れることなく、「さよならは言わない。もう電話をすることもないだろう。」と別れる。

ヴィットリアにとっては悲しい出来事だが、社会はそんな個人のことなど知るよしもなく流れていく。活気溢れる証券取引所がそれを強調する。母は、連日証券取引所に通い詰め、金を稼いでいる。浮かれたような口調でヴィットリアに語りかける。そんな中、株式仲買人の青年ピエロ(アラン・ドロン)と出会う。

本作が面白いところは、愛と経済二つの目に見えないものを通じて荒涼とした感情を炙り出すところにある。ヴィットリアは、失恋した痛みを忘れるようにケニアに想いを馳せて気を紛らわせている。しかし、どこかしらに男に対する未練が残っている。そんな彼女の内面にある男の気配を、暗夜に揺れる柱が象徴している。これが不気味で怖い。ピエロパートでは、証券取引所を舞台に、様々な人の運動を魅せていく。周囲の耳打ちを盗み聞きし、各々が「自分は負けない。出し抜いてやる。」といった感情で取引を行う。だが、取引をしている会社が何の会社なのかは全然わからない。ただの文字列、数字に一喜一憂している様子が描かれている。これはデヴィッド・クローネンバーグが『コズモポリス』で描いた、情報の渦を前に高揚感だけが立ち込め、痛みを失いかけている世界に近いものがある。人々の感覚が麻痺してしまい、自分の意志のように見えて反射的に投資を行い快感を得ている状況が暴かれている。

やがてある事件をきっかけにヴィットリアとピエロが親密な関係になる。ふたりが愛を深め合っている場面には基本的に誰かがいる。婚約者と別れる場面とは対照的な描かれ方をしている。これは、愛を深めあう際に他者がいることで、その愛が本物であることを強調しているように思える。まさしく、他者の眼差しがあるから自分が存在できる状況である。恋が愛に変わる1対1の関係を目撃する存在、つまり「恋愛」として認識する第三者としてモブキャラが配置されているように思える。これらを踏まえると、冒頭で額縁の外側からヴィットリアが手を伸ばし、中の配置を変える場面の意味が何となく分かってくる。それは本物らしさへの渇望であろう。額縁に収められているものはどこか虚構的存在だ。しかしその中に手を伸ばし、実体を掴み自分の手元に持っていく。それは、自分の中にあるどこかフワフワした感情を現実であると受容することのように思える。ピエロパートもある事件をきっかけに現実と向き合う内容になっているため、本作は愛と経済を本質レベルで繋ぎ合わせた作品だといえよう。形のないものに酔いながらも本物を掴もうとする痛い旅、これは自分に刺さった。

※映画.comより画像引用

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