『インフル病みのペトロフ家』寝ても覚めてもノイズが干渉する

インフル病みのペトロフ家(2021)
Petrov’s Flu

監督:キリル・セレブレンニコフ
出演:ユーリー・コロコリニコフ、ユリア・ペレシルド、チュルパン・ハマートヴァ、ユーリー・ボリソフ、Aleksandra Revenko etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第75回カンヌ国際映画祭に『Tchaikovsky’s Wife』が選出され、3作連続カンヌ国際映画祭コンペ入りを果たしたキリル・セレブレンニコフ。毎回独創的な作品を発表しているので、もうそろそろパルム・ドールを獲るのではと考えている。そんな彼の『インフル病みのペトロフ家』がシアター・イメージフォーラムで公開されたので観てきました。

『インフル病みのペトロフ家』あらすじ

「LETO レト」など映画監督としても注目を集めるロシア演劇界の鬼才キリル・セレブレンニコフが、ロシア文学界でセンセーションを巻き起こしたアレクセイ・サリニコフのベストセラー小説を映画化。2004年、ソ連崩壊後のロシア。大都市エカテリンブルグでインフルエンザが流行する中、ペトロフは高熱にうなされ、妄想と現実の間をさまよっていた。やがて彼の妄想は、まだ国がソビエトだった頃の幼少期の記憶へと回帰していく。ロシア社会への強烈な風刺を込めつつ、妄想と現実の境界が曖昧な原作の世界観そのままに、型破りな芸術的感性と刺激的なアクションを散りばめて描き出す。2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、フランス映画高等技術委員会賞を受賞。

映画.comより引用

寝ても覚めてもノイズが干渉する

みっつみつの、ぎっしぎしに詰まったバスの中。

ストレスいっぱい、乗客は愚痴を言い合う。それは周囲に伝わり喧嘩が勃発する。運転手は「閉まらないドアにご注意ください。」と車内の諍いにはノータッチで突き進む。その中に、咳き込み今にも倒れそうな男がいた。彼ペトロフ(セミョーン・セルジン)、ただいまインフルエンザ中。周囲の客は彼に配慮することはない。配慮したとしてもグイグイ話しかけて彼を疲弊する。そんな混沌からある男が救い出す。突然、バスを止め彼を連れ出すのだ。ほっとつくも束の間、目の前には政治家と思われる人々。銃殺の仕事を始める。生きることも死ぬことも眠ることも許さず、ひたすら他者が彼に干渉してくる。例え寝たとしても、夢の中でペトロフは自由になることもなければ死ぬこともない。他者の死を手助けすることはあっても、自分は死ねないのだ。

一方その頃、ペトロフの妻ペトロワ(チュルパン・ハマートワ)は図書館で仕事をしていた。静けさのイメージがある図書館ですら、人は密集し喧嘩が勃発する。彼女は、暴れる男に制裁を加える。家では反抗期の息子に手を焼いており、ついつい暴力的な妄想をしてしまう。その吐口は外へと虚実曖昧な状態で垂れ流される。

『インフル病みのペトロフ家』は一見するとインフルエンザをテーマにした不条理劇に見える。とっつきにくい混沌が広がっているのだが、ロシアだけに留まらない普遍的な今を切り取っているといえる。広大な地であるロシアが舞台にもかかわらず、映画は常時密集している。これは、ITの発達により世界が身近になった一方、世界が急激に小さくなり、人々は他者の愚痴が聞こえるレベルにまですし詰めとなった。他者との距離が近いため容易に干渉し、干渉されるのだ。インフルエンザが伝播するように、閉塞感や鬱屈した感情は拡散され、虚実を侵食する形で自分の世界に影響を与えていく。

では、昔は良かったのか?

キリル・セレブレンニコフは鋭いアプローチで眼差しを向ける。悪夢の日々が続く中、彼は幼少期のクリスマス会で見た光景を思い出すようになる。そして、いつしか会場にいた雪むすめの目線からの回想が始まる。確かに、ペトロフの今に比べて時間にゆとりがある。密度も低い。しかし、息苦しさは変わらないのだ。相対的にユートピアに見えていることに気づかされる。懐古の危うさが指摘されている。

そして彼女の病が幼少期のペトロフに伝播し、それが彼の息子にまで広がる。息子は頑張って熱だけ治した状態でソニックの被り物をしながら新年会に向かうのだ。つまり、鬱屈した感情は昔から継承されていく。ただ、継承された現在は昔よりも悪化している。ぎっしり他者が空間に押し込められ、悲鳴、憤怒が飛び交う中で高速に干渉しあい、眠る間のないほど地を這うように歩かされる地獄を捉えた傑作であった。


本作は、『LETO レト』に続きウラジスラフ・オペリアンツが撮影を手掛けているのだが、ヌルッと時間や空間を跳躍するカメラワーク。現実がミニチュアに化けたり、横移動から急旋回、CGのような背景がハリボテと化し、外へと引き裂かれていく予測不能な動きをしていて視覚的快楽にも満ちた作品であった。

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