【ネタバレ考察】『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)4D吹き替え版』研究、努力、勝利の賜物

羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来4D(2020)
羅小黒戦記 The Legend of Hei

監督:MTJJ
声の出演:花澤香菜、宮野真守、櫻井孝宏、豊崎愛生etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

私には次々と宿題映画が溜まっていく。

最近は年間何百本も観るシネフィルのオススメよりも普段あまり映画観ない人や、実は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観ていないと不朽の名作未見を告白する人、特定ジャンルに特化した人からのオススメ、リクエストを大事にしている。さて、昨年カルト的人気を博した『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』が吹き替え版として再公開された。本作は、私のカノジョとその友人から熱烈なリクエストをもらっていたものの観逃してしまった作品だ。丁度映画祭が終わったタイミングということもあり、デートで観賞してきた。

場所は109シネマ南町田グランベリーパーク。ここでは4DX上映がされている。TOHOシネマズに搭載されているMX4Dと比べると、非常に繊細な効果を楽しめる。まず、ドリンクフォルダーと足元にスイッチがついており、水しぶきや風をOFFにできる機能がついているのだ。そして、劇中で雨の場面が来ると、本当に小雨が劇場を包む。モノホンの雨がそこにあるのだ。そして、MX4Dを使った時に感じた謎の草の匂いはなく、バトルシーンでは小刻みに時に大胆に動く。本当に『羅小黒戦記』の世界に紛れ込んでしまったかのような面白さがあった。そんな味付けやデート効果抜きにしても本作は非常にレベルが高い作品だったので、その魅力をネタバレありで語っていくとしよう。

『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来4D』あらすじ


妖精と人間が共存する世界を舞台に、猫の妖精・羅小黒(ロシャオヘイ)が旅をしながら人間社会を理解していく姿を描いた中国製の劇場アニメ。この世には妖精が実在し、彼らの中には人間の格好をして社会に溶け込んでいるものもいれば、山の奥で隠れて暮らすものもいた。森で楽しい日々送っていた猫の妖精・小黒(シャオヘイ)は、人間たちによって森が切り開かれてしまったことから、暮らす場所を探して放浪する。その旅の途中で妖精のフーシー(風息)、人間のムゲン(無限)と出会ったシャオヘイは、彼らとの交流を通じてさまざまなことを学び、成長していく。「羅小黒戦記」は、中国で2011年から配信がスタートしたWEBアニメシリーズ。国産アニメとして中国で徐々に人気を博し、2019年に劇場版として本作が製作されると大ヒットを記録。日本でも同年、字幕版が小規模公開され(チームジョイ配給)、映画ファンやアニメファンの間で口コミで評判が広がる。これを受けて20年11月にはアニプレックスが共同配給につき、花澤香菜、宮野真守、櫻井孝宏という人気声優陣による日本語吹き替え版「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」として全国公開される。
映画.comより引用

ポイント1:冒頭のアクションは作劇の見本である

ジブリ映画、あるいは異世界をテーマにしたアニメの冒頭のようにマイナスイオンが漂っているように錯覚する大自然をなめるように移動する。その先には黒猫がいて、ニャンと謎の毛玉と戯れている。すると巨大な地鳴りが鳴り響く。鹿など森の動物が逃げ惑う中、その小さな小さな黒猫はフーと威嚇し、逆らうように走り出す。その轟音、地鳴りの正体は分からない。しかし、確実に危機が迫っている。すると、プス、プスと麻酔銃のものが発砲され、黒猫に襲いかかる。それを右、左に回避し走る走る。やがて大地が崩れ始め、ピョン、ピョンと崖の破片を飛び、まともな地を踏もうとするが、失敗し奈落へ堕ちる。走馬灯が見えそうなぐらいスローモーションに映し出される彼の眼前には、ショベルカーが映っていた。これにより、本作のテーマは都市開発による自然破壊といったジブリ的ものであることが分かる。安易に地鳴りの正体を見せず、正体が見えないが故に染み出すハラハラドキドキをじっくり描くこの冒頭だけで只者ではないと感じる。そして冒頭10分以上に渡って、この黒猫のアクションをノンバーバルで描く。猫の丸み帯びた仕草と、袋の鼠に追い込まれた時のフーと言う威嚇。猫的動きを端的に捉えていく。視覚的メディアの旨味を徹底的に描き出すのだ。それによって観る者は映画という魔法に取り込まれていく。

ポイント2:総集編としての時間省略の妙

さて、本作はflashアニメの前日譚であるが、アニメシリーズの総集編というわけではないようだ。しかしながら、本作は100分という短い時間の中に膨大な人物と修行譚を盛り込む必要がある為、日本のアニメ映画によくある「総集編」演出が採用されている。『メイド・イン・アビス』の総集編を例に取ると、定期的に物語としては重要でないが、入れたほうが良いエピソードは短いカットを捲し立てるように挿入することでファンサービスと時間の省略を両立させている。本作の場合、黒猫・羅小黒(花澤香菜)とムゲン(宮野真守)との長い長い旅で培われる友情や笑いを細かいショットを積み重ねることで表現している。これにより、本来であればアニメ20話以上かけないとたどり着けないであろうフーシー・ムゲン戦にたどり着くことに成功している。またこのショットによる時間経過があるからこそ、小黒の術の動きの切れ味が急激に上がる後半も違和感がないのだ。

日本アニメを相当分析している映画と聞いていたが、そういった総集編演出まで分析して実践しているところに驚愕しました。

ポイント3:アニメのみ許される筏での修行

さて、本作は中国映画や香港映画の伝統的なアクションを意識している。様々な術を使って、浮遊感あるヒット&アウェイを魅せていき、その合間にギャグを挿入していくスタイルは『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』を彷彿とさせるのだが、そういった伝統的中国香港映画ではできなかったアニメ的視点を見つけたところに賞賛の拍手を贈りたい。

それは「筏での修行シーン」だ。

通常、この手のアクション映画では決まって山奥や森、オンボロ小屋の庭先、ちょっといいところだと『少林寺三十六房』のように寺で修行したりする。しかし、本作では筏の上で修行するのだ。本作では、上記のような演出によりRTAばりのショートカットでもって最終バトルに向かっていくのだが、何故か筏での旅路描写だけ異様な時間を費やしている。そこで小黒が金属を操れるようになっていく様子や、ストックホルム症候群的歪な関係性から真の友情に切り替わっていく様子が描かれる。

実写の場合、筏というを修行に使うには狭すぎる且つ映画映えしにくい。だが、本作はアニメという自由なカメラワークで魅力的に修行を紡いでいく。そしてスペースに困ったら、精神領域を作り出す拡張で補う。この視点とテクニックに痺れました。

ポイント4:勧善懲悪なき世界で

さて、現代は昔の西部劇のような勧善懲悪は実現しにくい。というのも、悪人にも悪人なりの正義がある。結局のところ正義のベクトルに反発する存在として悪があるだ。MARVEL映画では、そういった正義の対立を描いていき、現代映画の作劇にある方向性を示した。そのベクトルに本作も乗っかっている。孤独な小黒を救ったフーシー(櫻井孝宏)は、環境破壊する人間を恨んでいる。優しい男だが、敵と認定した者は容赦無くフルボッコにする。骨董品店にいる妖精を過剰なまでにフルボッコにする様子から、彼の化けの皮が剥がれて暴力性が染み出していく。それに対して、人間でありながら妖精に近い存在ムゲンは調和を望む。ヤカタを中心に、人間との調和を維持したことにより、妖精は人間社会に溶け込み、スマホ等のテクノロジーの恩恵を授かっているのだ。

過激派と穏健派の対立となっていくのです。

どちらも思想がある。過激派は、自分たちの財産を奪ったのに、何故譲歩しないといけないのかという恨みを持っている。それに対して穏健派は、暴力はさらなる悲劇を呼ぶ。人間と上手く折り合いをつけて良好な関係を築くべきだと考えている。

本作の批判ポイントとして、中国マイノリティ目線、例えばチベットやウイグル視点からでみると、結局マジョリティの横暴を受け入れなければならないというオチにモヤるというものがあるが、個人的にはそれは気にならなかった。寧ろ、中国におけるマイノリティとマジョリティに対する闘争を可能な限り平等に描いている気がした。でなければ、フーシーの直接的な死を避ける演出にはならなかっただろう。ムゲンサイドの勝利には終わるが、都市に巨大な森が爆誕して終わるという展開にはならなかっただろう。

ポイント5:シームレスな現代移行

さて、本作はアクションの手数を増やすため、そしてツイストの為にクラシックな修行映画から突然現代的な描写に切り替わる驚きがある。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』的ロードムービーを描いていたのに、突然妖精がスマホを取り出して画像加工を始めるのだ。さらには、現代中国の地下鉄が登場してそこで激しい戦闘が行われる。この切り替えはサービス精神旺盛さから来るものだろう。

その切り替えから始める地下鉄でのアクションは見応え抜群だ。一直線という狭い空間で、乗客を操る者に対して金属の術で封じ込める。電車が崩壊しそうになる中、小黒とムゲンの既に出来上がっている友情アタックが観られたり、フーシーサイドの膨大な手数と物量で押し切ろうとする攻撃を颯爽と交わすムゲンのカッコ良さに魅了される。

ポイント6:日本は都市から田舎へ、中国は田舎から都市へ

さて、日本のアニメ映画は、特に新海誠映画のような作品は、都市から田舎に移動する物語が多い。しかし、本作は中国映画の文法で描かれているので、田舎から都市への物語となっている。いや少し訂正しよう、一旦都市で課題や騒動に巻き込まれてから田舎→都市へと遷移する『五毒拳』系の作劇と言えよう。田舎で修行しながら都市に眠る悪と戦う。決まって悪は街に潜んでおり、それを倒す為に田舎道で経験を積むという文法が上記のスマホ演出において驚きを与えるスパイスとして機能していると言えよう。

ポイント7:マスコットキャラは微分される

大抵、日本の魔法系アニメではマスコットキャラクターが登場する。しかしながら、本作の場合主人公の小黒自体がマスコットキャラクターだ。ではそのクリシェをどうやって盛り込むのだろうか?本作では、このクリシェを微分してみせる。黒猫よりも小さい謎の毛玉をマスコットキャラクターとして映画の盛り上げ役に徹させるのだ。しかも一見、物語とは関係ない存在、ただの癒しに見えるのだがこれが狂言回しとして機能している。

終盤、フーシーは小黒の空間能力を魂ごと奪う。そして『AKIRA』さながらの巨大な球体を作り出す。そこは定員が2名であり、それ以上は入ると弾き返されてしまう。だが、フーシーが採取したものはその毛玉であり、小黒本体が覚醒し、空間術を発動することで、瞬時に毛玉と本体が入れ替わり、フーシーとムゲンで定員オーバーな空間に侵入することに成功するのだ。

てっきり、グッズを売る為のキャラクターに思っていたが、そんな特殊効果を持っていたことに驚かされる。

ポイント8:『映像研には手を出すな!』たる超絶技巧のハッタリ

本作は『映像研には手を出すな!』たる誤魔化しの演出が上手い。定期的にデフォルメのコントを入れることで尺を稼いでいるのはもちろん、なんといっても精神領域でのバトルシーンにおける創意工夫が素晴らしい。街を舞台に破壊のアクションを行うのだが、街を細かく描くとコストがかかる。そこで、街の背景を真っ白にする、最低限のビルを建て、そして看板等のオブジェクトを豪速球で投げることで、ゴチャッとしがちなアクションがシャープになるのだ。さらに、魂を奪われた小黒が自身の精神領域で覚醒する描写を、真っ白な背景に小黒を配置するだけで描く、手抜きに見えてそれが物語を引き締める効果を実現する離れ業をやってのけているのだ。

日本のアニメは、基本的に全編細部まで描きがちだ、しかし作画に緩急を持たせることで感情の起伏と観る者の興奮をコントロールする技法だって有効なんだと本作は証明して見せたのだ。

ポイント9:貴方は続編が観たくなる

間違いなく、本作は続きが観たくなる。結局ムゲン側の勝利で終わったものの、構築された人間と妖精の調和は崩れてしまった。戦争が勃発することを匂わせながらも、刹那の喜びと別れが描かれて映画は終わる。果たして今後どうなってしまうのだろうか?どうやら続編はwebアニメらしい。だが、このクオリティなら是非とも映画版を作ってほしい。熱烈に祈りたくなるほどのエンディングが待っていた。

ポイント10:唯一の欠点、その日本的演出はスルーしてほしかった

こうも絶賛モードなのだが、唯一ダメだったところがある。サービス精神旺盛さからくる小ボケが、「ここ笑うところですよ」と笑いを押し付けている感じがしてよくないと思った。この手の小ボケは『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などといったアニメでも見られる手法であり、日本のアニメにおいてファンサービスとして関係性からくる笑いを表現する際に使われるのだが、これってノイズになるからあまり使わない方がいいと思う。正直、スベっているようにしか見えなかった。

最後に

さて、中国は日本のアニメを軸に中国・香港の伝統的なアクション映画をブラッシュアップさせたこんなバケモノを作り上げた。日本アニメはガラパゴスだし、世界の誰も真似できないように思えてきたが、もう日本のアニメ演出を完全に踏襲してその先の世界を掴もうとする時代は目と鼻の先までやってきている。それはそれで期待する一方、低賃金で才能を搾取し続ける状況だと日本のアニメ界は寂れていくのではないかと危惧する。

とにかく楽しくて技術的レベルも高い本作を去年映画館で観なかったのは、穴があったら入りたい程の失態と言えよう。

大満足です。

※映画.comより画像引用

ブロトピ:映画ブログ更新しました!
ブロトピ:映画ブログの更新をブロトピしましょう!