X&Y(2018)
監督:アンナ・オデル
出演:ミカエル・パーシュブラント、アンナ・オデル、ジェンズ・アルビヌスetc
評価:0点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
トーキョーノーザンライツフェスティバル2020でタイトルだけ惹かれて観てみた『X&Y』がトンデモナイ作品でありました。これは監督のことをよく知らないと結構ダメージがでかい作品なので、先に監督の経歴について語っておこう。監督のアンナ・オデルはスウェーデンを騒がせた問題児であります。PARTNERに掲載された記事《スウェーデンのメディアを騒がせた卒業制作:アンナ・オデルが起こした「事件」(2016.01.21)》によれば、2009年にパフォーマンスアートとして、精神疾患女性に扮した彼女が橋から飛び降り自殺しようとしたところを警察に取り押さえられ、精神病院へ搬送された事件がありました。このアートは、かつて精神病院に入院した彼女が、精神病院の問題を芸術で告発しようとした作品であり、その過激さとテーマから物議を醸しました。そんな彼女は2013年『同窓会~アンナの場合~』で監督デビューを果たすのですが、いきなりヴェネツィア国際映画祭で批評家週間部門スペシャル・メンション、国際批評家連盟賞を受賞し、スウェーデンアカデミー賞で脚本賞を獲る快挙を成し遂げるのです。
それから5年後に製作された監督2作目が今回ブンブンが観た『X&Y』なのです。
『X&Y』あらすじ
監督のアンナは、俳優ミカエル・パーシュブラントの協力を得て、映画の制作に取り掛かる。自身と彼の持つ芸術性、破壊性、内向性、といった内面を、北欧のトップ俳優6人に演じさせるため、スタジオ内のセットで共同生活を始めるが……男女の役割とアイデンティティの探求に挑んだ知的エンターテインメント。
※TNLF2020より引用
劇映画版『ドッグヴィルの告白』
スタジオに俳優が集められる。それぞれが、自分の分身を他の役者に演じさせ、現実と虚構の渦を生み出した後に脚本ができるというコンセプトだ。意識高い役者陣は、それぞれ自分の分身と対峙していくのだが、人は自分の内面を観られたくないもの。自分の分身が、醜悪な自己を投影し近づいてくる様にフラストレーションが溜まり始める。しかも、脚本がどれぐらい進展しているのか、映画はちゃんとできるのかすら分からないアンナ・オデルの奇行に役者の怒りが頂点に達していく。
この光景は、ラース・フォン・トリアーが『ドッグヴィル』を撮影した際のいざこざと非常に似ている。その舞台裏を描いた『ドッグヴィルの告白』では、独裁者のようなラース・フォン・トリアーがドンドンうつ病になっていき、ニコール・キッドマンに宥められたり、突然失踪する彼を役者が心配し始めたりとメチャクチャな現場でした。しかし、映画自体は、非常に意欲的な傑作であった。
しかしながら、この映画の場合、アンナ・オデルがただ単に芸術観を拗らせ、役者を怒らせることに快感を得ているようにしか感じられず、観ている方もフラストレーションしか溜まりませんでした。実際に撮影現場で男女が交わり、撮影期間中に子どもを作り、その子をアートの子とするという発想からして自分の道徳観が破壊され、気持ち悪さを感じました。正直、この作品は失敗だと思う。
『童貞。をプロデュース』で加賀賢三が監督の松江哲明からセクハラを受けていたことを告発し、平行線泥沼な問題に発展した今の日本からこの映画を観るととてもじゃないが褒める要素が一つも見当たりませんでした。
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