JUNK HEAD(2017)
監督:堀貴秀
評価:30点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2017年『カメラを止めるな!』の口コミによる大ヒット以降、定期的に口コミでカルト映画化する動きがある。2021年を代表とするカルト映画『JUNK HEAD』がそのフロントランナーとして爆走している。2014年ゆうばりファンタスティック映画祭で短編が上映され話題となった後、長編映画として生まれ変わった本作はClubhouseでも沢山のRoomができるほどの人気となった。通常5人ぐらいしか観客がいない、あつぎのえいがかんkikiでも20人ぐらいが集まる程の話題作。ストップモーションアニメ好きな私も観てきました。
『JUNK HEAD』あらすじ
孤高のクリエイター・堀貴秀が独学で7年の歳月をかけて制作し、カナダ・モントリオールで開催されるファンタジア国際映画祭で最優秀長編アニメーション賞を受賞するなど世界的に高く評価されたSFストップモーションアニメ。原案、絵コンテ、脚本、編集、撮影、演出、照明、アニメーター、デザイン、人形、セット、衣装、映像効果のすべてを堀監督が1人で担当し、総ショット数約14万コマという膨大な作業を経て完成させた。環境破壊が進み、地上はもはや人間が住めないほど汚染された。人類は地下開発のための労働力として人工生命体マリガンを創造するが、自我に目覚めたマリガンが反乱を起こし地下を乗っ取ってしまう。それから1600年後。遺伝子操作で永遠に近い命を手に入れた人類は、その代償として生殖能力を失った。絶滅の危機に陥った人類は、地下で独自に進化を遂げたマリガンの調査を開始。政府が募集した地下調査員に名乗りをあげたダンス講師は、調査中に死と隣り合わせになったことで命を実感し、マリガンたちと協力して人類再生の道を探る。
本作最大の敵、それは「字幕」だ!!
カルト映画独特なノリには寛容であるのですが、Clubhouseでの『JUNK HEAD』のノリというか、何かを擁護しようとしているような怪しい雰囲気に警戒し、中々食指が動かない状態で今回観たのですが、その嫌な予感は的中してしまった。
確かに、ほとんど一人で作り上げたディストピアは魅力的だ。ライカ社のアニメのようなブラックさはたまらないものがある。しかし、世界観を作ることに注力した結果、物語が杜撰となってしまった。そして、その杜撰さを堀貴秀監督自ら表面化させてしまったと言える。
そう、本作最大の敵は「字幕」である。
本作は、フランス語における”R”やロシア語における”р”といった癖のある発音を片っ端から集めて、こもったような発音で会話される。その独自言語に何故か「字幕」がついているのだ。ストップモーションアニメならではの視覚的面白さがあるのに、「字幕」で状況を説明しているのだ。ただ、その「字幕」を読むと何故、ガスを止めてはいけないかといった説明台詞だらけである。これにより複雑怪奇に見える冒険が、ただ回りくどいルートで「神様」が移動しているだけに気づいてしまう。だから、男性器型の怪物との戦い→移動の連動に物語としての意味が薄れてしまって段々と単調になっていき飽きてくる。周囲で、寝たと語る人が少なくないがその原因はこの冗長さによるものだろう。台詞で、状況を説明してしまっているので展開が読めてしまう。だから体感時間がドンドンと長く感じていくのである。
また、本作は言葉が話せなくなった「神様」とクリーチャーのノンバーバルコミュニケーションがテーマである。仕草によって敵か味方かが変わっていく。感動的な友情も生まれたりする。それを台詞で台無しにしてしまっている。これは致命的だ。観客は謎めいた空間の不気味な造形の仕草から想像して、感情を汲み取る。それがストップモーションアニメの魅力であると思うのだが、監督が回答を提示することでその楽しみが失われてしまうのです。
結局のところ、造形だけが取り柄な退屈な作品であった。ただ、造形だけは素晴らしいので、日本で搾取される前にライカ社やNetfflixが堀貴秀監督を保護しないかなと思っている。あるいは日本のちゃんとしたところが保護するとかね。
※映画.comより画像引用