『2分の1の魔法』全力少年ではなく半力少年だった件

2分の1の魔法(2020)
Onward

監督:ダン・スキャンロン
出演:トム・ホランド、クリス・プラット、ジュリア・ルイス=ドレイファス、オクタヴィア・スペンサーetc

評価:55点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ピクサー最新作『2分の1の魔法』を観ました。ディズニー/ピクサーの作品は、常に社会問題=マクロな視点と個人の問題=ミクロな視点を絶妙なバランスで作品に盛り込んで行く。アニメで国際平和を目指すんだという意気込みがある。最近は、そのミッションに雁字搦めになっていたり、資本主義の象徴ともいえる片っ端からコンテンツを買収していく姿に苦言を呈す映画ファンも多い。私もその一人ではあるが、それでもディズニー/ピクサー作品は安定した面白さがある。フランチャイズながら、そこに留まろうとするのを拒んだ作りに毎回期待するのです。さて、最新作『2分の1の魔法』は『インサイド・ヘッド』や『リメンバー・ミー』系の物語で押していく物語のようだ。一見すると、ユニバーサルやソニーの非ディズニー/ピクサー映画のような作り。つまりキャラクターのインパクトが弱い作品だ。それだけに期待して観たのですが、これが問題作でありました。スキマスイッチの『全力少年』問題で公開前から日本では物議を醸していた作品ですが、それどころの作品ではありませんでした。

『2分の1の魔法』あらすじ


「リメンバー・ミー」「トイ・ストーリー4」のピクサー・アニメーションによる長編作品。亡くなった父親にもう一度会いたいと願う兄弟が、魔法によって半分だけ復活した父親を完全によみがえらせるため奮闘する姿を描いた。かつては魔法に満ちていたが、科学技術の進歩にともない魔法が忘れ去られてしまった世界。家族思いで優しいが、なにをやってもうまくいかない少年イアンには、隠れた魔法の才能があった。そんなイアンの願いは、自分が生まれる前に亡くなってしまった父親に一目会うこと。16歳の誕生日に、亡き父が母に託した魔法の杖とともに、「父を24時間だけよみがえらせる魔法」を書かれた手紙を手にしたイアンは、早速その魔法を試すが失敗。父を半分だけの姿で復活させてしまう。イアンは好奇心旺盛な兄バーリーとともに、父を完全によみがえらせる魔法を探す旅に出るが……。監督は「モンスターズ・ユニバーシティ」を手がけたダン・スキャンロン。
映画.comより引用

全力少年ではなく半力少年だった件

かつて、この世は魔法に満ち溢れていた。人々は魔法でドラゴンと戦ったり、人助けをしたりしていた。しかしながら、電気の登場により、魔法を習得するなんて面倒なことをやめ、テクノロジーで生活が最適化されてしまった。文明社会、効率化重視の社会で失われてしまった想像力というテーマを冒頭で示す。そして、便利になったが空想の力がない世界というものを現代パートで魅せる。ドラゴンにはスプレーをかけ、スマホは身近な存在となり空想好きな兄は好奇な目で見られる存在として描かれている。皆、何不自由しない生活を送っているのだが、何かが欠落している。それは主人公イアンにフォーカスがあてられていくことで段々と見えていく。イアンは引っ込み思案な性格だ。

「NEW ME(新しい私)」

と書いたTODOリストに

□もっと話す
□運転を学ぶ
□友だちをパーティに誘う

といった項目を羅列していくのだが、どれも裏目に出てしまい、

友だちをパーティに誘う

といったように削除線を引いてしまう。

そんな彼の最大の目標は「父のようになる」ということだった。

幼い頃に亡くなった父。彼は父的存在を欲し、父のような立派な人になることを夢見ていたのだ。そんな彼が16歳の誕生日に杖を貰う。魔法の杖だ。魔法を宿した杖は、イアンを動かし、父を蘇らすのだが、エネルギーが足りず、下半身だけの魔物を生み出してしまう。触覚しかない父を完全に蘇らすという思わぬ冒険が、引っ込み思案だったイアンを動かし、想像力を掻き立てていく。

《想像力の失われた世界》という大きなテーマから、前に踏み出せない人の成長譚という小さなテーマへシフトしていく過程が軽やかで、またピクサーが得意とするノンバーバルコミュニケーションたる表現もキレッキレだ。足のステップだけでいかに会話を成立させるのか?というところをしっかり解決しているところに安定の面白さを感じる。

しかしながら、本作は段々と雲行きが怪しくなる。音が聞こえない設定の筈の下半身親父が、兄の音楽に合わせてノリノリで踊り始めるのだ。いくらファンタジーでも一番破ってはいけないルールを簡単に壊してしまうのだ。そして、この映画においてイアンはのび太以上に泣いてすぐ他者に頼ってしまう。何かあればすぐに兄を頼ってしまうのです。魔法も彼が自分の力で習得するとか覚醒させる訳ではなく、兄の助言のもとに作り出してばかりで、肝心な時には兄が犠牲となるのです。想像力が肝なのに、相手から与えられたタスクをこなしているだけで全くクリエイティブではないのです。これじゃあ、便利さを求めて最適化された生活というものを単に魔法に置き換えているだけで、冒頭で説明された回り道だが工夫しながら便利さを追い求める世界が社会、個人どちらにも到来していないのではと思ってしまう。

さらに《想像力の失われた世界》というテーマをさも重要がって冒頭で登場させているにもかかわらず、《想像力の失われた世界》がどう生活に悪影響を与えるのかが全く描かれず、映画の終盤でやってくる大きな修羅場が、マクロ目線でもミクロ目線でもあまりにも唐突で全く盛り上がりにかけます。

もちろん、ピクサーお得意の遊び心はどれも脱帽なのですが、これは全力少年ではなく半力少年だと言いたくなる作品でした。これでは兄がひたすらに可哀想な映画です。まあ、トム・ホランドがクリス・プラットを困らせる映画としてみると多少は気持ち上がるのですが…

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