『さよなら、私のロンリー』人間関係が変わる瞬間って地鳴りが心の中で木霊するよね?

さよなら、私のロンリー(2020)
Kajillionaire

監督:ミランダ・ジュライ
出演:エヴァン・レイチェル・ウッド、デブラ・ウィンガー、ジーナ・ロドリゲス、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフetc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『君とボクの虹色の世界』、『the Future ザ・フューチャー』と日本でも密かに人気なミランダ・ジュライ。彼女の新作が大傑作と噂聞きつけ観ました。予告編を観ると、天井から泡が滲み出てたりする強烈な描写に、ひょっとしたらヴィジュアルゴリ押し映画なのでは?と不安になりましたが、杞憂。心理の外部化として上手く機能していました。

※邦題『さよなら、私のロンリー』で2021年9月配信スルー

『さよなら、私のロンリー』あらすじ

A woman’s life is turned upside down when her criminal parents invite an outsider to join them on a major heist they’re planning.
訳:彼女の犯罪者の両親は、彼らが計画している大規模な強盗で彼らに参加するために部外者を招待したときに、女性の人生はひっくり返る。
IMDbより引用

人間関係が変わる瞬間って地鳴りが心の中で木霊するよね?

人間関係が変わる瞬間、数少ないコミュニティに自分の居場所を見出している者にとって地鳴りが聞こえてくるだろう。ミランダ・ジュライの変わった作品『Kajillionaire』はそんな孤独をチクチク刺してくる傑作だ。Kajillion(=めっちゃたくさん)とmillionaire(=富豪)を合わせたタイトルとは裏腹に、本作の家族は実にせせこましい。バス停に母親(デブラ・ウィンガー)、父親(リチャード・ジェンキンス)、娘(エヴァン・レイチェル・ウッド)が立っており時を見計らっている。

「クリア!」

「まだクリアじゃない!」

「今だ!」

「今じゃない!」

というやり取りをした後、娘オールド・ドリオは自分の合図で奇怪な動きをしながら銀行に入り、貸金庫からぬいぐるみやネクタイを奪い取る。両親にとって、彼女は金目のものを強奪してくれる仲間にしか過ぎず、彼女に愛情はないように見える。しかしドリオにとって両親に必要とされていることは愛であり、強奪の中心にいることで自分を満足させている。そんな歪な家庭を象徴するように奇怪な演出が畳み掛ける。泡工場の塀をリンボーダンスしながら事務所に向かう。家賃滞納から逃れるように。事務所に入ると泡が天井からドッと染み出してきて、家族で一生懸命掃除するのだ。この泡はドリオの脆く弾けやすい人間関係を象徴しているようだ。飛行機に乗り込むが、運悪く彼女は両親と離れ離れの席に座らせられる。両親の隣には、メキシコ系の女メラニー(ジーナ・ロドリゲス)が座りどうも仲良くしているではありませんか。もどかしさを感じつつ、親のために一人ロストバゲージを装った保険金詐欺の準備を進める。彼女がようやく両親指定のバーにたどり着くと、あのメラニーが仲間になっていたのだ。しかも、両親はメラニーに夢中で自分へ愛情を向けてくれない。嫉妬を抱きつつも、両親以外とほとんど話したことがない彼女はダンマリし、フラストレーションを募らせていく。家族がバラバラになってしまったというドリオの内面を表すように事務所を泡が埋め尽くすのだ。

そんな彼女の心の揺らぎをさらに地震で表現する。

本作では何度か地震が発生するのだが、気にしているのは家族だけだ。これは家族の人間関係が地殻変動することを象徴している。また、オールド・ドリオにとって人生が崩壊することを表現している。彼女の前に現れた女メラニーは孤独な女ではあるが飄々といろんな場所へ入り込めるし、ネイルも上手い。おまけにピアノもできる。ドリオにないものを持っているのだ。ある意味、彼女のなりたい自分の分身である。その分身が、今の自分から全てを奪ってくる。悪気なく。

彼女はセラピーで自分を客観的にみたりしながら、どうにかして己のモヤモヤを克己しようとする。物に溢れた薄暗い部屋と何もない陽光差し込む部屋の対比など、様々なギミックで微かな絆を壊され孤独の闇に沈む彼女が自分の力でそれを解消していくプロセスがただただ素晴らしい作品でした。

恐らく中高時代、数少ないコミュニティに自分の居場所を見出していたが、新学期が始まると人間関係が変わり狼狽し、孤独に苦しんだことある人に刺さる処方箋であろう。日本公開したらミニシアター界で話題になるのではと思う大傑作であった。

※the gurdianより画像引用

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