ジャンヌ・ダーク(1948)
JOAN OF ARC
監督:ヴィクター・フレミング
出演:イングリッド・バーグマン、ホセ・ファーラー、フランシス・L・サリヴァン、ウォード・ボンド、ヘンリー・ブランドン、ウィリアム・コンラッド、ジェフ・コーリイ、リーフ・エリクソンetc
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ブリュノ・デュモン『ジャネット』、『ジャンヌ』公開前の予習でジャンヌ・ダルク映画を幾つか観ている。今回は、『オズの魔法使い』、『風と共に去りぬ』で知られるヴィクター・フレミング監督の遺作である『ジャンヌ・ダーク』の感想を書いていく。
『ジャンヌ・ダーク』あらすじ
1429年の末頃、英仏間の戦争は日に激しくなり、最後の牙城とたのむオルレアンも敵の包囲に陥り、フランスは劣勢だった。小さな農村に生まれた信仰深い17歳の少女ジョーンは祖国の運命を誰よりも憂いていた。神の啓示を感じたジョーンは失意の皇太子を説得し、救国の陣頭に立った。兵士の士気は上がり、一撃にオルレアンの敵を粉砕し、皇太子はランスでフランス国王の座についた。破竹の勢いでパリ城外に迫ったジョーンは新王シャルル七世の出馬を待つが、戦乱に倦んだ王は休戦の決裁をする。英軍がフランスにいる限り、休戦も平和も考えることができないジョーンは、神の御心は戦争遂行にありと信じて軍を進めたが、コンピエーヌで敵に捕えられ、宗教裁判にかけられる。判事たちは異端者としてジョーンを葬り去ろうとするが、神のみを信じるジョーンは屈しない。火刑を迫られ、遂に改悛の宣誓書を書かされるジョーンだが、その夜、激しい悔恨に身もだえし、己の進むべき道を悟る。前言を取り消し、1431年5月30日、わずか19歳のうら若い身でジョーンは火刑台に上がる。この火の中を通り抜けた先には、神の温かい御胸が待っているとジョーンは信じて疑わなかった。
ジャンヌ・ダルクから見る組織マネジメント
テクニカラーによる豪華絢爛な彩色の集大成といえる本作は、群れによる高揚感の作り方の見本市となっている。例えば、市民が戦争一直線となっている様子を反映するために、対岸から河を撮り、手前を横切る人と河の向こうから歩く人を、フレームの外側で合流するような角度で撮ることによって強調している。また、夕陽のくたびれた色彩の中で、疲れ果てた人を並べることで、戦局が斜陽に向かっていることを示唆している。このような群れと色彩バランスの面で観応えがある。
本作はオーソドックスな作りをしており、ジャンヌ・ダルクが神のお告げを授かり、フランスを守る為に皇太子に自分を戦場へ連れていくよう懇願し、戦局を挙げるが、やがて政治的圧力によって嵌められ、魔女裁判で処刑されるまでの過程を丁寧に描いている。
その丁寧さから来る荘厳な作りが、イングリッド・バーグマン演じるジャンヌ・ダルクのスピリチュアルな側面を掻き立てる。例えば、皇太子を彼女が謁見する場面がある。彼はジャンヌ・ダルクを試すため、偽物を玉座につかせる。男装しているジャンヌ・ダルクは周囲から嘲笑される。偽皇太子も小馬鹿にしたように彼女と接する。だが、ジャンヌ・ダルクは彼の手に応じず、よろよろと空間を動き回り、やがて本物の皇太子に「あなたですね」と語りかける。この不気味な動きが彼女の魅力を掻き立てるのだ。
それにしても、本作を見ると、若いからしょうがないとはいえ、組織マネジメントが最悪で彼女の下に付きたくないなと思う。基本的に根性論であり、疲れている兵士に対して、「何やっているいくぞ!」と鞭打つ鬼畜さがある。彼女は勝つためならどこまでも頑張る、今風に言えば仕事が趣味な人なので、余計たちが悪い。そして論理的思考なく、ひたすら「神がそういっているのです」を根拠としている為、そりゃどこの馬の骨かも知らない若者が勝手に軍を仕切っている様子を面白く思わない人が出てくるのも無理ない。皇太子もひたすら弱腰で、彼女の味方になって二人三脚で国を率いる気がないので、これは組織マネジメントのダメな例と言えるでしょう。
ジャンヌ・ダルク映画記事
・ジャック・リヴェット『ジャンヌ』2部作:男装という鎧
・【考察】『ジャンヌ』怒れる少女の時代に送る民話としてのジャンヌ・ダルク
・【カイエデュシネマ週間】『ジャネット』尼僧がChoo Choo TRAINに挑戦。本当ですw
※Amazon Prime Videoより画像引用