【ネタバレ考察】『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』あるいは三池崇史の『8 1/2』

劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 映画になってちょーだいします(2020)

監督:三池崇史
出演:菱田未渚、美山口綺羅、原田都愛、石井蘭、石田ニコルetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年は三池崇史イヤーとなっている。彼は、自分の撮りたい作品を撮る為に明らかに白羽の矢が立った系の原作ものを次々と手がけている。それで稼いだお金と知名度をベースに今年は『初恋』を発表し、多くの映画ファンを夢中にさせた。そして、その次の作品がまたもや白羽の矢が立った系作品『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 映画になってちょーだいします』だった。2017年にテレビ東京系で放送された特撮ドラマの映画化で、仮面ライダーの女児向けバージョンといった作品の映画化だ。この落差に唖然とするものの、どうも傑作のフェロモンを醸し出す本作に惹かれ観てきました。そしたら、なんと『初恋』の遥か上を行く傑作であり、寧ろ三池崇史が撮りたかった作品なのでは?と思わずにはいられない作品でありました。『忍たま乱太郎(2011)』に次ぐスラップスティックコメディの傑作だったのでネタバレありで語っていこうと思います。

『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 映画になってちょーだいします』あらすじ


2017年にテレビ東京系で放送開始された特撮ドラマ「ガールズ×戦士」シリーズの第3弾「ひみつ×戦士ファントミラージュ!」の劇場版。正義の怪盗ファントミラージュのもとに、超有名監督・黒沢ピヨシから映画出演のオファーが届く。しかし逆逆警察のサカサーマによって、監督はファントミの敵イケナイヤーにされてしまい……。ファントミラージュ役の菱田未渚美、山口綺羅、原田都愛、石井蘭をはじめ、石田ニコル、関口メンディー、斎藤工らドラマ版のキャストが集結。映画監督・黒沢ピヨシを中尾明慶が演じる。同シリーズの監督・総監督を務めてきた三池崇史がメガホンをとる。
映画.comより引用

あるいは三池崇史の『8 1/2』

映画監督は、自分の映画史を映画にするのがある種の夢となっている。フェリーニが『8 1/2』や『インテルビスタ』を撮ったのに続くように、コーエン兄弟は『バートン・フィンク』、タランティーノは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を撮っている。では三池崇史はどうなのか?意外とまだ映画史映画を撮っていないように見える彼はなんということか白羽の矢映画『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』で俗の映画史を紡ぎあげた。

本作は、福田雄一が築いてしまった映画として成立していないギャグが点としてしか意味をなしていないことに諦めているにもかかわらず稼げる映画監督という地位に対する挑戦状とも言える。つまり、スラップスティックコメディはどう撮るべきかを提示している作品なのだ。そこへ、コロナ禍におけるキッズ映画のあり方に始まり、映画業界のパワハラ問題への言及を提示する。しかし、決して重苦しさに陥ることはない。ジョン・ウォーターズ映画のような軽妙さが映画をサイコーの代物へ押し上げているのだ。

冒頭、アヴァンタイトルとして怪人イケナイヤー:オシリプリプリヤーとの戦闘を描く。この手の映画のお決まりとして、お笑い芸人を召喚する。芋洗坂係長演じるオシリプリプリヤーは道化を装い、人々を集めた段階で、尻を振り続けてしまう魔法をかけるのだ。この際に、普通の映画監督なら平面的に人々の尻を振らせてしまうところを、少し俯瞰した構図で振らせる。それも、一度に全員振らせるのではなく、奥側→手前側に振らせることで2次元的コメディに立体感を与えることができる。そして、少女の変身シーンを時間かけて演出し、彼女にも尻を振らせる出血サービスの中で敵を倒していく。このジョン・フォード的群描きの巧さは最後まで失速することがない。小さな点がだんだんと収斂していき爆発する映画としての面白さを提供し続けるのです。

そして前座が終わると、今回のメインディッシュが登場する。黒沢清に怒られそうだ。黒沢ピヨシたる人物が登場する。

「『ファントミラージュ!』の大ファンなんだ」と。

と迫り来る怪しげな映画監督、しかし彼から発せられるファントミラージュ愛は軽薄そのもの。ファントミスペードに性的興奮を覚えているだけの明らかにセクハラ監督な彼は、映画業界の闇を匂わせる。舞台挨拶では自分が目立たなければいけないという自意識で彼女たちを邪魔する。その「前が前が」精神は、ピエト・モンドリアンファッションの助監督に継承されることで立体感が増す。そして、『はらへり一等兵』や『人間失敗』、『忍びの忍者』という超インディーズ映画、プログラミングピクチャーポスターによる大人も満足サービス演出、終いには世界的巨匠という重圧に緊張する黒沢監督を、黒沢清的陰影でオマージュを捧げるキメの細かさに眼福となる。

ただ、こういったギャグを点として描くのは福田雄一だ。彼の場合はギャグを伏線として焦らし、線としてのギャグを意識する。これが映画だと。

例えば、「4人で映画に出よう!」というセリフに対し、関口メンディーが「いや5人だ!」と言い放ち、くまちぃが「いやボク併せて6人だよ」と重ねて行く場面がある。これは本作がテーマとしている映画業界の「前が前が」精神を象徴するものであり、製作委員会方式的それが映画を壊滅へと導く不穏を匂わせている。その象徴的セリフに対して、一味の一人がくまちぃの絵を監督に魅せる。これが後のラスボス、超絶ブサイクなくまちぃ着ぐるみへと繋がっていくのである。

さて、映画制作現場パートに移るファントミラージュ。彼女は私服で現場に行くと、助監督に「なんだ君たちは!」と怒られてしまう。これは、魔法少女ものの、明らかに変身前後から同一人物であることがわかるのに、それが分からないという《魔法少女あるある》に対する鋭いツッコミとなっている。そして、そこから巨大扇風機の魅力が描かれる。これにより、映画というロマンを投影することに成功している。『十三人の刺客(2010)』の撮影現場がいかに楽しかったかを三池崇史は訴えようとしているように見える。その映画愛は、必然と観客を映画という嘘の共犯関係へと引きずりこんでいくのです。

そして、ヴィランの暗躍により、黒沢ピヨシはイケナイエイガトルヤーへと変貌を遂げ、ラスボス着ぐるみくまちぃを登場させる。明らかに悪に染まった黒沢ピヨシ監督はイかれた映画を撮っているのだが、「世界的名監督だから」と企画が通ってしまうところに、長いものに巻かれろな社会に対する批判が込められている。

第四の壁を破り、「映画だから強いよ!」とギャグをかましながら、着ぐるみと戦わせるのだが、ヨボヨボで迫力0だ。一応、爆弾を装備しており制限時間を設けているのだが、CGに頼りっきりな外しの戦闘はクリシェ外しとしての新鮮さがあり、こんなアクション見た事がない。『DEAD OR ALIVE 犯罪者(1999)』的自由さがあるのだ。

そして、最後は特撮映画あるあるの次回予告をして締める。

本作はアイドル社会学、特撮社会学から映画史映画を紡ぎあげ、白羽の矢が立った企画にもかかわらず三池崇史カラーで染め上げる。『初恋』は俗な映画を撮り続けて貯めた名声と予算で作った自由な映画でありつつも、そこには肩に力の入りすぎた三池崇史がいた。それに対して、こちらは正真正銘、三池崇史が撮りたかった映画があった。このパワフルな傑作は、youtuber的瞬間的空虚な笑い、楽屋オチ、内輪ギャグだけで構成される福田雄一映画への批評としてキラリと光るものがありました。

コロナ禍で急遽取り直したであろう、「心の中で盛り上がってね」演出の哀愁こそあれども、『アルプススタンドのはしの方』、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』、『のぼる小寺さん』と肩を並べられる作品であることは間違いありません。

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