『Tommaso/トンマーゾ』チャラデフォーのチョイ住み in ローマ

トンマーゾ(2019)
Tommaso

監督:アベル・フェラーラ
出演:Cristina Chiriac、ウィレム・デフォー、アンナ・フェラーラetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第72回カンヌ国際映画祭スペシャル・スクリーニングで上映されたアベル・フェラーラ『Tommaso』を観ました。本作はアベル・フェラーラ通常運転につき、賛否が真っ二つに分かれており、カイエ・デュ・シネマは彼が今も耐えうる監督であることを賞賛している一方でLe Figaroは本作の映画監督がどこへ向かっているのか分かりづらいと酷評している。つまりこれはアベル・フェラーラ×ウィレム・デフォーの完全ファンムービーなのだ。フェラーラの分身とも取れるデフォーが行き詰まった映画監督を演じる爺映画なのだ。そもそも予告編を観る限り、やっていることは『4:44 地球最期の日』と同じだ。アベル・フェラーラ映画が一貫している「クズの中の信仰」というテーマを把握していないと、腹立たしいほどのクズ描写にフラストレーションが溜まるのは明白であろう。しかし、両者のファンである私にとっては眼福な代物であった。

『Tommaso』あらすじ


Tommaso est un artiste américain vivant à Rome avec sa jeune épouse européenne Nikki et leur fille Dee Dee âgée de 3 ans. Ancien junkie, il mène désormais une vie rangée, rythmée par l’écriture de scénario, les séances de méditation, l’apprentissage de l’italien et son cours de théâtre. Mais Tommaso est rattrapé par sa jalousie maladive. À tel point que réalité et imagination viennent à se confondre.
訳:トンマーゾはローマに住むアメリカ人アーティストで、若いヨーロッパ人の妻ニッキーと3歳の娘ディーディーと一緒にローマに住んでいます。元ジャンキーで、現在は脚本を書いたり、瞑想をしたり、イタリア語を習ったり、演技教室に通ったりと、整然とした生活を送っている。しかし、病的な嫉妬に打ちひしがれてしまうトンマソ。それほどまでに、現実と想像力が融合する。
AlloCinéより引用

チャラデフォーのチョイ住み in ローマ

ウィレム・デフォー演じるTommasoがイタリア語教室の先生といちゃつくとこから物語は始まる。イタリア語でバースデーソングを歌いながら、彼女にケーキをプレゼントする。その帰り道、ミック・ジャガーのような足取りでBARに向かい、女マスターといちゃつき、帰路へつく。

彼には妻子がいる。妻はイタリア語が話せないらしい。しかし、彼は「イタリア語で話せよ」とマウントをかけていく。そんな彼に、妻は「あなたは子どもを見てくれない。」「私と話をしようとしないし、コミュニケーションを取ろうともしてくれない。」と言う。

それに対して、
「I know, I know わかっている、わかっている」
と接吻を交わし誤魔化すのだ。

そんなある日、娘を公園に連れてきた彼は妻が不倫しているような光景を目にし、内なる自分と対峙し始める。妻は友人の家に泊まろうとするが、それは家出かもしれないと思った彼。しかし、プライドある彼は、妻子を前にイタリア語でタクシーを呼ぼうとし顰蹙を買うのだ。やがて口論に発展し、彼は妻に「お前はアル中だ!」と言う。

しかし、映画を観ていくと様子がおかしい。彼は謎のカウンセリングで「俺は『甘い生活』のアメリカ版リメイクを作りたいんだ。」と饒舌に話した後、「俺はあなたの先生(ドクター)だ。」と語る。しかし、次のショットでは手錠がかけられ、マフィアと思しき方から「あなたは先生(ドクター)か?」と尋問され、「いや、俺は先生(ドクター)ではない。」と返答し、何故かそのやり取りは有耶無耶になったままシーンが切り替わるのだ。また、演技のワークショップで彼は教祖のように仲間を従え始めるのだ。その場面が、ジャック・リヴェットの二番煎じというところに、アベル・フェラーラの痛烈な自己批判が垣間みえます。よく、落ちぶれた映画業界人がワークショップや映画学校で横暴に振る舞うのに近いのだ。そして、統合失調症が見る悪夢のようにシームレスにシュールな描写が入り乱れていく。突然、胸をえぐり、心臓を捧げ始めたりするのだ。そうです、実は病気なのはTommasoの方であり、彼は元薬物中毒者で人生の行き詰まりを癒すためにローマで暮らしているのだ。

本作は、フェラーラ十八番の神を失ったように見える都市の中のクズ。そこに芽生える微かな信仰を捉えている。彼は妻にアルコール中毒者のレッテルを貼ることで自己のプライドを保ってきたが、それが失われた時、初めて自己と対峙する。しかしながら、自己の醜さと対峙したくない彼はイタリア語で現地人と話すことで、俯瞰して自分と対峙するのだ。また、彼にはプライドがある。誰かをコントロールしたい欲望がある。それが語学教室の先生との情事や、イタリア語が分からない妻にイタリア語で語りかける場面、「俺はあなたの先生(ドクター)だ。」と豪語する場面に通じているのだ。でも、心の奥底では人生の停滞への不安、心の拠り所である妻ですら失ってしまう恐怖がある。それがドンドン大きくなっていくので、暗夜の悪夢から白昼の悪夢へと遷移していくのだ。

そして悪夢に儀式を交えることで信仰という形に変換する。そしてシームレスに悪夢、儀式、現実を描くことで、彼の内なる闘いという心象世界を映画的に表現していると言えよう。

フェラーラは安易にハッピーエンドにすることも安易にクズを破滅させることもない。ライト片手に街を暴れ狂うまでに自己崩壊していく彼の行く先に待ち受けるシュールなクライマックスは驚きに満ち溢れていました。

created by Rinker
New Video Group
ブロトピ:映画ブログの更新をブロトピしましょう!
ブロトピ:映画ブログ更新

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です