茜色に焼かれる(2021)
監督:石井裕也
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏、大塚ヒロタ、芹澤興人、前田亜季etc
評価:5点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
最近はカザフスタンやレソト、アルバニアといった秘境映画ばかり観ているのですが、たまには日本映画が観たいところ。丁度、TOHIOシネマズのカード更新期限が迫っていたので海老名店に行ってきました。コナンの新作だけじゃなく、他にも観ておきたいなと思ったらTwitterで話題の作品『茜色に焼かれる』がやっていたので観た。しかし、この時私は知らなかった。なんと上映時間が2時間半近くある上、監督が苦手な石井裕也ということに。
そして、本作はあの表面的に日本の閉塞感を並べた駄作『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』でキネマ旬報、映画芸術の年間ベスト1位を勝ち取り味をしめたのか、不幸不幸不幸の薄っぺらい回転寿司映画となっており、『La Flor』を抑え今年の暫定ワースト1に躍り出てしまいました。本記事はネタバレ酷評となっておりますのでお気をつけください。
『茜色に焼かれる』あらすじ
尾野真千子の4年ぶりとなる単独主演映画で、「舟を編む」「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の石井裕也監督による人間ドラマ。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母と子。母の田中良子はかつて演劇に傾倒していたことがあり、芝居が得意だった。ひとりで中学生の息子・純平を育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。コロナ禍により経営していたカフェが破綻し、花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。そんな彼女たちが最後まで絶対に手放さないものがあった。社会的弱者として世の中の歪みに翻弄されながらも信念を貫き、たくましく生きる母の良子を尾野が体現。息子の純平役を「ミックス。」の和田庵が演じるほか、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏らが顔をそろえる。
激情に不幸を過剰積載していく
日本閉塞感ものの最終兵器
私は日本の閉塞感ものが苦手だ。もちろん『星の子』、『VIDEOPHOBIA』のような傑作はあれども、多くの場合は日本の閉塞感を捉えて叫んでいるだけにしかみえない。ちょっと薄どんよりとした空間の中で俳優に叫ばせれば簡単に社会派映画になれるので叩かれにくく賞も獲りやすい為か毎年量産されている。誰もが想像できることをただ画面に並べて意味があるのかと思ってしまうのだ。
そんな日本閉塞感ものに最終兵器が現れた。それは『茜色に焼かれる』である。てっきり原作ものかと思ったら、石井裕也オリジナル脚本作とのこと。コロナ禍で抑圧される最下層の人を捉えようとしているのだが、2時間半の中にありとあらゆる日本の抑圧を過重積載させているのだ。
夫(オダギリジョー)が交通事故で亡くなるものの、謝罪なしに政治的にもみ消されて早七年のところから始まる。そこから展開されるのは、新型コロナウイルスによってカフェが廃業となり、妻・田中良子(尾野真千子)は量販店で花を売りながらマネージャーにパワハラされ、風俗店でも客から暴言を吐かれながら日銭を稼いでいる。息子・純平(和田庵)は学校で先輩にイジメられている。良子が学校に物申すとイジメの存在を否定される。良子は介護に亡き夫が愛人との間に授かった娘に養育費を払ったりと家計は火の車である。夫のバンド仲間のひとり(芹澤興人)は真摯に悩みを聞く素振りをみせながら猥褻を働く。そもそも夫は新興宗教にはまってお金を失ったりしている。久しぶりに中学時代の同級生と出会い、親密な関係になれども相手はセックス・フレンドレベルにしか思われていないことが発覚する。風俗店には糖尿病を患ったケイ(片山友希)が配置され、ひたすら虫けら同然として扱われる者が描写されていくのだ。ここまで、不幸を並べていく映画があっただろうか?
そして、その不幸描写がどれも薄っぺらい。本作では、丁寧に良子が支払った金額がテロップで表示される。家賃:27,000円、飲み代:5,000円といった形で。そして、風俗店の控え室で、ケイが良子の家計簿を見て大赤字といっているのだが、貯金を切り崩している設定と、彼女のお金に対する緊迫感が表面化してこないことが合わさり、いまいち必死さがみえてこない。セクハラやパワハラを受ける場面も、1分ぐらい嫌な空間を作ったらすぐ次の場面に転換してしまう。力を入れて描いていた、量販店のマネージャーが上から言われて彼女を解雇しようと仕向ける場面はあまりに奇妙である。処分予定の花を持ち帰ろうとする彼女を罵倒する。そして彼女の勤務が終わり、店前で電話をしているとキレ始め。彼女が完全に店から離れているのに再度追跡して怒る場面があるのだが、このマネージャー制服姿でどこまで移動するんだろう。あなたこそ規則違反しているよねと思ってしまう。確かに、店内で客の見える前で怒る店員というのは稀に観測できるが、明らかに常軌を逸したシーンとなっている。確かに、日本の閉塞感の風刺画として誇張して描いていると捉えることもできる。しかし、本作では徹底的にリアル路線で描いており、抑圧に抑圧を重ね遂に良子がブチ切れても精々、チャリンコを盗んだり、クビになった量販店で花を万引きしたり、頑張っても騙した男にナイフを刺そうとするレベルに留まっているのだ。
そして、何よりも本作がダメなのはコロナ描写である。フェイスシールドやマスクをして演技する場面が多いものの、マスクなしで繁華街をチャリンコで爆走したり、介護施設の前をウロついたりしているのだ。しかもその件に関してモブキャラがツッコミを入れるみたいなシーンは存在しない。ただ、俳優の表情を撮りたいが為に現実に反した画を作ってしまっているのだ。これでは欺瞞である。ただ、最初のコロナ映画を作ってやろうと考えて勢い任せにやっただけであり、あまりにも浅い。これが、抑圧によって「コロナはただの風邪」理論に傾倒してやっているのだったらまだしも、ポリシーがないのでコロナ要素が本作において必要だったのかが疑問に思えてくるのだ。
本作は正直、大嫌いな日本の不幸並べておけばいいでしょ映画なのですが、個人的に改善の余地はあると思っている。折角2時間半尺があるのだから、最初の90分は徹底的に良子に災いを振らせていく。そして、ゴギブリを殺すことのできなかった彼女がある地点を境にゴキブリを叩き潰す。ねっとりとしたカメラワークでゴキブリを捉えてから、彼女を殺戮マシーンにしていき、風俗の客、量販店の店員、息子を虐めた高校生を、あらゆる形で血祭りにあげていく。そして最後にタイへ高飛びし、喧騒としたタイの街に仁王立で彼女と息子が立つ。ここで彼女が決め台詞を言うのです。「まあ、、、頑張りましょう」ってさ。
『JOKER/ジョーカー』に近いある種のポルノになってしまうのは否めないですが、映画というものが得意とする人間の闇の仮想展開がスマート決まったことでしょう。
また、本作がウリとしている金額表示システムも、残金表示システムに変えることでいかに追い詰められているのかがわかりサスペンスとして良い機能をもたらしたと思う。『ヒメアノ〜ル』、『愛しのアイリーン』の吉田恵輔監督だったらここまでできたはずだ。
結局、今回の石井裕也映画もワースト真っしぐら、先真っ暗な映画でした。
※映画.comより画像引用