佐々木、イン、マイマイン(2020)
監督:内山拓也
出演:藤原季節、細川岳、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、小西桜子etc
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。今、Twitterで賑わっている映画に『佐々木、イン、マイマイン』がある。どうやら青春映画らしい。有識者曰く、撮影がすこぶる良いのだとか。調べてみると、『きみの鳥はうたえる』や『宮本から君へ』と大人の青春の光を捉えるのが上手い、今大注目の撮影監督・四宮秀俊が担当していたのだ。というわけで早速観てきました。少々、力技な気もしましたが確かに面白い作品であった。
『佐々木、イン、マイマイン』あらすじ
初監督作品「ヴァニタス」がPFFアワード2016観客賞を受賞し、人気バンド「King Gnu」や平井堅のMVなどを手がける内山拓也監督の青春映画。俳優になるために上京したものの鳴かず飛ばずで、同棲中のユキとの生活もうまくいかない日々を送って悠二は、高校の同級生の多田と再会をする。悠二は多田との再会で、在学当時にヒーロー的存在だった佐々木との日々を思い起こす。悠二はある舞台出演のため稽古に参加するが、稽古が進むにつれ、舞台の内容が過去と現在にリンクし、悠二の日常が加速していく。そんな矢先、悠二の電話に佐々木から数年ぶりの電話がかかってくる。主人公・悠二役を「his」の藤原季節が演じるほか、細川岳、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、小西桜子、河合優実、「King Gnu」の井口理、鈴木卓爾、村上虹郎らが脇を固める。
※映画.comより引用
令和の寅さんは孤独を噛み締め笑顔で涙する
令和において寅さんは存在できるのだろうか?
この問いが私の脳裏をよぎる。今やITや制度で雁字搦めとなった社会システム。合理的になった一方で、一般的なレールから外れた人を冷たく遇らう社会となってしまったと思う。病気があれば、病名でカテゴライズされる。もし、社会常識から外れた行動が目立つなら、今まで存在しなかった病名がラベルのように、もといレッテルとして貼られる。街にはベンチがなくなり、オブジェたるもので路上生活者を排除する。人々は社会から外れた人を、存在しないように見る。地域や家族は解体され、個となった世界で寅さんのようなフーテンのどうしようもないが温もりのある人を受け入れることができるのだろうか?そして、それを受け入れる家族や他者の物語が今の社会に受け入れられるのだろうか?
そんな問いに『佐々木、イン、マイマイン』は答える。
“YES”だと。
石井悠二(藤原季節)は俳優を目指して上京した。しかし、俳優で食っていくことはできず、工場でチマチマと箱を組み立てている。彼女にも愛想つかされ、別れるまで秒読みに入った。彼の知り合いは、皆上手くいっているように見える。ドラマに出ていたり、サラリーマンとして全うな人生を歩んでいる。そんな友人と居酒屋やバーで話すとヒリヒリとしてくる。何故、同窓会に行かなかったのか?といった心の内面が抉られるのだ。そう、この物語は社会人になり、皆同じレールの上で無邪気に戯れていた輝ける青春が終わってしまい、それぞれ我が道を走り出している時代の「果たしてこの道で良いのだろうか?」と焦燥に駆られる感情を捉えたものなのだ。
そして、輝ける青春の象徴として「佐々木」が石井の脳裏にフラッシュバックしてくる。
佐々木(細川岳)は思春期のありあまる体力を周囲にぶちまける奇人だ。
「佐々木、佐々木、佐々木」というコールに合わせて、裸になり教室で踊り狂う。自転車で友人と走っていると、突然飛び降り、荒れ狂う走りを魅せつける。クラスに一人はいた変人が佐々木なのだ。佐々木は常に笑っている。そしてクラスの中心にいる。石井たちともバッティングセンターに行ったり、初詣に行ったりする仲だ。本作が面白いのは、フラッシュバックを通じて、あの時代では分からなかった感情というものが見えてきたときの感傷的な気分というものにフォーカスを当てているとこにある。
佐々木の家で遊ぶ石井たち、彼の家は雑然としている。家には穴も空いている。だが、石井たちは秘密基地感覚で佐々木の家で遊び、彼も満足げだ。しかし、ある日遊んでいたら、佐々木の父親が帰ってくる。彼は情けない足取りでガサゴソとハンコを取り出し、家から去ってしまう。佐々木は時が止まったかのような表情で父を見ているのだ。彼は父子家庭で、愛情を欲していたのである。そして、「何者」にもなれない彼は周囲に希望を託そうとしていたのだ。「石井、お前役者になれよ。あんたならなれる。」という勢い任せの言葉が段々とずっしり重い言葉へと変容してくる。
佐々木は、自分の悲惨さを隠そうとする気持ち、そして誰かに注目されたいという気持ちがエンジンとなり、破壊的な行動を取り続ける。じっくり見ると、バッティングセンターで最初、見ているだけだったり、初詣に行っても御神籤を引かないところに彼の生活の問題が隠されている。だが、明るく勢い任せな言葉がそれをカモフラージュしているのだ。
四宮秀俊の旧友との短い昔話を嗜んだ後に街へ繰り出すと感じる恍惚としたものを捉えたカメラワークに乗せて、人生から外れたものにソッと手を差し伸べる本作は令和時代の『男はつらいよ』と言えよう。
感傷的な描写に全振りしており、ラストも映画的大団円となる。この過剰さによって、石井の演劇畑に生きる者としての悶々の深掘りが雑に扱われてしまったように感じるものの今の自分に刺さる作品でした。
※映画.comより画像引用
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