東京暮色(1957)
TOKYO TWILIGHT
監督:小津安二郎
出演:原節子、有馬稲子、笠智衆、山田五十鈴etc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ブンブンは黒澤明より小津安二郎派なのですが、小津安二郎映画にはなかなか手が伸びない。観たら絶対に面白い自信はあるのに、ATフィールドを破るパワーを持ってして挑まないと観ることはできない。だから数年に1度ペースでしか小津安二郎映画を観れないのですが、先日映画の呑み会で話題に上がったので意を決して観てみました。それに映画検定2級受験も始まったことなので、受験前に観ておいた方がいいと思ったのもあったので。これが案の定とんでもない傑作でありました。
『東京暮色』あらすじ
停年もすぎて今は監査役の地位にある銀行家杉山周吉は、都内雑司ケ谷の一隅に、次女の明子とふたり静かな生活を送っていた。長女の孝子は評論家の沼田康雄に嫁いで子供もあり、あとは明子の将来さえ決まれば一安心という心境の周吉だが最近では心に影が芽生えていた。それは明子の帰宅が近頃ともすれば遅くなりがちでしかもその矢先姉娘の孝子までが沼田のところから突然子供を連れて帰ってきたからだ。--明子には彼女より年下の木村憲二という秘かな恋人があった。母親がいない寂しさが、彼女をそこへ追いやったのだが、憲二を囲む青年たちの奔放無頼な生活態度に魅力を感じるようにいつかなっていた。しかも最近、身体の変調に気がついた彼女が、それを憲二に訴えるとそれ以来彼は彼女との逢瀬を避けるようになった。そして、焦慮した彼女は、憲二を探して回ったがその際偶然、自分の母についての秘密を知った。母の喜久子は周吉の海外在任中にその下役の男と結ばれて満洲に走ったが、いまは東京に引揚げて麻雀屋をやっていたのだ。既に秘かに堕胎してしまった明子には、これは更に大きな打撃であった。母の穢れた血だけが自分の体内を流れているのではないかという疑いが、彼女を底知れぬ深淵に突落してしまったのだ。蹌踉として夜道へさまよい出た彼女は、母を訪ねて母を罵り、偶然めぐりあった憲二の頓にさえ怒りに燃えた平手打を食わせ、そのまま一気に自滅の道へ突き進んで行った。その夜遅く、電車事故による明子の危篤を知った周吉と孝子が現場近くの病院に駈けつけたが明子は殆どもう意識を失っていた。その葬儀の母の帰途、孝子は母の許を訪れ、明子の死はお母さんのせいだと冷く言い放った。喜久子はこの言葉に鋭く胸さされ東京を去る決心をした。また、孝子も自分の子のことを考え、沼田の許へ帰っていった。雑司ケ谷の家は周吉ひとりになった。所詮、人生はひとりぼっちのものかも知れない。今日もまた周吉は心わびしく出勤する……。
※映画.comより引用
小津安二郎の完璧な構図に殴られる140分
原節子が《NORIKO》ではなく《TAKAKO》を演じている本作は、ギョッとするような彼女の笑みによって私の心はガッツリと掴まれた。笠智衆演じる銀行マンの杉山周吉のオフィスに、姉の孝子(原節子)がやってくる。扉から周吉が現れ画面外へと抜けていく。すると彼女が彼の方へ目線を向けていくのだが、何故か視線はそのまま観客の方へ向いていき、第四の壁を超えたように語りかけてくるのです。長方形の画面の中心に構える原節子の肖像は、本作の陰影を際立たせる効果として機能する。
本作は、40分近くかけて子どもを身籠ったものの、ボーイフレンドから逃げられまくりフラストレーションがたまる明子(有馬稲子)が描かれる。周吉の男性的漆黒と、成功者・孝子が持つ純白のオーラの狭間で明子は陰鬱とした灰色のオーラを纏う。麻雀屋にフラッと遊びに来る明子に対して、周りは話しかける。しかし、彼女は投げられたボールを掴んでそのまま落とすように素っ気ない返答しかしない。そして遂に、ボーイフレンドの木村(田浦正巳)と対峙し、子どものこと、中絶のことを話すのだが、彼は「ホントウにぼくの子かい?」と子どものことを否定し優しい声で立ち去ってしまう。中絶費用集めようにも、叔母のもとへ訪ねるが断られ、彼女の精神は深淵にひたすら落ちていく。そしてその心はやがて「自分は果たしてお母さんの子どもなのだろうか?」という猜疑心へと変わっていく。
話自体は、現実でも耳にする中絶と男性の無責任さを描いている。しかしながら、小津安二郎の手にかかれば、その問題を肖像画として完璧にフィルムに焼き付けてしまうのだ。男性と女性の差を表現するために障子を効果的に使う。手前の障子と、後方の障子の、境目を画面分割のツールとして使用し、黄金比に近い形で分けられた仕切りの中に、黒く映る男性と、白く映る女性をそれぞれ配置していく。また部屋の空間も、視線の補助線を意識した作りになっており、一つの方向に壁や柱、段差が向かっていくような極めて絵画的構図となっている。そのような空間で悲しむ少女の顔、男性の無頓着な肖像が映し出されることによって、観るものの心を騒つかせます。
小津安二郎映画は構図の映画で『東京物語』のように、なんの変哲も無いヒューマンドラマにも拘らずホラー映画さながらの不気味さが滲み出ていたりするのだが、本作もその系譜をいく作品であった。
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