【 #仮設の映画館 】『精神0』唯一無二のジャンル観察映画に胡座をかいてしまった監督

精神0(2020)

監督:想田和弘
出演:山本昌知、山本芳子etc

評価:30点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

コロナ禍の中、映画業界はなんとかして面白い映画を人々へ届けよう、映画館を存続させようと知恵を絞っている。大きい配給会社や製作会社は見切りをつけて配信にシフトしていっているが、このビジネスモデルだと映画館に1銭も入らない問題がある。ではどのようにして映画館も救っていけばいいのだろうか?ニューヨークの映画館Film Forumの場合、Kino Lorber、Zeitgeist Films、Film Movementの配給3社とパートナーシップを結び、オンライン上映にシフトした。Kino Marqueeというプラットフォームを使うことで、観客がその劇場で映画を観たという設定で映画館にもお金が行き渡るシステムとなっている。

『BACURAU』や『BEANPOLE』といったマニアックな作品を気軽に楽しめ、尚且つ映画館、映画配給会社、映画製作会社双方にメリットが生じる新しいビジネスモデルとして注目されているのだ。

そしてそのビジネスモデルが遂に日本でも試験的に作られました。《仮説の映画館》では岩波ホールやあつぎのえいがかんkikiを始め、その映画館で本来上映されるはずだった作品をオンラインで配信。観客は、自分の行きたい映画館を選択して料金を支払うと、その映画館にお金が落ちる仕組みとなっているのだ。動画配信のシステムを既存のプラットフォームvimeoにすることで、日本にしては早いローンチが実現しました。

5/2(土)のゴールデンウィークから本格始動し、『巡礼の約束』、『タレンタイム』といった作品が配信される中、想田和弘監督のドキュメンタリー『精神0』があったので観てみました。本作は、2008年に作られた『精神』の続編にあたる作品で、岡山の精神科医・山本昌知の引退後の生活に密着したもの。第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でエキュメニカル審査員賞を受賞している意欲作に挑戦してみました。

『精神0』概要


ドキュメンタリー監督の想田和弘が「こころの病」とともに生きる人々を捉えた「精神」の主人公の1人である精神科医・山本昌知に再びカメラを向け、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でエキュメニカル審査員賞を受賞したドキュメンタリー。様々な生きにくさを抱える人々が孤独を感じることなく地域で暮らす方法を長年にわたって模索し続けてきた山本医師が、82歳にして突然、引退することに。これまで彼を慕ってきた患者たちは、戸惑いを隠しきれない。一方、引退した山本を待っていたのは、妻・芳子さんと2人の新しい生活だった。精神医療に捧げた人生のその後を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出す。ナレーションやBGMを用いない、想田監督独自のドキュメンタリー手法でつくられた「観察映画」の第9弾。
映画.comより引用

唯一無二のジャンル観察映画に胡座をかいてしまった監督

想田和弘監督は、フレデリック・ワイズマンに感銘を受け、ナレーションやBGMを用いないダイレクトシネマの手法を自分のものとしていった監督だ。自ら作品を《観察映画》と呼び、2006年の『選挙』から遂に9本目となった本作は、監督の行き詰まりを感じさせる作品であった。先日読んだ『ワールドシネマ入門』での『ザ・ビッグハウス』製作裏話を読むに、観察映画としてのあり方に思い悩んでいる印象があった。それが今回悪い方向に出てしまった。

『精神』で着目した岡山の精神科医・山本昌知は82歳になり引退を決意する。長年彼の言葉に励まされてきたであろう患者が、「私はどうしていけばいいの?私は山本先生が必要だ。他の先生は不安だ。」と口にする。それを「そっかー」と耳を傾けのらりくらりと交わしていく。前作を観ていないのだが、この一連の流れを観るだけで、山本医師が如何に傾聴の達人かがよくわかる。会話を欲している人のサンドバッグになり、明確なアドバイスをするわけでもなく、ただ相手を受け入れる。それによって、患者の心が癒えてくるのだ。話したいけど話す相手のいない人の欲を満たし、しかしその欲に毒されず80代になるまでやっていけたことが伺える。

しかし、そんな名医もいざ仕事を引退すると、途端に萎びたおじいさんになっていき、老衰が著しく身体に現れる。足取りは、仕事をしていた時よりも悪くなり、墓石を洗う場面では、今にもそこが自分の墓場になりそうな勢いだ。これを観ると、仕事一筋だった人がいざ会社を定年退職すると、何もやることがなくなり、急激に老化したり、社会に対して害を振りまく存在になってしまうプロセスが垣間見える。

山本昌知から《精神科医》という肩書を取ってしまうと虚無となるのだ。

その過程に真っ直ぐ向き合っていたら本作は鋭いドキュメンタリーだっただろう。

しかし、想田和弘監督にはフレデリック・ワイズマンの亡霊がいる。その亡霊に翻弄され、モザイクを形成しようといつも通り猫を映し始めるのだが、それがノイズに見えてしまう。何故ならば『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』や『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』、『インディアナ州、モンロヴィア』で描かれる多様性といった側面をこのテーマは持ち合わせていないからだ。一人の男の老年に特化した作品だけに、猫や『水曜日のダウンタウン』のロケと勘違いする少年たちのカットはいらないのだ。

また、『精神』で構築した人間関係に胡座をかいてしまっているのが鼻につく。被写体から酒を勧められたり、話しかけられたりするのをダラダラと撮ってしまっているのだ。確かにダイレクトシネマは被写体と接触しているところを映さないのが鉄則なわけではない。王兵の『原油』では、被写体にガッツリインタビューするパートがあるぐらいだ。重要なのは、ダイレクトシネマが批判するナレーションやBGMによる説明的描写の要素をどう作品のテーマと結びつけるかにある。『原油』の場合は、何もない荒野での生活を延々と映したからこそ、露骨なインタビューシーンで労働者の悲哀の叫びが強まる効果がある。しかし、『精神0』での撮影者と被写体との対話にはそのような芸はない。撮れたものを並べているだけのようにしか見えないのだ。

これは想田和弘監督作品が好きな私も、胡座をかいて台無しにしてしまったなと思わずにはいられません。

参考資料

FILM FORUM VIRTUAL CINEMA
Kino Marquee

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