007 ノー・タイム・トゥ・ダイ(2019)
NO TIME TO DIE
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
出演:ダニエル・クレイグ、ラミ・マレック、レア・セドゥ、ラッシャーナ・リンチ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、ビリー・マグヌッセン、アナ・デ・アルマス、ロリー・キニア、デヴィッド・デンシックetc
評価:20点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
James Bond…License to kill…History of violence…
映画館ですっかり擦り込まれること約2年。ようやくダニエル・クレイグボンド最終章『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』が日本公開されました。Twitterでは台風の負けんじと10/1(金)初日に映画館に駆けつけたものの、あまりの微妙さに荒れている人が多数観測された。まさか007で、あの面白そうな予告編でそんな大暴投はないだろうと思ってTOHOシネマズららぽーと横浜で観てきました。確かに、大暴投はなかった。
『闇の列車、光の旅』、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』のキャリー・ジョージ・フクナガ監督なので堅実な映画作りをしている。だが、その真面目さ故かあまりにも退屈だった。007でここまでつまらなくできるのかと思うほどに退屈だったのです。今回は、そんな悲しい駄作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』に対してネタバレありで文句を徒然なるままに書いていきます。
『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』あらすじ
ジェームズ・ボンドの活躍を描く「007」シリーズ25作目。現役を退きジャマイカで穏やかな生活を送っていたボンドのもとに、CIA出身の旧友フェリックス・ライターが助けを求めにやってきたことから、平穏な日常は終わりを告げる。誘拐された科学者を救出するという任務に就いたボンドは、その過酷なミッションの中で、世界に脅威をもたらす最新技術を有した黒幕を追うことになるが……。ダニエル・クレイグが5度目のボンドを演じ、前作「007 スペクター」から引き続きレア・セドゥー、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、ロリー・キニア、レイフ・ファインズらが共演。新たに「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」のアナ・デ・アルマス、「キャプテン・マーベル」のラシャーナ・リンチらが出演し、「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリー役でアカデミー主演男優賞を受賞したラミ・マレックが悪役として登場する。監督は、「ビースト・オブ・ノー・ネーション」の日系アメリカ人キャリー・ジョージ・フクナガ。
失われたマドレーヌを求めて
われわれが過去を想いうかべようとしても無駄で、知性はいくら努力しても無力なのだ。過去は、知性の領域や、その力のおよぶ範囲の埒外にあり、われわれには想いも寄らない物質的対象(その物質的対象がわれわれにもたらす感覚)のなかに隠れている。この対象にわれわれが死ぬ前に出会えるか出会えないかは、もっぱら偶然に左右される。
-マルセル・プルースト「失われた時を求めて-スワン家のほうへⅠ」
スペクターの呪縛を抱えるマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)とジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は平穏な暮らしを手に入れ、グラヴィーナ イン プーリアの絶景を背に情事を交わす。だが、License to killに刻まれた過去はそう簡単に二人を自由にすることはない。再び、暴力の魔の手が忍び寄る。墓が破壊された時が運命の切れ目。強烈な戦火の中、ボンドは彼女と別れることで決着をつけた。
本作はそこから5年後の世界を描く。現役を引退しジャマイカで穏やかに暮らしていたボンドを訪ねて、CIAの旧友フェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が現れる。そして、細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)を救助することになる。だが、それはCIA、MI6、世界全体に波及する陰謀へ繋がっていた。また、ボンドは決別した過去とも対峙することとなる。
前作『スペクター』から登場したボンドガールの名前がマドレーヌ・スワンということからも分かる通り、本作はマルセル・プルースト「失われた時を求めて」を背景にしている。『カジノ・ロワイヤル』から15年かけて紡がれてきた壮大な007は、ジェームズ・ボンドが殺しのライセンスの名のもとに敵を血祭りにあげていく中で蓄積されていく過去の重さと対峙する物語となっている。マドレーヌはボンドの過去を担う象徴であり、過去を思い出すようで忘れようとする存在として登場するウォッカ・マティーニ(=酒)を序盤に強調することで、過去と決着をつけるためにマドレーヌというタイムマシンを求める話に人間味を与える。屈強な男ですら、過去の重圧は直視しがたいもの。歳を取るにつれプライドが高くなるから余計に目の前が見られなくなる。そんな彼が、一歩づつ前をむいて歩き始め、未来を担う者が前進できるよう道を切り開いていく。(ちなみに、スワンは「失われた時を求めて」における《私》の初恋相手であり運命の人ことジルベルト・スワンから来ていると思われる。)
キャリー・ジョージ・フクナガ監督は、サム・メンデスが『スカイフォール』と『スペクター』の激しい落差で荒れてしまった道を愚直に整備して、ダニエル・クレイグが有終の美を飾れる花道を作った。『スター・ウォーズ』プリクエル・トリロジーの冷静さを失った焼け野原と比べると極めて堅実な造りをしている。
しかしながら、それが面白さに直結するとは限らない。どういうことか、終始ドライなテンションで突き進むので退屈なのだ。最近のビッグバジェットブロックバスター映画はVFX職人等の公共事業な為かやたらと上映時間が長く、本作も163分あるのだが、100分ぐらいで事足りるような話を、30分に一回状況説明の場面を挿入しダラダラネチネチと話が進むから焦ったい。
そもそもアヴァンタイトルからしてラミ・マレック演じる能面を装備したボス・サフィンがジャンプスケアしながらマドレーヌと母親を殺そうとする地味なホラー描写から始まり、ボンドとマドレーヌのイチャイチャシーンが続くので爆発力がない。『ゴールデンアイ』や『カジノ・ロワイヤル』のアヴァンタイトルの高揚感が大好きで、ボンドといえばアヴァンタイトルの激しいアクションと刷り込まれているだけに厳しいものがある。
アクションで言えば、撮影がイマイチであり、特にBARでの戦闘シーン。階段上からやってくる敵をボンドとパロマ(アナ・デ・アルマス)が抜群の連携プレイでやっつけていく様子を左から右へパンさせながら描いているのだが、ただカメラを振り回しているだけなので、二人のカッコいい立ち姿が台無しとなっている。また、007シリーズは冷戦時代をバックグラウンドに置いておきながら、米国の対キューバ禁輸措置による険悪な関係からか、ハリウッド映画がキューバで撮影することは難しかった。しかし、2017年に『ワイルド・スピード ICE BREAK』でキューバロケが解禁されてから、007もキューバロケを実現できた。『ワイルド・スピード ICE BREAK』ではマレコン通り、カピトリオ(旧国会議事堂)前の喧騒を魅力的に描いていたのに対して、本作のキューバシーンはただのカリブ海的世界としてしか描きこまれておらず土地への愛情が感じられなかった。敵が沢山乗っている小さめな船の中でアクションをし、グランマ号オマージュをしたり、タバコ工場や世界遺産ならカマグエイの色彩豊かな街中で銃撃戦をしたり、やれることは沢山あったはずなのに、あっさりと描かれていて残念であった。
流石に、終盤の化学工場での死闘は面白かったが、007というよりかは「メタルギアソリッド」だなとか、有終の美としてジェームズ・ボンドが死をもって決着をつける展開はもう既にここ最近のブロックバスター映画で何度か描かれてしまって古臭く強引なエンディングにも思えたりし、良いとは思えなかった。
上の方で書いた「失われた時を求めて」演出も、割と表面的であり、折角ならシャルリュス男爵のように俗悪醜態な存在となってしまったボンドが復活を遂げたり、窓越しに見える普通の日常を通じて「平和」への渇望を見出したり、はたまた今や絶景となったかつての戦いの舞台に足を運び、過去作のフッテージを通じてフラッシュバックを入れるなどプルーストの世界を007の世界に取り込んで欲しかった。これではハリボテで鼻につくだけである。
お口直しにボンド映画の親テレンス・ヤング監督の『NO TIME TO DIE(今は死ぬ時ではない)』を観たいところである。本作の監督、脚本家(リチャード・メイボーム)、撮影監督(テッド・ムーア)、俳優(ルチアナ・パルッツィ)は後にボンド映画に携わっている。日本で言うと山田洋次監督の『キネマの天地』が『男はつらいよ』組で製作されているのと似た構造となっている。
P.S.枯山水アジトにジェームズ・ボンドが日本式土下座を披露したりとシュールな演出が後半に集中しておりそれは爆笑しそうになった。
※映画.comより画像引用